▼志村弟の一騒動


理汪がうっかり寝込んでいる間、姉が如何わしいお空の旅へと連行されるまさかの事態が発生していたらしい。なんと恐ろしい。兄からそこに至るまでの経緯を説明されたとき、理汪は兄の失業だの、新たな就職先だのという膨大な情報量にまず言葉を失った。病み上がりのぼんやりとした頭で受け止めるには、その衝撃が大きかったせいもあるだろう。
加えて、兄は不安定甚だしい収入しか見込めない万事屋での仕事を始め、姉はキャバクラ勤めを始めるのだという。
いや、わかってたけど。この世界で、志村家の姉弟がどういう生活形態を辿ることになるかなんてよくよくわかっていたことだけれど。
理汪はひとまず、若干の放置をきめてしまった兄に反応を返すべく、浅く息を吸い込んだ。
「あ、そうなんだ」
なんともまあ気の抜けた相槌ではあったが、それ以外に反応のしようもなかったものだから仕方がない。三人兄弟での生活、道場を建て直すという姉の夢、その全てに金がかかるのは間違いないのだ。加えてスタンドという特殊能力の保持と引き替えに不定期な不調を抱える理汪の身体は、ただでさえ厳しい志村家の家計を医療費で圧迫することもしばしば。まあそこはこちらの繕いさえ上手く行けば、家で寝込む程度で済ませられることも多い。今回もその一パターンだ。とはいえ、こうして病院への連行が回避できようができまいが、世知辛い世の中でも三人力を合わせて稼ぎを得なければならないことに変わりはないのだけれども。
そんな状況にあるのだから、姉がより収入のいい水商売を選ぶのも時間の問題だったのではないかと思う。適職といえば適職だ。姉ほどあの世界を強かに生きられる女性もなかなかいないのではなかろうか。それにキャバクラ勤めをしていたからこそ、姉を一途に思ってくれる近藤勲という男に出会えるわけで。
理汪はお妙と近藤との交際については比較的賛成派にある。比較的、というのは、強くて地位もあって、何より姉に対する誠実さがある優良物件としての合格点に対し、いざ真選組と姉とを天秤にかけられたとき、瞬間的かつ絶対的に姉をとれるかという不安要素が残ることと……日常的に常識に反した行動が見受けられるというマイナス点が加わった結果による、曖昧な表現である。それでも、アホらしい日常の中に危険が潜むこの世界では、戦える、信頼の置ける人間が姉を思ってくれているということは強大な安心感へと繋がる。
姉のことは近藤に任せておけば心配ないと、この先そういう状態になるのであれば万々歳。理汪は姉よりもよほど危険と隣り合わせに生きていくであろう兄、新八の身の安全の方に集中できる。
この姉と兄に関しては、死にはしないだろうという認識があるからこそ、そこまで切羽詰った気分でいるわけではないけれど。
それでも可能な限り怪我はしてほしくはないし、安全に生きられるのであればそれが一番だ。欲を言えば厄介ごとには……いわゆる主人公組には関わらず、細々と道場の再建に努めてほしいところなのだが、残念ながらそうも言っていられない。兄の近況報告によればそんなものは既に手遅れである。
始まってしまった以上はどうしようもない。最低限できることを考えなければ。縁側からぼんやりと空を見上げて理汪がそう考えていると、まもなくして新八が静かに部屋を出ていった。ふすまが閉まる音でそれに気づいたわけだが、人のいなくなった室内を見てようやく、「あ、そうなんだ」以外何一つリアクションできなかったことを思い出す。だからといって、新八が出て行ってしまった後では今更どうしようもない。理汪は再び青空に視線を移して、ひと時の平和な時間を過ごした。





そんな≪第一話の後日談≫から何話分かまではハッキリしないが、ここまでの理汪の日常においては、新八、お妙以外の登場人物とはとことん顔を合わせない日々が続いている。
理汪は己の筆跡で埋められた日記のページをぺらぺらと捲りながら、そのほとんどが新八からの伝聞形式で綴られた、これまでの原作展開に関する記述を黙読した。
これを見るに、どうやらここまでの自分は原作展開とは一切無縁に過ごしてきたらしい。近藤勲の登場、真選組の登場、ここまで様々な出来事があったようだが、あくまでそれらの記述は新八に聞いた、ニュースで見た、新聞で読んだ、と間接的な情報となっている。
唯一といってもいい直接的な関わりを挙げるとすれば、自宅でお妙が求婚されたと言う話を聞いた際に、家の近くの電柱に張り付く近藤勲を直接その目で見た、という程度だ。一方的な目撃自体は他の登場人物に対してもあることだが、相手方にもこちらの存在を認識された可能性のある出来事となると、他に挙げられる例が見当たらない。
そりゃあ必要が無ければ関わらないのが得策だろう。何せ日常的に血が流れ、建物が倒壊し、ミサイルが飛び交うような世界である。決して殺伐とした世界ではないけれど、むしろ真逆の軽さが問題だ。爆発オチなんてザラ。流血騒ぎに対する扱いが軽すぎるぶっ飛んだ世界観。それほど日常的に≪危害≫が転がっている。
主人公組と行動を共にするとしたら、理汪のスタンドが一日にオートで肩代わりをする≪危害≫の量はどれほどのものになるだろう。この世界の負傷が、理汪にとって他の登場人物たちと同等の軽さである保証などないのだ。むしろスタンド能力を引き継いでいる点から察するに、基盤はジョジョ世界の基準にある気がしないでもない。
そうであるのなら、一話分付き合うだけでも、恐ろしいまでの負債が無意味に増えかねない。嫌だ。全力で御遠慮願う。
……今現在だって、自宅に籠っているにもかかわらず、あちこち爆発音が鳴り止まないのだ。
今日と言う日が原作上の日常回であるらしいことは、今朝の出来事からすぐに察することができた。下着泥棒が出たというお妙の発言が、記憶の中にある原作のシナリオと一致したのである。
できる限りを原作に関わりたくない一方で、争いごとから姉を遠ざけたい気持ちも同等に存在してはいる。普段がか弱いにカッコで笑いがつくとしても、本当の意味での危険を前にしてしまえば、やはりか弱い女性なのだ。ゆえに今日に関して言えば、薙刀片手に意気揚々と出ていく姉のそばについていたかったのが本心であった。
しかし運悪くスタンドの返済で不調に襲われていた理汪は、言われるがままに布団に横になり、眠る前に覚えている限りの今日を記すことでことで精一杯だ。すぐに終わらせるからいい子で寝ていてね、とお妙。危ないから部屋から出ないで安静にしてるんだよ、と新八。≪話≫の展開なんかほぼ覚えちゃいなかったが、まあ下着泥棒って日常回だから大事には至らないだろうと理汪も安易に頷いて、姉と兄に従い布団で静かに過ごすことにした。いや、是非とも静かに過ごしていたかった。
布団の中で目を閉じて一応とその努力はしてみる。だが爆発音に破壊音、悲鳴を上げる家屋の軋みがそれを許すまいとするように連続する。ぱらぱらと落ちてくる木屑が布団に積もるのもまたうっとおしい。理汪はこのぶっとんだ世界観に深くため息をついた。
「だぁかぁらあああ!静かにしろっつってんだろォ!」
「何言ってんだ眼鏡このヤロォ!乙女の敵を叩き潰すのにおしとやかもクソもねぇアル!おらそっち行ったぞ今すぐぶっ殺せェエ!」
お淑やかとは程遠い声は、面識のない兄の同僚のものだろう。一応、自宅で寝込んでいる弟を気遣っているのであろう新八の気持ちは有難いが、無駄な努力だろうからそう無理はしなくていいよと声をかけに行きたいところだ。しかし身体の不調からも、地雷原と化しているであろう騒ぎの現場に突入したくない気持ちからも、理汪の身体が布団の外へ抜け出ることはない。またしても響いた破壊音に、むしろ部屋から一歩も出ない決意が固まるばかりである。
とはいえ、この破壊音に爆発音。身近で聞いていると姉と兄の身が心配になってくる。死にはしない、その確信はある。だが日常回と言う雑さゆえに、ここで爆発オチが来かねないのが痛いところ。万が一そうであった場合、最低限姉だけはそんなオチに巻き込ませたくは無い。同性よりも異性を贔屓してしまうのは男のサガというものである。一応そんな展開から姉を守るための保険をかけておこうと、理汪は重い瞼を持ち上げて本の形をしたスタンドを出現させた。
「…………う゛ー」
だがしかし。爆発に巻き込まれる、という事態の重みに呻り声が漏れる。それは万が一が起こった場合、己が抱える負債の重みへの苦悩、というよりは……己とこの世界との間に存在している、悲しいまでの価値観の差に対する苦悩だ。『爆発に巻き込まれる』なんて、ここが別世界なら死んでた、と言いたくなるような字面であるにも関わらず、あくまでもこの世界の住人にとってみれば取るに足らない出来事なのである。切ない。本当にギャグ世界って理解不能。人間関係の崩壊には価値観の相違という理由がよく挙げられるけれども、今思えばあれはありきたりな言い訳などではなく、相当に重要な問題に違いなかった。価値観が違うってつらい。割と結構マジにつらい。
理汪はいまいち世界観に馴染みきれない感性と頭痛と寒気に苛まれながら、連なる肩代わりのリストに新たに保険を書き連ねた。必要なのは被害者と加害者と被害内容の記述だ。志村妙が志村妙に地雷を浴びせられる、志村妙が志村新八に地雷を浴びせられる、志村妙がエトセトラエトセトラ。有りうる可能性を書き連ねてから、理汪はぐったりと枕に顔を埋めた。しかしまだもう一人の身内が残っていることを忘れられるはずも無く、理汪はうんうん呻りながらほぼ同一の文章を、主語を新八として書き連ねていく。
ようやく保険を書き終えて今度こそぐったりと枕に沈んだ後、漏れ聞こえる外の騒音に耳を澄まして状況を探ってみた。誰かが誰かを汚い言葉で罵倒している。息をするような下品な言葉なんて今更だが、いまいち声が遠くてその内容までは把握しきれない。
もしかすると遠いのは声の発生源では無く理汪の意識そのものだったのか。その可能性が脳内に浮上して間もなく、何度目かの爆発音の後にどっと身体的不調が押し寄せた。あっ、察し。混濁し始める意識の中で綺麗なまでのフラグの回収に賞賛を送り、理汪は静かに眠りに落ちた。





理汪にとっての翌朝、運よくそのまま志村理汪としての翌朝に目が覚めた。地続きの明日は心地よい。本来なら、己の立ち位置と日付の確認後にそう抱けるはずの思いは、残念なことに目覚めた場所が病院であったことで虚しく萎んでいった。悲しいお知らせです、医療費がかさみました。
視線を動かすと、兄と姉がそばにいた。たぶんきっとこの状況から推測するに、下着泥棒の件が片づいた後に様子を見に来たところで、症状の悪化している理汪を見つけて病院へ連れ込んだという感じじゃあなかろうか。
ベッドへもたれ掛かっている兄と、椅子にかけてこくりこくりと船を漕ぐ姉。愛されてるなあと実感する。理汪は視線を窓の外に移し、朝日のまぶしさに目を細めた。
とりあえず、退院できたら裏賭博へ直行しよう。理汪はかさんだ医療費を穴埋めするという重大任務を胸に刻み、点滴のつながった腕を兄へと伸ばす。
「ん……」
「兄さん。にーいさん。しーんちゃん」
「……んん……ん?」
つんつんと肩を揺らして小声での呼びかけ。それに反応してゆっくりと目を開けた兄がはっと声を上げる前に、すかさずしぃーと大声を防止する。予防措置は効を成し、覚醒した兄は発声前に口元をぱっと手で覆い、一拍おいてから囁き声で話しかけてきた。
「理汪、調子はどう?」
「平気。俺いつ運ばれたの?」
「昨日の夜中。みんな解散してから様子を見に行ったら、どう見ても悪化してたから」
「自宅療養でよかったのに」
「馬鹿いうな。理汪、呼吸が危ないうえに揺すっても起きないし、寝てるんじゃなくて意識が無かったんだからね?強制入院だよ。……っていうか、その、そもそも昨日は家で寝かせとくべきじゃなかった。騒がしくなることは予測できてたんだし……ごめんね」
「別に、騒がしさって病状に関係はしてこないと思うんだけど。俺、極力入院はしたくない派だし、追い出されるよりよっぽどいいよ。それより解決した?」
「うん、それは大丈夫」
姉を煩わせる問題が失せたのであれば何より。理汪はちらりとお妙を見やった後、改めて新八の目を見上げた。
「……じゃあ姉さんを連れて帰って、ゆっくり寝かせてあげよ。ここ連日気を張ってたと思うし。今日も仕事でしょ」
「……言っとくけど、理汪はこのまま入院だからね」
「えー」
「当たり前だろ。まだ熱も高いくせに。あんまり駄々こねると姉上起こすよ」
「おやすみなさいませ兄上」
「はい、おやすみ」
自分がボケか突っ込みかと問われたらボケ寄りである自覚はあったのだけれども、声を荒げずにいる新八を見ているとまだまだ自分なんぞ大したボケではないことを実感させられる。別にボケの頂点を目指しているわけでもないのでまだまだも何もなく、どうでもいいっちゃどうでもいいのだが。
ただなんというか、こうして家族と日常的な会話しかしていないと、わりとまともな世界観かな、なんて錯覚に陥ってしまうのが危険なところだ。
「じゃあ、一旦家に戻るね。昼ごろにはまた来ると思うけど」
「んー」
昼の仕事の兄と夜の仕事の姉は、理汪の入院時には交代で様子を見に来る。嬉しいけど無理をして欲しいわけじゃないんだよな、だとか。どうせ看病でそばについていてくれるのなら、お妙も体が休まるようにやっぱり自宅療養がいいな、だとか。言いたいことは山ほどあったが、たぶんそのどれも今まで何度も繰り返しぶつけてきた談判内容であって、そのたびに跳ね除けられてきたものなのだろう。まったくもって折れてくれる様子の無い新八の態度がその証拠だ。
理汪は仰向けでいた身体を動かして、病室の扉を向くように身体を横たえた。動いたせいで感じたシーツの冷たさに一瞬身震いしつつ、布団を口元まで引き上げて改めて暖を取る。
新八はその間、引っつかんで来ましたという程度の荷物を抱えると、そのまま戸惑い無くお妙を抱き上げる。人の往来が無い早朝故の行為だろうが、これで結構男らしいところがあるよなあと理汪は素直に感嘆を漏らした。だってこの兄の肩書きって曲がりなりにも当流派の当主様だもんね。普通にかっこいいよね。
口にしたところでハイハイと受け流されそうな兄自慢は咳を堪えると共に飲み込んで、理汪は布団から僅かに出した右手をひらひらと揺らして見せた。





「こーら、ここは子供が立ち入っていい場所じゃないぞー?」
そろそろ金稼がなきゃやばい。日記に記されたそんな記述に危機感を覚え、いざギャンブルと出かけた水曜日の午後、閑散とした路地裏の奥。建物の隙間を縫うように進んだ先で、背後からかかった声にそう注意を受けた。
入り組んだ路地を振り返ると、そこには隊服を身にまとった近藤勲が立っていた。
どっしりとした体格に対し、いたずらっ子に困ったような目は柔らかい。たった今理汪が足を踏み入れようとしていた屋内に何があるのかぐらい、新選組局長という立場にある彼には分かりきったことなのだろう。
ギャンブルがしたくてここまで来たのだから言うまでもなく賭博場である。理汪のような未成年でも足を踏み入れられる、よくない方の賭博場である。
せっかく見つけた稼ぎ場所だというのにここで失ってしまうのは惜しい。ひとまずは素直に謝って、一旦引くのが賢い選択だろう。今ならば、面識のない子供がちょっぴりやさぐれた場所に興味を示した、という程度の認識で済む。少なくとも、近藤が今現在名前に向けている目は、手の掛かる思春期の子供全般に向ける類のものだ。個人を特定されている様子はない。
そう安心したのもつかの間。理汪の顔を見ていた近藤が、ふいに記憶の糸をたどるように、じわじわと困惑を表情に滲ませていくのが目に入った。あ、まずい。早々に危機を察知して、理汪はへらりと首を傾げる。
「はーい、ごめんなさい」
やばいやばい。あれは『この子どこかで見たことあるなぁ』顔だった。近藤とは言葉を交わしたことはないものの、彼のストーカー行為の余波により、志村家で顔を見られたことがある。うっかりしていたら、あれぇ君お妙さんのところの?と身元を特定されたあげく、姉兄にこの話が伝わって行動に制限がかかる可能性が。やだそれ困る。週一とは言わないが、せめて入院後には医療費分ぐらい稼ぎに来たい。
しかし嫌な予測ほど当たるというものだ。理汪が逃げるように踵を返した直後、「……あれ?君、どこかで……」という呟きが聞こえてくる。やばいやばい。心なし早足にその場を立ち去ろうと試みるが、間もなくして「あっ!?」と声が上がり、駆け足の音が理汪を追いかけてきた。
「ま、まてまて、待ちなさい!君、以前にお妙さんの家にいなかったか!?」
「えー?」
「いたよね!?やっぱりいたよね!?お妙さんと仲良くお茶を飲んでいたのが記憶に残っている!ご近所の子かな!?お妙さんとは随分仲が良いみたいだけど!」
「いやあ、ちょっと記憶にないですねえ」
「嘘だあ!だって君、買い物帰りのお妙さんと並んで歩いていたあげくそのまま家に招かれたりしてなかったっけ!?」
「うわ、めっちゃ見てる……」
「……ん?今君認めた?認めたよね?……あのときはご近所の子供とも親しくするなんてやっぱり素敵な女性だと思ってたけど、まさか、まさかだが……!」
「……うーん」
これはよくない展開。近藤の中で理汪とお妙がしっかり結び付いてしまった。間の関係性までは把握されてないにしても、お妙に理汪の話題が振られる可能性は決して低くない。プラスこのやかましい付きまとい行為を受けたままで表通りまで出てしまっては、当然人目を集めてしまうだろう。喜ばしい展開ではない。
……どう行動するか、路地を出るまでに結論を出そう。
そう決めて己の歩調というタイムリミットの中で設定した結果、理汪は表通りに直前にくるりと後ろを振り返り、近藤の目をじっと見上げた。
「俺とあの人の関係、教えてあげてもいいけど」
「な、なに!?」
「代わりに、俺がここにいたことは他の誰にも言わないって約束だよ」
返事は待たない、一方的な約束の取り付けで無理矢理小指を絡める。「ゆーびきった」と絡めた指を離してしまえば約束は成立だ。近藤の義理深さを信じれば、これだけで口止めは完了である。
「弟です」
あとはすかさず、相手が引けない状況を作るだけ。
「近藤勲さんだよね。俺は志村理汪です。姉さんのこと、頑張ってね」
にこにこ、にこにこ。フリーズした近藤を置いてここは一端退散。理汪はひらりと手を振って、路地裏を抜けて人混みに紛れる。
とりあえず、適当に時間を潰してまた来よう。一時間か二時間かすれば近藤も余所へ行くはずだ。
そう見越して、江戸の町をぶらついた後に戻ってきたのだけれども。
「こらこら、駄目だって言っただろう」
「あれー?」
「口だけ素直じゃいかんぞ、少年。お妙さんの弟くんなら尚更、危ない場所には行かせられんからなあ」
まさかの張り込みパターン。襟ぐりをつかまれて、またもや賭場の入り口で妨害を食らう。理汪は首をかしげて近藤を振り返り、純粋な疑問をぶつけた。
「ずっとここにいたの?暇なの?」
「張り込みも立派な職務だとも」
「ふぅん……でも俺お昼食べようと思ってふらついてただけで。迷ってうっかり変なところに行っちゃうところだったよ、危ない危ない」
「ははは、困った方向音痴さんだなあ!実は俺もそろそろ昼を食おうと思ってた所でな。一緒にお昼を食べにいこうじゃないか、未来の義弟くんよ!」
「奢りならいいよ」
「よおし、何が食べたい?」
「なんでもいいけど。お義兄さんは何が好き?」
「俺か?そうだあ…………。…………え、ごめん、いまのもっかい言ってくれる?」
「お義兄さんは何が好き?」
「も、もう一度」
「お義兄さん」
近藤のちょろさをくすぐりながら、この人やっかいだなあと真逆の感想を抱く。迷っただけ、なんて見え見えの嘘を追求することなく受け止めて、けれども決して理汪が懲りちゃいないことは見透かしている。
厄介だ。実に厄介で面倒だ。今日はもうあの賭場に足を踏み入れられる気がしない。家計が辛い。
稼ぎどころを模索する理汪と、姉との結婚を認められた気分で悶えている近藤とで飲食店の並ぶ通りを歩きながら、理汪は投げ遣りに「お義兄さん」を繰り返す。よくよく考えると少年にオニイサンと呼ばれて喜んでいるおじさんって傍目には結構ヤバイ。加えてがっつり職務中の近藤は隊服である。なおのことよろしくない。
ひとまずあけっぴろげな場所での視線から逃れるためにこじんまりとした食堂に入る。奥の席に対面で座り、それぞれ定食を注文した。
「……で、理汪くん」
「うん」
「少し真面目な話をするよ」
「どーぞー?」
咳払いで仕切り直して、近藤はそっと両手を組む。お説教タイムだなと察しつつ、理汪は背もたれに寄りかかって熱い湯呑みを両手で包んだ。
「なぜ子供が賭博というものをしてはいけないのか、わかるかな」
「そりゃあ色々と責任が持てないからじゃないっすかね」
「ちゃんと分かっているじゃないか。興味本意で手を出してずぶずぶと深みに嵌まってしまえば、そのツケは君の周囲の人々にもまわってしまうだろう。何より、相手が子供と思えば、よからぬことを仕掛けようとする輩もいる。君自身の身が危険にさらされる可能性もあるんだよ。ああいった裏賭場ならなおさらだ」
「うんうん」
ふーふーとかけた息が熱風となって跳ね返ってくる。湯飲みの中身は熱いわ、近藤の説教は熱いわ、もうちょっと温い方が好みなんだけれとも。
そっと伸ばした舌でお茶に触れてみて、予想通りの熱さに諦めた。再び息を吹き掛ける作業に戻る。
「君はその辺りのことはよくわかっているみたいだが、どうしてあんなところに行こうとしたのかな?」
「そりゃあお金がほしいからですとも」
「道場の再建かい」
「姉さんの夢だからねえ。それもあるけど」
「けど?」
「いやあ、俺、身体が弱くって。そっちのが大きい理由」
スタンドの負債さえ抱えてなければ別に悪かねぇけどな!とは当然口にはせず、理汪は湯呑みを置いてそっと遠ざける。
「時たま入院しなきゃいけなくなったりするんだけどさ。そうすると生きてるだけでお金がかかっちゃって」
空けたスペースに項垂れて近藤を見上げると、純粋に驚いた様子の目がこちらを見下ろしていた。しかし近藤はすぐに全て受け入れた様子で顔を引き締め、問いかける。
「こつこつ稼ぐのは嫌かい?」
「嫌じゃなくて厳しいんすよ。定時はいろいろと弊害があってさー」
理汪の稼ぎ方については、どの世界軸においても定時勤務は存在していない。というのも、あらゆるポジションのあらゆる時間軸を睡眠を区切りにランダムで過ごすという体質上、継続的な作業に向かないというのがひとつ。その日の生活そのものがすでに日記という引き継ぎ書を片手に挑む継続作業だというのに、さらにプラスして仕事という継続作業をぶちこむほどマゾではない。そんなの学生ポジションの時だけで十分だ。学習やあらゆるスキルの獲得についてのみは、全体的な自分のステータス向上に直結するのだから、まあマゾっ気全開で挑んでも損はない。
……なんて、誰に説明できるわけでもない事情の方は置いておくとして。
もうひとつが単純に、いつスタンドの負債という不調を抱えた状態で目覚めて、その日の自分が使い物にならなくなるかがさっぱり分からない……という所だ。これもまあ学生ならばまだしも、社会人が明日仕事休みますを連発するのには無理がある。
よって、資金調達はもっぱらイカサマギャンブルか投資によってなされている。原作知識や別ポジション等で得た世間の流れに関するカンニング知識を活用すれば、上場企業を見極める等の行為は造作もないのである。
だがしかし、当然近藤がそんな事情を知るはずもない。
心配はありがたい。ありがたいんだけども、それでもギャンブルがしたいんです。
とりあえず、来週はできるといなあ。淡い期待を抱いてへらりと笑ったところで、定食の盆をもった店員がやってくる。告げられた商品名に挙手をすれば、懐の痛まない昼食がすぐそこに。
「タダ飯ばんざーい。いただきます」
手を合わせて声をかけたら、一度途切れた話題が戻ってくる前に方向転換だ。理汪は「ところで姉さんのことだけど」と都合のいい名前を出しながら、みそ汁をぐるぐるとかき混ぜた。

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