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*オリキャラ、オリ解釈注意。





「この阿呆!」
びりびりと響く怒号に、思わず身がすくんだのは仕方のないことだろう。自分が極道の家に『生まれ直した』ことを自覚して早数年が経とうとしているが、この界隈独特の凄みにはなかなか耐性がつかない。
肩をすくめて目を瞑った母は、よくもまあ真正面からあの圧に耐えられるものだ。齢三つのナマエの身体は、突然の緊張状態に晒されてぴくりとも自由が効かないというのに。
だがしかし、声を上げた本人である祖父に冷静さが残っていたのは幸いだ。祖父こと組長は巻き添え状態のナマエをちらりと視界に収めると、そばに立っている青年に端的な指示をとばした。
「……治崎。外でナマエを見とけ」
「ああ」
治崎と呼ばれた青年は、短く返事をするなり、ナマエを拾い上げて部屋を出る。未だかちかちの身体では彼にしがみつくことさえ叶わないが、この潔癖性相手では、されるがままの方が丁度いいのかもしれない。
「……ちさき、なんでおかあさん、おこられてるの?」
「嬢には関係ないことだ」
辛うじて動いた口での問いかけは、素っ気ない答えで断ち切られた。
突き放すよう、というよりは、ただ単純に言葉通りの意味なのだろう。その証拠とでも言うように、ナマエが視線を持ち上げれば、しっかりと視線が返ってくる。
あー。参った、顔がいい。





ナマエは生前、ごく平凡な家庭に生まれたごく平凡な一般人であった。両親の仕事は堅気も堅気。ヤのつくお仕事に関わる人間とは全く無縁の生活を送ってきたという自信はある。
そんな自分が極道の家に生まれ直したことを自覚したとき、それはもう激しく身震いしたものだ。加えてヒーローだのヴィランだのという現実離れした用語が当然のように語られる世の中を認識してしまえば、激しい目眩からは逃れられず、無意味に周囲を騒がせもした。
死穢八斎會などというこの危険地帯。嬢などと呼ばれてはいるが、ナマエは組長の娘というわけではない。正確には組長の娘の娘。すなわち孫娘だ。私のことは姐さんとお呼び!などとのたまった母の発言がどれほどの影響力を持っていたのかはわからないが、いつの間にか母は姐さん、ナマエはお嬢ということで立ち位置は確立してしまっている。
ナマエはこの世界をよく知っているし、この立ち位置の危険性もよく理解している。まさに架空は現実に。生前のナマエにとってのこの世界は、紛れもないフィクションであった。
どうしてこんなことに、なんて考えるだけ無駄だ。自我が形成されはじめた二歳の頃から約一年間、真面目に考えてはみたものの、答えなんて欠片も出てきやしなかった。
ただ分かるのは、組長の孫娘という肩書きを持ったと言っても、あくまでも物語のキーパーソンとなるあの少女とは別の立ち位置にあるらしいこと。というのも、母には絶縁状態の姉がいるそうで、恐らくは後々そちらに設けられる娘こそが『巻き戻し』の個性を持ったあの子なのだろう。
まあ生涯会うことは無いかもしれない叔母の話は置いておくとして。
ナマエの母は、かわいい顔をしていわゆる問題児だ。ナマエの父に当たる男が名前も分からない行きずりの男、という点からも色々とお察しである。素行が悪い、というほどではないが、いささか頭のねじが緩い。
それでも自分の父親は大好きなようで、どれほど厳しくお叱りを受けようとも、実姉のように家を飛び出すようなことはしなかった。おかげでナマエは組全体に見守られる形で、ここまですくすくと育つことができたわけで。
ナマエには父親こそいないものの、義理と人情のもとに身を守ってくれる家族には恵まれていた。
治崎廻もその一人だ。
組の中では若い方ということもあって、彼がナマエの子守役にとあてがわれることは決して少なくはない。本人がそれをどの程度煩わしく思っているかはさっぱり読みとれないが、生前から引き継いだ意識をフル活用して手の掛からない子に努めている成果は出ていると信じたいところである。
今だって、「外でナマエを見とけ」という組長の命令をスマートに達成させてあげられるように、ナマエは大人しくソファに腰掛けている。そのため治崎は隣に座って本を読むだけで済むのだから、彼の中で少しくらい好感度が上がっていればいいなと思う。
後々組の実権を握るであろう彼に疎ましがられるルートは決して選び取りたくはない。いやそもそもが、ナマエが知るフィクション通りの実権の握り方は望ましくないのだが。
「あー。姐さんはまたお説教中でやしたか。……しかしお守りならテレビくらい点けてやったらどうです」
時折ページを捲る音が聞こえるだけの静かな部屋で、来訪者は気の抜けた声でそう言った。
玄野針。彼もまたフィクションでよく知る人物だが、現実で関わり合うと治崎よりは幾分もコミュニケーションが取りやすい。
「お嬢は本当に手がかかりやせんね。反面教師ってやつですか」
「……何か用か」
「ん?ああ、余所の組のことで組長に報告があったんですけど、こりゃあ待ちだなと」
「説教は今始まったばかりだ。当分後になるな」
「じゃあお嬢、俺と遊んで待ちやすか」
そう言うと、玄野はナマエの前にしゃがんで顔を覗き込んできた。矢印型の髪はいつ見ても摩訶不思議だ。ナマエはこの部屋の顔面偏差値の高さに感服しながら、こくりと一つ頷いた。
「よーし、じゃあ何しやすかね」
「なんでもいいよ。くろのがしたいの」
「この部屋にあるものなら……トランプでもしやす?」
三歳児相手にトランプって妥当なんだろうか。正直その辺りの感覚がよく掴めていないのだが、玄野が提案するのだからそれでいいかと再び頷く。
玄野も三歳児を相手にしているという意識は多少なりともあるようで、引き出しから取り出したトランプを切ると、テーブルの上に無造作に並べ始めた。なるほど、たぶんこれは神経衰弱だろう。確かにこれならば一対一でも遊べるうえに、細かいルールの理解も必要ない。使用するカード枚数がさり気なく制限されているところに子守力を感じる。
ナマエはソファから下りてテーブルの前に膝を突き、裏返しのカードを眺めた。
準備ができると、玄野は「カードを捲って同じのを探すんですよ」と簡単な説明をして、どうぞとナマエに先手を譲った。
この三年間、思えば神経衰弱なんて初めてだ。その辺りのルールを知らないはずの子供としては、今の説明だけでどう行動すべきだろうか。少し考えて、ナマエはとりあえずカードを二枚捲って「ちがうね」と口にした。そこで玄野の顔を見上げてやれば、「じゃあカードを戻して、今度は俺が探しやす」と開いた二枚を伏せ直してくれる。
よっしこれでお手本は示されたってことで普通にやっていいかな。
三歳児らしさを追い求めて無駄に気を使うのはいつものことだ。下手に精神年齢の通りに振る舞うと、天才児扱いをされて、後々痛い目を見かねない。
何事も無難に。ほどほどに。
そうして一ゲームを遊び終えると、背後ではいつの間にやらページを捲る音が止んでいた。
「……ちさき、くろのとあそぶ?」
「いや、いい」
振り向いて問いかけてみるが、治崎はカードの無くなった卓上を眺めるだけで、自らゲームに参加しようとはしなかった。だというのに本はもう閉じられているこの状況。次のゲームを待っているのだろうか。
背後から治崎に見られながらだなんて、別の意味で神経が衰弱してしまう。
「お嬢が遊ばなくていいんですか」
「ひとがあそんでるの、みるのすき」
遠回しに二人で遊んだら、と伝えるべく玄野の問いに答えるが、「廻と二人で神経衰弱なんかしても」と微妙な反応が返るだけであった。
だったら将棋でもしてくれればいいのに。正直、それを横で見ていたい。将棋のルールには明るくはないけれど、多少の興味は持っているのである。だがしかし、いきなり将棋を打ってと言うわけにもいかないのが歯痒いところだ。ここは大人しく諦めて、子供らしく次なる遊びに挑むほかない。
「くろの、なにしたい?」
「お嬢は何したいんですか?」
「くろのがたのしいあそび」
いや、分かってる。「晩ご飯なにがいい?」「なんでもいいよ」と同義のくだりは、質問者には全く求められてはいない。ぶっちゃけ大人が三歳児を相手にしては、何をしても楽しい遊びなんて無いだろう。
それでもこの回答をぶつけてしまうのは、三歳児らしい遊びがさっぱり分からないからであって。三歳ならこれくらいが丁度良いかなあ、と客観的に判断されるレベルの遊びを提示して貰わないことには、身体年齢と精神年齢の矛盾がどこかで浮き彫りになりそうで怖いのである。
ほらこの玄野の思案顔。逆の立場であれば、ナマエもきっと微妙な顔をしていたことだろう。申し訳ない。
「この年頃の子って何して遊ぶのが丁度いいんですかね。幼稚園にでも行ってれば普段何してやすか、って聞けるんですけど」
「そろそろ出すって話じゃなかったか」
「あ、やっぱそうなんですか。……やー、でも心配になりやすね。三つ四つなんて、個性が出始める時期じゃないですか」
「……」
「コントロールの効かないガキに怪我でもさせられたらどーしやしょ」
世間話が始まった。無理に子供らしい遊びを考える必要が無くなったのは喜ばしいことだが、その話題はあまり喜ばしいものではない。
幼稚園。個性。
確かに、そろそろそんな時期だ。
しかしながら、玄野にはよくよく空気を読んでほしい。治崎の機嫌が静かに降下したことが分からないのだろうか。
……いや、これは分かった上でだな。分かった上で気にしていないやつだ。
ナマエは困りながらに治崎を見上げた。彼にとって個性とは病気。その思想に準えるのであれば、未だ個性の発現していないナマエは病気にかかる前の純粋な状態と捉えられていたりするのだろうか。
これで発現後に汚いと思われたらショックだ。ストレートに傷つく。
そもそもこの身に個性が発現するのかという疑問は残るのだが。
正直この点に関しては、発現するにせよしないにせよ複雑なものがある。
個性が発現すればこの世界を生き抜く武器を手に入れることになるが、同時に前線へと駆り出される正当な理由も発生することになる。対して個性が発現しないとなれば、それすなわち戦力外通告だ。超人社会における裏社会に身を起きながらに、安全圏に避難する妥当な理由が手に入る。
楽しそう、なんて楽観的な視点で見れば個性は欲しい。治崎に嫌われたくない、なんて保身的な視点で見れば、個性なんて欲しくない。
悩ましい。なまじ治崎の顔がいいだけに悩ましい。いや、顔がいいだけならともかくとして、恩義を抱く組長の孫娘ということでまともに接してくれるからこそ悩ましいのだ。
端的に言ってナマエは、治崎廻が結構好きなのである。
なんてことを思っていると、まるで読まれたかのようなタイミングで本人と目が合うのだから心臓に悪い。加えて何を思ったのか、手袋越しとはいえ、頭を撫でられてしまっては完全敗北だ。
これはもう早速訂正するしかない。ナマエは治崎廻がかなり好きである。
やがてお説教を乗り越えた母が「うええん、お父さん絶対カルシウム足りてないってぇ」などという舐めた発言と共に生還するまで、ナマエはそわそわと落ち着かない時を過ごすのであった。