▼ダービー三男は情状酌量を求む


『ワンパン気絶で勘弁してちょ><そしたらDIOサマの秘密を教えてあげるよ☆』
手帳に書かれたふざけた文章は、今まさにテレンスへ無数の拳を叩きこもうとした瞬間、それを掲げるへらりとした少年の笑みと共に承太郎の視界に入り込んできた。
「……っ」
一瞬の判断で叩きこむ拳を一撃に押しとどめるのは、急ブレーキを踏みこんだ車が止まれるか否かというのと同程度の難しさがある。
それでもどうにかラッシュに突入する前に抑えた拳は、一撃とはいえテレンスの意識を奪うには十分であったらしい。承太郎は『ワンパン気絶』に当てはまる状況に陥ったテレンスの身体がソファの足元まで吹っ飛ぶのを見送り、ひょいと足をあげて実兄だという男を避けた少年をじっと睨みつけた。
「承太郎?なんじゃ、手加減か?意外じゃの……」
「誰が好き好んで手加減なんぞするか。……ガキ、その場しのぎの繕いならてめえも巻き添えだぜ」
びし、と指さした先で、ソファから下りた少年は意識のないテレンスの傍にしゃがみ込み、その頬をつんつんと指先でつついている。その後も頬をつねったり白目を向いた顔の前でひらひらと手を振ったりと、特に焦った様子もなくただ意識の有無を確認しているだけのようだ。
承太郎が彼へ確実に距離を詰めていっても、恐怖や焦りといった感情は見受けられない。むしろこの状況に戸惑っているのは後ろに居るジョセフと花京院の方だ。ほぼ背景と化していた一見無害な少年の行動が目に入っていなかったらしい二人の戸惑いが「どういうことだ?」と承太郎の背中に投げかけられた。承太郎は少年が手にしたままであった手帳をすっと抜き取り、彼らの疑問に答えるようにそれを背後へと投げ渡す。あの舐め切った文面を読み取ったらしい二人が息をのむ気配は振り返らずとも感じ取ることが出来た。
「なっ……少年、DIOの秘密を知っておるのか!?」
「うわ、でっかい声出さないでよ。ばれたら怖いじゃん。うりうりうりー」
ふざけた文面同様、口をついて出る言葉もふざけた調子である。
「……ジョースターさん、彼の言葉を信用していいのでしょうか。恐らくは彼もスタンド使いでしょう。これがまた、何らかの策略である可能性は……」
「うむう……しかし、ここで何も聞かぬままというわけにもいくまい」
秘密を喋ってもらうと散々迫っておきながら、いざそれを提示する輩が現れた途端に戸惑う。人間心理の弱点と言う奴だ。阿呆らしいと思う反面、承太郎にも気持ちはわからないでもない。
そもそもこの少年、最初から意味がわからなかった。この空間に引きずり込まれたときからあるその存在の異質さは、空間そのものの異質さでもって、かろうじて紛らわされていたように思う。
最初は二人のスタンド使いを相手にするのだとばかり思っていた。この空間を作っているのが彼なのかと、異質な空間でソファに寝転がる少年を全員が視界に捉えた。テレンスとのやり取りの最中も、決して彼から意識を外さぬよう意識した。しかし彼の存在に関して、率直にテレンスへ質問をぶつけたジョセフが引き出したのは、「弟です」という簡潔な回答。かつ「あれはいるだけなのでお気になさらず」というなんとも反応に困る補足情報であった。
実際のところ、ゲームが始まってから終わるまで……テレンスが優勢から劣勢へと追い込まれるすべての過程において、少年がこちらに対して何らかの反応をする姿は見られなかった。とはいえ、気にするなと言われてはいそうですかと頷けるわけもなく、一番手となった花京院が激戦を披露する間もあくまで承太郎は少年への警戒を怠らずにいたのだが。それでも少年が何かをしようとする気配は一切無かったというのが事実だ。彼はただただ仰向けに寝転んだソファの上で本を読みふけっていただけ。カウンティング、の文字がタイトルに見えたあたりで、彼の一番上の兄だという天才詐欺師の姿が思い浮かんだが、そのせいでなお強く持った警戒は結局杞憂に終わったはずだ。
何にしても。今ここで彼が開示しようとしている情報に関しては、まず聞くという選択肢以外ありえないだろう。聞いたうえで、それを鵜呑みにするか否かをこちらで考えるべきだ。
承太郎は少年を見た。少年も承太郎を見ていた。交わった視線で、承太郎は言うならさっさと言え眉を寄せて発言を促す。少年は笑った。
「DIOサマの能力は時を止める能力だよ」





「ふむ……気付かれるはずがない、とまでは言わんが……いささか早すぎるとは思わないでもない」
屋敷から遠く離れたカイロの街中で、考え込むように口元に触れたDIOは静かに目を細めた。
「なあ、承太郎。ひとつ聞いておきたいんだがなあ」
「てめーの質問に答える義理はねーぜ」
「まあそう言うな。お前たちはテレンスを倒したようだが……その場には弟もいただろう。アレはどうした?」
それは、己のスタンド能力に関する情報の漏洩、および漏洩元を確信した言い草であった。これにうっかり反応してしまったのは隣にいたジョセフで、決定的な言葉を放ったわけではないにしろ、ぎくりとした震えが肯定を示してしまったことは変えようの無い事実である。
DIOの能力が少年の口にした通りの能力であると確信した時点で、ジョセフの中であの少年は庇護対象と化していたのだろう。そもそもが自分たちに対して一切の無害であった存在だ。開示された情報が正確であったとなれば、証人保護という意味でも彼の存在はあくまでDIOに伏せておくべき情報として位置づけられる。ここまでジョセフが決してあの少年の存在を口にしようとしなかったことからも、承太郎にはそれがよくわかっていた。
「ああ、やはり奴か。ダービー兄弟はそろってある種の強かさを持ってはいるが……一番厄介なのはあの三男だったな。やはりこのDIOの能力にも気付いていたか」
「……それは勘違いというやつじゃな、DIO。あの少年のことなら……」
「フン、まあいい。アレの件は貴様らを片づけてからだ。どうせ兄を引き合いに出せば飼い慣らすのは難しくはない」
後になって思えば、この場面で承太郎が抱いた違和感というのは、DIOの呟きに『始末』という選択肢がなかったことに対してのものだったのだろう。だがあくまでも、あの時自分たちが身を置いていたのは重いタイムリミットと生死をかけた対峙の場。DIOが会話をやめて承太郎たちの方へ集中した時点で、承太郎もまた名も知らぬ少年の存在など、違和感と共に意識の外へと放り出していた。





名も知らぬ少年の名を知ったのは、エジプトでの死闘から数日後。DIOの屋敷の探索を終え、物事の整理の過程でDIOの配下のその後についてを耳にしたときのことだった。
長男は精神的、次男は身体的理由から入院中。その両者の看病という形で三男もまた傍におり、ダービー兄弟はそろって財団の監視下の病院に身柄を確保されているらしい。
本来ならそこまで聞いたところで承太郎の反応は「そうか」で終わるはずである。しかし怒涛の日々が落ちつき、考え事をするだけの余裕ができた頃にふとよみがえる疑問がある。DIOがなぜリオに対して『始末』という選択肢を当然のごとく除いていたのか、だ。とはいえこれに関しても、本来ならば必要情報を財団に尋ねる等の干渉のみで終わるところ。少年に会いに行くと言う選択肢は浮かびさえしないはずであった。
『ノート』のことが引っかかりさえしなければ。
「なぜDIOの能力を知っていた」
「なぜも何も、兄さんも知っていたことだけど」
「次男については『側近』、長男については『トリックを見抜ける才能』という理由がある。だが三男についてはまだ引っかかる。DIOはお前が自分の能力を知っていると『察して』いただけだ。あくまでてめえに対して開示されていた情報ではない」
「んー、それだとイマイチ引っかかりの理由が薄いんじゃないかなあ。俺は『側近の腰巾着』であって『天才詐欺師の弟』だよ。たまたま知る機会があった、次男からこっそり聞いていた、そもそもが長男と同等の才能を持っていた……三男についても十分な理由が浮かんでくるはずだけど。本当に聞きたいことがあるなら率直に聞いてほしいですねえ」
リンゴが剥きかけなんだ、と首を傾げた少年の名はリオと言うらしい。彼が寄りかかる扉の向こうには仲良くベッドに眠る上二人のダービーが居る。
承太郎はどう答えるべきかと思いあぐねた。しかしまだ口を開いてすらいない承太郎の発言を遮るように、リオが突如として片手を張り出す。
「あ、待って、言わないで。探偵ごっこすることにした。当たってたら自販機で何かひとつおごってね」
張り出しているのとは逆の手の指を額にあてた考える仕草は、全くもって場の空気にそぐわない。人払いをした病室前で、この少年だけが一切の緊張と無縁の空気を醸し出している。承太郎はといえばイエスともノーとも、そもそも一言も反応を示してすらいないのだが、リオの中ではごっこ遊びは決定事項であるらしい。間もなく、待て、を示していた手が人差し指だけを残して握り込まれ、一を示して突き出される。
「まずひとつ。あのDIOサマを倒すほどの切れ者くんが こうも苦しい言い分しか用意できなかったのには、どうにも焦りを感じずにはいられない。そもそも人はなぜ焦るのか。それは何かに追われるからに他ならない。その何かは、突き詰めれば全て時間、が答えである」
「……」
「では今ここに差し迫っている時間とは何か。一番に思い浮かぶのは明日予定されている俺の聴取だね……じゃなくて、聴取である」
口調なんざこだわることじゃあねえだろうが。と突っ込めなかったのは、彼のごっこ遊びがその第一段階から的のど真ん中を射ていたためである。
「ふたつ。なぜ先程の会話が遠回しであったのか。考えるまでもなく、知らないのであれば知らないままでいてほしい事柄であるから、である」
これもまた、正解だ。
「みっつ。以上の二つを統合するに、彼には『自分以外の誰にも知られたくない情報』があるらしい。それはDIOサマに関わる何か。そしてそれは恐らく――」
みっつ、を示していた三本指は、再び人差し指一本になって真っ直ぐに承太郎へ。
「『天国』のことだね。ワトソンくん」
第一射からど真ん中を射ていた推理はそのままズレることなく結論のど真ん中を貫き、リオの確信に満ちた目もまた真っ直ぐに承太郎の目を射抜いていた。
百点満点の正解だ。承太郎が彼の元を訪れたのは、彼がDIOの能力を知っていたのと同じように、DIOが考えた『天国』についても何らかの情報を持っている可能性があると考えたから。承太郎はDIOが描き残した『天国』に関する記述を目にした時、それをこの世から永遠に失われるべきものであると判断した。だからこそあのノートを焼き払い、その中身については永遠に口を閉ざすことを決意したのだ。だが自分以外にそれを知る誰かがいるとなれば、その誰かの口から外へ漏れるとなれば、全くもって意味が無い。
だからこそ確かめる必要があった。明日に控えるリオの聴取で、万が一外へ情報が漏れる前に。
「ささ、正解なら自販機へ行こう!」
「……てめー」
「続きが聞きたいのなら認めるしかないよねえ。俺はカフェオレを所望する!」
ゴーゴー、と図々しく背中を押すリオは、先の推理の間違いなど微塵も予期している様子がない。そこにあるのは揺るぎない確信のみ。それが見当外れでないからこそ、この厄介な展開に舌打ちをせずにはいられない。だがここに情報源があると考えれば悪いばかりではないのだろうか。あくまでも、承太郎がことをどう転ばせられるかによるのだけれども。
「リンゴは仕方ないな。擦れば茶色くても一緒だし」
この食えない少年が何を狙って自ら情報の所持を認めたのか。それを読み取るべくしてリオを見下ろしてみるが、そうするまでもなく、疑問の答えには案外簡単にたどり着ける。
――兄を引き合いに出せば飼い慣らすのは難しくない。
いつかの吸血鬼の呟きがそれだ。リオは恐らく、情報を手札に……あるいは『天国』の秘匿を手札に、兄に関する取引でも持ちかける気でいるのだろう。
「脅されてたのか」
「ん?何が?」
「あの館で、だ」
「ああ、DIOサマね。別に歯向かいもしなかったからなあ。……あ、間違えた。今のは被害者ぶって同情を買うべきところだった」
自販機に辿りつき馬鹿正直にそう零したリオではあるが、言葉とは裏腹に本人は全く残念そうな様子もない。それどころかくるりと振り返った彼の顔に浮かんでいたのは笑顔であり、「ん」と差し出された手はしっかりと代金を請求してくる始末である。そもそも承太郎は先ほどに賭けに乗ってすらいないというのに。
それでも溜息と共に承太郎が財布を取り出したのは、たった数百円で彼が対話に応じる姿勢を示していたからだ。二百円を受け取ったリオは希望通りにカフェオレを購入すると、律儀に釣銭を承太郎の手のひらへと返した。その後リオは腰をかがめて商品の取り出し口に手を伸ばすが、缶に触れたその手は直後に素早く引っ込む。続いて「こっちも間違えた!」と上がった声から察するに、アイスの方を望みつつホットのボタンを押していたのだろう。うーうーと空しげな声を漏らしながら缶を両の手で世話しなく転がしているリオの姿は、何とも気の抜けるものである。
承太郎はその姿を数秒無言で見つめ、ため息を飲み込みつつ口を開く。
「遠回しは無しなんだろ。言え。てめーは俺に何を求めてやがる」
率直に本題に切り込んだ。伸ばした袖で缶の熱さを防いだらしいリオは、承太郎のストレートな切り込みに瞬きをひとつ。
「俺から兄さん達を取り上げないでほしい。それだけ」
返された言葉は承太郎が想像したものよりよほど簡潔で、単純で、それでいて内に多くの意味を含む、切実な望みであった。

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