▼真くんちの居候


「お世話になります」
「ん」
肩掛けバッグの中身は簡単な着替えや携帯、充電器の類のみ。ほとんど身一つの状態で此処に居るのは、病院からそのまま直行しろとの指示を目の前の彼から受けたためだ。
先日、過労により倒れているところを一人暮らしのアパートで発見されると言う事件を引き起こしたナマエは、お世話になっていた一人暮らしのアパートを取り上げられ、同じく高校で一人暮らしをしていた同い年の従兄弟の家へと放り込まれることとなった。それこそがこの男、花宮真である。
休日ということもありラフな格好で部屋の戸を開けた彼は、特に大きなリアクションも無くナマエを家へ招き入れる。まあ、それなりのリアクションは数日前、入院中の病室に一度だけ顔を出した際にしっかり見せてもらったわけだが。それにしたって、心配と言うよりは呆れ、なおかつ話題のほとんどはいわゆるルームシェアの話が決定したことに関する、荷物の搬送はこちらで済ませる云々の事務的報告のみである。
別に文句はない。むしろそのほうが楽だ。ナマエはあらゆる点において自分よりよほど頼りになる真の指示にうんうんと素直に頷いた。ちなみにこれは幼稚園時代からの話である。長年にわたって染みついた習慣ってこわい。何かあっても真がいれば大丈夫だなー、がスタンスなのだ。恐らく、学校が別でなければ今以上の駄目人間になっていたであろう。
「一応ベッドやら服やらの必需品は運んである。家電は売り払って構わないっつー話だったから、お前が私物の整理を済ませたら処理する」
「ういーっす」
「解約手続きなんかでしばらく面倒だからな。覚悟しとけよ」
「あいあいさー、まこちゃんに任せりゃ心配ないね」
「てめぇがやるんだよバァカ。バイトの件は全部電話済ませたんだろうな?」
「済ましたよー。すんげえ申し訳ない思いしながらもまこちゃんの指令を全うしましたとも」
「申し訳なく思うなら最初からぶっ倒れんなよ」
溜息をついてリビングのソファに座る真。の、指示に従い正面のソファに座るナマエ。一人暮らしにしては広いアパートだなあ、と思いながら無駄な物のない空間を眺めていると、そんなナマエを見ていたらしい真から「で?」と急にお声がかかり急遽視線をそちらへ戻した。
「で?って?」
「理由。そこまでバイト詰めてまで何か欲しかったのか?」
「いや?」
「じゃあ何だ。家賃も生活費も出して貰ってんだろーが。親の世話になりたくないなんてタマでもねえくせに、どうした」
「んー……」
そもそもナマエが高校の時点で一人暮らしをすることになった理由と言うのは、別に深い事情があってのことではない。ただ海外に渡る両親への同行を拒否しただけ。つまりもとより切迫した資金面の問題があったわけでもなく、家賃、生活費は真が言った通り普通に親が出してくれていたわけで。やはり必要に駆られて働き詰めたというわけでもない。
ナマエは視線を斜め上の空へ向けて小さく唸る。問われた答えを探そうとするのだが、ハッキリしない。
遡って遡って、そもそも自分がバイトをはじめたきっかけを思い返してみる。高校一年、一人暮らしの生活サイクルにも慣れ始めた頃。部活所属が強制であった中学とは違い、特に何かの部活に所属しているわけでもなかったナマエには放課後の空き時間が山ほどあった。やることねーな、とぼんやりしていた数日後にふと思い立ってはじめたのだったと思う。たぶん。ちなみにここで部活に入ると言う選択肢が無かったのは、これといってどの部活にも魅力を感じなかったからだ。そして部活と言うものは、大小あれどいくらか金がかかる。特にやりたいわけでもないものに金を費やすのもなあ、と思ったがゆえの、どうせなら稼ぐか、という結論だった。確か。
といっても最初は近場の本屋で週3程度のバイトひとつだった。それがどういうわけか、あれこれ掛け持ちをしていつの間にか空き時間と言う空き時間をつぶすような形になっていたわけで。
「……気付いたらバイト充になってたとしか……」
「散々考えたうえでの結論がそれか」
「散々って、三十秒くらいしか経ってないじゃん」
「うるせえ。この俺が三十秒も黙って待っててやったんだよ」
「うううん……だってさあ、やることなかったんだよ。勉強だって必死にやんなくても問題ないし」
「だから霧崎にくりゃあよかったんだ。半端な偏差値のとこにいくから余計そうなんだよ」
「霧崎でもかわんねーじゃん。まこたんほど頭良くもねえけどさ」
ぶーぶーと口を尖らせてみたら心底うざそうな顔をされた。ちょっと悲しかったので膝を抱えてそっぽを向いておく。
「あー……またやることない日々に逆戻りか……」
「他のこと探せ。なんか趣味でも作れよ」
「何にもないから働いて時間つぶしてたんじゃん。あーあ、どうすっかなあ……金かかる趣味は嫌だしなあ……」
「家事」
「それって趣味?」
「趣味じゃなくてもやれ。俺はお前と違って部活があるからな。暇人が中心でやれ」
「……あー……バスケだっけ?バレーだっけ?」
「バスケ。お前ほんと何にも興味ねえな」
「失礼な。真には興味あるって。その付属品をちょっと忘れやすいだけで」
付属品、という言葉がどこかおかしかったのか、真は「ふはっ」と笑って頬杖をついた。あーこの笑い方昔から好きだったわー、とぼんやり思いながら、ナマエはそんな真を眺めてみる。
真とはそれこそ物心つく前からの付き合いだ。父親同士が兄弟で、同じ時期に同じ年の子供を持ったことで家族間の交流も多かった。花宮真と花宮ナマエ。姓が同じだったこともあり、幼い頃は真を完全に同じコミュニティに属する人間だと思っていたことがある。一時期ナマエが真の家に預けられるような時期があったせいだ。
昔からナマエの両親はどちらも多忙。国内外をあちこち行き来することも多々あり、片方が欠けた環境を経験することも多かった。そんな中、いつでも傍に居る誰かという意味で最も存在感が大きかったのは真だ。真の家も真の家で両親は多忙。ちなみにどちらの花宮も金持ちの部類に入る家庭であったので、二人まとめてシッターの世話になることも少なくはなかった。そう、基本は二人まとめて。行く先がナマエの方の花宮か、真の方の花宮か、花宮以外の他人のところか。違いと言えばいつでもそれだけだった。
そうであるから、幼稚園の頃などは特にべったり。この頃にはぼんやりしがちなナマエと、手を引いて歩いてくれるしっかりものの真、という関係性ができあがっていたわけだが、それも流石に小学校低学年からは多少なりとも薄れていった。小3でクラスが分かれたことが一番大きかったとは思うが、恐らく真がその頃からバスケをはじめたことも要因の一つであったと思う。とはいえ、夜は大抵どちらかの家に一緒に居たので、寂しいと言う感情はそれほど大きくはなかった。
真との物理的距離が開き始めたのは中学からだ。この理由に関しては明らか。ナマエの家が引っ越したため。それと共に進学先も別になったためである。
この時期、ナマエの両親の海外渡航は殆どなかったうえ、帰宅が遅いながらも家に誰もいないなんて日はめったになく、偶然にも真の欠けた部分をフォローするような環境に恵まれていた。部活が強制であったこともあり、どうしようもない暇を感じるようなことはなかったわけだ。真とも、時折メールをして連絡は取り合っていたので、精神的距離が埋めようもなく離れていたわけでもない。
しかし高校進学の時期。今までの両親の在日期間は嵐の前の静けさに過ぎなかったことを理解する。今後本格的に海外での活動が増えていくとのことで、ついに国外へ移住することが両親の間で決まったのである。しかしナマエとしては海外というのはまだ避けたい選択肢のひとつ。ましてやあの親のことだ。今移住をしても、またすぐに別の場所へ移動するということがあってもおかしくない。国内ならまだしも、国外でそれをやられるのは精神的にキツイものがある。
というわけでナマエが選んだのが、一人でもこのまま日本に残るという選択肢であった。両親は特に渋ることも無くそれを受け入れた。高校生ということで心配もいらないと判断されたというのもあるだろうが、根本がそもそも、そういう親なのである。
進学先として今の高校を選んだ理由は、単に通っていた中学からの進学率が多かったからだ。家は両親と暮らしたアパートの一室をそのまま。そこからでは少し距離がある学校ではあったが、大した障害ではないのでそのまま進路を変えることもしなかった。
そうして決めた進学先を真に報告したとき初めて、真が隣町の霧崎第一に進むということを知った。聞くところによると、進学と共に真も一人暮らしをするらしい。物理的距離がちょっと縮まった。しかし精神的距離はちょっと離れたままだった。
高校一年を過ごし終えた頃には立派なバイト充と化していたナマエだが、それを辛いと感じたことはなかった。むしろ、やることが詰められていた方がいい。昔から、何かしらの方向性が決まった道を指示されるままに進む方が性に合っていたのだ。自分で何かを考え、何かを決めていくのはあまり得意ではない。
だからこそ、何をしていいかわからない時間を作るよりは、何かすることのある時間の方がいい。家に帰ったら倒れるように眠る。起きたら学校へ行きバイトへ行って、帰ってきてまた眠る。我ながら完璧なサイクルだと思っていた。残念ながら全く完璧ではなかったわけだが。
こんな生活を送っているものだから、中学時代に比べて真とのメールの頻度は格段に落ちて行った。真も真で部活が忙しいらしく、物理的距離が縮んでいるにもかかわらず、精神的距離は縮まらない。そんな矢先、ついにナマエの気付かぬところで身体的限界がやってくる。朝、連絡も無く欠席をしたナマエを心配して、その日のうちに担任がわざわざやってきたのだ。一人暮らしをしている生徒だと認識していたからこその対応だろう。一向に連絡がつかない生徒を心配してくれたわけだ。
結果としてそれに救われたナマエは、目が覚めたら病院、という状況に唖然とするほかなかった。何しろ自覚がなかったもので。担任には無理をするなとそれはそれは心配そうな顔をされた。友人にも、お前いつもバイトバイトって心配してたけどやっぱヤバかったな、とやはり心配された。
翌日、両親からお怒りの電話がかかってきた。昔から真ちゃんがいないと自己管理もできないんだからと叱られた。無理ばっかりして!ではなく、加減がわからない馬鹿な子!である。
お話の方向がちょっとばかしずれているのではないかなあなんて思いながら説教を聞き流していると、話はいつの間にか一人暮らしが駄目なのよ、という方向へと固まってきた。一人じゃ倒れてても発見されないから、ということらしく、やっぱり真ちゃんにお願いするしかないなあ、とのことで。真ちゃんのとこからなら今のアパートよりも高校も近くなるでしょ、あっちも一人暮らしなのよ知ってた?ちょっとお義兄さんに聞いてみるわね。とんとん拍子に進む話に口を挟む暇などなかった。
ちなみに、様子を見に自分たちが緊急帰国するという選択肢はない。期待もしていなかったがやはりそういう親なのである。
さらに翌日。連絡を受けたらしい真が入院中のナマエの病室へとやってきた。何年ぶりだろうというぐらい久しぶりに見る顔だった。成長期を経ていくらか印象は変わっていたが、懐かしさは感じる。ずかずかと病室へ入ってきて椅子に座る真をぽかんと眺めるナマエであったが、真の方にそんな感慨はなかったようで、ただ少し不快そうに顔を歪めてから今後の予定を速やかに告げ始めた。ふむふむ、うんうん、りょうかいー。ナマエが口にしたのはその三語程度だった。久しぶりーすらなかった。今思えば寂しい再会だ。
だが、真も真で忙しかったのだろう。その日は病院による前にナマエの家に寄って着替えやら何やらを取ってきてくれたらしいし、そもそも管理人に鍵を開けてもらったり何だりのために証明資料やらを用意してくれたり。
おかげで退院日はその足で、ほぼ身ひとつのまま真の家に向かうだけで済んだわけだ。しばらく留守にした家の管理に追われることも無く、すぐにでも久しぶりの硬くないベッドでゆっくり休める。真さまさま。相変わらず頼りになる。別に眠くはないのでこんな昼間から眠りはしないが。
ナマエは改めて真を眺めてみる。見ても見ても見飽きない。真の欠けていた時期が長かった分、色々と足りなかったものを脳が補充しようとでもしているのかもしれない。実際に口に出すと馬鹿げて聞こえる説だが、感覚的に思っているだけならば妙に腑に落ちて感じる。
視線に気づいている真はそんなナマエに何も言わない。というより、ナマエと同じことをし返しているのだと思う。頬杖をついて首を少し傾けたままじっとこちらを見る真。を、膝を抱えて組んだ腕に顎を乗せたままじっと見る。
不快感や気まずさはない。中断させようとしないあたり、真もそうなのだと思う。室内から音が消えて数分。見つめ合うだけの時間なんて傍から見れば奇妙だろうが、ここにこの状況を傍から見れる誰かはいない。
「……まこと」
再び室内に音が戻ったとき、ゆうに十数分は経過していたかと思う。呼び掛けに瞬きだけで答える真は先程から全くといっていいほど動いていない。ナマエも負けず劣らず微動だにせずにいたわけだが、ふと思い立ったことを口にするためには唇を動かさずにはいられない。ので、真よりは動いていることになるだろうか。
「おれ、趣味、花宮真にしよっかな」
「……あ?」
告げた言葉に、ここでようやく、真が動いた。左手から頬を放して呆けた顔をする。
「興味あることだし。金かかんないし」
「……つまり何をするんだ?」
「…………真くんを見つめる?」
「……金とってやろうか」
「やめてー」
からからと笑って両手で自分の目をおおってみる。「いまいくら?いくら?」とふざけて訪ねてみると、「十分一万」とふざけた回答が返ってきた。またおかしくて、笑う。
「花宮割引してー」
「どうすっかな」
ちら、と指の隙間から一瞬真を覗き見る。真はそれはそれは意地悪そうな笑みで指の隙間のナマエの目を見て、「一秒カウント」とくつくつ笑った。
結局花宮割引が適用されて無償直視が許可されたのは数分後の話だ。久しぶりの満たされた感覚に思考がふわふわして仕方がなかった。
「で、昼どうする」
「なんでもいいや」
「何でも食えんのか」
「うん。別にお粥とかじゃなくていいよ」
ひと笑いして落ち着いたタイミングを見計らい、真がソファから立ち上がってキッチンへ向かう。その後ろをひょろひょろとついていきながら、開かれた冷蔵庫を真の肩越しに覗き込んだ。ちょっと背伸びしなきゃ視界がよろしくなかったのは悔しいが仕方がない。運動部と非運動部の差だ。甘んじて受け入れよう。
「じゃあなんか作るか」
「お手伝いしますか」
「当たり前だ。割引前の一秒分を払ってもらなきゃなんねーからな」
「肉体労働ばんざーい。俺の見事な包丁さばきで真くんを骨抜きにしてやろう」
「そういやお前、料理は?」
「いや、さっぱり」
即答したナマエの額に前方から手刀が入る。あでっ、と声を漏らすも、そんなナマエを放置して真は必要らしい材料を黙々と取り出していくので、ちょっと構ってほしい気持ちも含めて、がくりと倒れるようにして真の肩へと額を押し付けた。
「邪魔。どけ」
「ナマエくんから返事は無い。ただの屍のようだ」
「喋る死体があるかよ。つーかお前、自炊もできないでよく一年生きてたな」
「真くん、世の中にはまかない飯という素敵な言葉がだね」
「そーかい」
「それより何つくんの?」
「炒飯」
具体的な昼飯のイメージが出来るようになったおかげで食欲が湧いてくる。ナマエは真の肩に乗せていたものを額から顎へとチェンジ。まな板の上に置かれた野菜を覗きこむが、包丁を手にした真は流石にこのままの体勢を許可できないようで、「危ねえからあっちで待ってろ」と顎でリビングのソファを示した。
食べさせてもらう身としては文句も言えないので、仕方なく体を起こして先程座っていたソファに戻る。ただしくるりと向きを変えて、顎はソファの背もたれへ。視線は真の後ろ姿へ。
「なー、俺料理できた方がいい?」
「そりゃあな」
「そっか。しゃあ練習する」
「ああ。その気なら後で晩飯の手伝いしろ。慣れるまで朝昼はしなくていい……そういやお前、学校はいつから復帰だ?」
「んあ?普通に明後日。月曜日から行くよ」
「弁当は?」
「作ってくれんの?」
「俺が作る気のあるときだけな。……なら弁当箱も買わねえと」
「あー、買い物かあ。いつ行く?ってか何買う?」
とんとんとん、と包丁がまな板を叩く音がする。これをこんな静かな生活空間の中で聞くのは久しぶりだ。バイト先の騒がしさの中でなら幾度と聞いていたが、こういう雰囲気は随分御無沙汰だった。家庭の音って感じがするぞ、と少し感動。そして包丁を扱う後ろ姿から窺える筋肉に嫉妬。あとで力こぶ見せてもらおう。つつかせてもらおう。
「お前んちの片づけが終わってから足りないもんを補充するつもりだった。けど月曜からなら先に適当に買い物行った方がいいな。この後行けるか?」
「おー、行ける行ける。ちなみに片づけは?」
「明日」
「今日じゃないのか。一応病み上がりの体を気遣ってくれたわけだな、まこちゃん」
「有難く思え」
「やっべ、ありがてー。あ、買い物ついでに本屋寄ろ。料理本一冊買って帰ろ」
「買うからにはコンプリートしろよ」
「あいあい」
背中を向けられているので向こうには見えないのだが、それでもなんとなくの敬礼。切った野菜を炒める作業へと移行するらしい真の姿を見ながら、ナマエは「あ、電気の方だ。家のと一緒でよかったわー」とガスの方ではないキッチン設備に馴染みを覚えたのであった。