▼囚われのお姫様な花京院弟


笑うしかない。攫われ囚われなんて男の沽券にかかわる事態だ。もういっそ笑い飛ばすしかない。
だからエジプト旅行はやめようと言ったのに。エジプトエンカウント回避のため、あれほど王道ヨーロッパアピールをしてきたというのに。ヨーロッパなら将来お友だちと行く機会も多いと思うけどエジプトとなると案外機会は少ないものよ、と母に優しく諭されながらも、決して折れることなく最後の最後までゴネてみせたのだというのに。
普段ゴネない理汪くんの貴重なゴネですよ。聞いてくれたってよかったんじゃねーの。
しかしながら結果は惨敗。別にどこでもいいという顔の典明は援護射撃をくれやしないわ、末の子に決定権はないわ、結局は押し切られるようにしての地獄のエジプト旅行である。生まれながらのスタンド使いであったお陰で折角の病弱設定持ちであったというのに全く活かせていない。何ゆえ厳しい環境に連れ出すのか。農場で育った子は強いって言うでしょ系ママなりの身体の弱い息子への気遣いか。あえて厳しい環境へ連れ出すってか。病弱設定が仇になったのか。
目覚めて既に空の上に居た時には絶望した。流石に弟が可哀想になったらしい兄から「行けば楽しいさ」と申し訳程度の慰めを受けながら、行ったら楽しくないことが待ってるんだよとは言えないままに不貞寝を決め込んだのだったか。そんなこんなで、せめてと書き込んだ『花京院典明がDIOに肉の芽を埋められる』の保険と共に全力で吸血鬼から逃げたい家族旅行が開幕。そうして間もなく、家族にとっての楽しいエジプト旅行は末の子を失った家族旅行という形で閉幕した。
結論から言おう。理汪は囚われのお姫様ポジションなうである。
現状に至ってしまったことに関しては理汪にも非がある。ゴネた以上はどう強引にでもその方向に押し進めなければならなかった。下手に嫌がった記憶だけを家族に残して『家族旅行中に行方不明』とは、最低のミスだ。最悪の傷だ。
とはいえ懸命に抗いはしたのだ。典明が誰かにスタンド能力を目撃されないようそれとなく誘導したし、日が沈んでからは出歩かないよう努力もした。周囲に知った顔が無いか常に警戒は怠らなかった。それでも出会ってしまった吸血鬼からはおえっとなりそうな兄の背を押しながら逃亡したし、その後は兄に手を引かせることで理汪が殿を務める形を取り、背後からの攻撃があれば盾になれるよう陣形を組んでみたりもした。保険として書き込んでいた危害の代行だってしっかりと働いてくれたのだ。二度目を防ぐだけの時間を作ることはできなかったが。
そもそも理汪とDIOのスタンドは、スタンドの正体を隠すという点においては中々に相性が悪い。理汪のスタンドがこの身に降りかかる危害をオートで無かったことにしてくれると言うのは、そうなるはずであった物事の運びを、そうならない物事の運びにねじ曲げてくれるということだ。銃弾が逸れて当たらなかった、殴ろうとした加害者がうっかり躓いた。頻発さえしなければ、傍から見ればそれら全てはあくまで偶然。そこにスタンドの力が働いているとは気づかれにくい。
しかし相手がDIO、もといザ・ワールドである場合。時止めを仕掛けた上で起こる『偶然危害を与えられなかった』は不自然が過ぎるのだ。この場合、まず大抵が『首の傷が開いたせいで』だそうで。これが繰り返し、理汪に何らかの危害を加えようとするたびに起こる。これでスタンド能力であると気づかれない方がおかしい。
そういうわけで兄を連れた懸命の逃亡劇の最中、早々に見破られた理汪のスタンド能力の一部は見事にDIOの興味を買ってしまった。そりゃあ目の前に決して傷つけられない何かが存在するとなれば、そこに何らかの利用価値があるのではと考えるのが妥当だ。時を止めてなお害することのできない子供。触れるだけなら?その限界点は?肉の芽さえスタンドの力に弾かれて埋め込めない以上、彼は己の探究心を満たす答えを理汪に自ら差し出させることもできない。従えられず殺すこともできないとなれば、DIOも手元に置いておくのがひとまずのベストと判断したようで。それでもあくまで無敵範囲が自己防衛しか能が無いと誤魔化しさえできれば平穏への第一歩が築けるわけだが、今回ばかりはそう上手くは行ってくれなかった。典明肉の芽防止措置の時点で路地の鉢植えが落ちて来る『偶然』がDIOの目の前に起こったせいだ。普段理汪は己のスタンド効果を他者にも適用できることを極力伏せてはいるものの、気付かれてしまえば終わりというやつである。
結果としてDIOの暇つぶし兼スタンド能力解明および懐柔ためにと、ものの見事にお姫様ポジションに収まってしまった。
ここで念のため断わっておくが、あくまで理汪には止まった時間を認識することはできない。決死の逃亡中、瞬いた一瞬の後にようやく背後から腹部へ回る太い腕に捕らえられている自分を認識したし、走っていた兄が倒れていることにも、その額に蠢く存在があることにも、すべてが終わってようやく気づくことができた。
「なるほど、触れるだけならば構わないわけか」「ではこのまま腕をへし折ろうとしたのなら?ああ、やはりだめか」「怪我の回避に限定されるのか?刺し傷、切り傷、打撲、特に決まりごとはないのか」「先程君の兄にも一度だけ偶然が起きた気がするが、まさか君の能力だったのかな?」……あれこれと耳元で問われるそれは、すでに彼なりの検証を行ったうえでのものだ。理汪の認識できない範囲で、スタンドのリストには多大な項目が追加されてしまったらしい。おかげで彼に出会うまでそう悪くなかった体調が一気に悪化。突如増幅した負債を抱えて、激しく咳き込んだ直後の記憶はない。
この次にあたる記憶というのは、すでにDIOの館の中である。以降の記憶は八割がベッドの上。というのも、間に別の世界軸を挟んで健康そのものな完済状態となっても、突然けろりとする理汪に新たなスタンドの規則性を見出そうと試みられては負債地獄が始まってしまうのである。最初の出会いで突発的な高熱を発症したせいで、DIOの中では既に体調不良とスタンドとの間に関連性があると検討をつけられていたのだ。
おかげてもっぱら発熱中のお世話をしてくれるテレンスに頼りきり。朦朧とした意識で見上げる彼をうっかり兄さんと呼んでしまう失態まで犯してしまった。あのポジションと状況が似てるんだよややこしい。館に滞在していて体調を崩すとテレンスに世話をされるなんてほぼ一緒じゃねーか。そして傍から見れば小学校で先生をお母さんと呼んじゃうようなアレじゃねーか恥ずかしい。勘違いに気付いた後のやっちまった感が忘れられない。抱きあげられた拍子にうっかりすり寄ってしまったのはきっと夢だった。夢に違いない。このポジションで彼のイエスノースタンドによってあれこれ暴かれた恨みは忘れちゃあいないのである。でも暇すぎる時間を一緒に遊んでくれるので嫌いじゃないよ。兄に危害を加えていない今のところは。
さてはて件の典明であるが、こちらもきれいに原作をたどって空条承太郎抹殺命令を持ち帰ってしまった。肉の芽を埋められた以上は彼に会ってもらわなければならないのでそこまでは仕方がないとして、本音を言えば以降平和に日本で暮らしてほしいところ。そりゃあ無理な話だろ、というのはわかっているが。
肉の芽を抜かれた後の典明の中にDIOからの逃亡時の記憶が鮮明に残っているのであれば、当然そこに弟がいた記憶もあるだろう。となれば行方不明の弟の居場所もほぼ判明したも同然だ。誰も理汪に危害を加えられないことは典明もよくわかっているので、命の面に関しては手遅れの場合を想定してはいないはず。だからこそ余計に行かなければという義務感が働いてしまうかもしれない。まいった。
やはりエジプトか、私も同行する。やつから弟を取り戻さなければならない。
きっとそんな台詞でめでたくパーティ入りを果たすのだろう。嬉しくない。自分が兄を奮い立たせる一因になっているなんてもっと嬉しくない。典くんにはエジプトででっかい死亡フラグがあるんだよ、ちょっと我慢しててくれたら吸血鬼のご臨終後に帰れると思うから踏みとどまってよ。身体的にはしんどくてもわりと平和に過ごしてるのだ。今だって。
「ほら、スタンドを出してみろ。ちょっとした実験じゃあないか」
「やぁだぁー。誰かさんのせいで死にそうなんだよー。聞いてよこの荒い呼吸を。苦しそうだろーが。苦しいんだよ」
「可哀想に、汗をかいているな。このDIOも首の調子がよくなくてな」
「自業自得って言うんだ。お互い健康に生きようよ。おやすみ」
「ンッンー、気遣いは不要だ。たまにはテレンスに変わってこのDIOが直々に遊んでやろうじゃないか」
「いらね。理汪、お家帰るー」
先程からぷんぷん飛んでるハエが煩わぷんぷん丸である。冷や汗で張りついた髪もまた邪魔くさい。それを耳にかけてくださる手は冷たいので許してもいいが、爪が長いせいで微妙にくすぐったいのでやっぱりお邪魔くさい。加えてこの人公式バイ発言がうんぬんかんぬんだからやることなすことやらしく見えるのだ。勘弁してほしい。理汪ははベッドにうつ伏せになって顔を半分枕に埋めながら、目を閉じて「あ゛ー」と唸り声を上げた。
「……ヌウウ……」
そこにふと、頭上から唸り声。
「……まただ。今、また何者かに見られている感触を味わった……ぞ」
「まじか。うわやった。お迎えの気配きたー」
「やはりジョナサンの子孫か。この肉体が何らかの魂の信号を子孫どもに送っている」
「帰ったら何すっかなあ。とりあえず日光浴しよ。ここにいるとモヤシが加速する」
「いいだろう。宿命とも言うべきか。始末すべき宿命、抹消すべき因縁。既に手は打った」
「つか俺出席日数やべーな。留年かなあ。めんどくさいなあ」
お互い自分の世界に入っているので会話は全く噛み合わない。そもそもが会話でなく独り言合戦なので当然だ。
何にせよどうやらようやく五十日間の一日目がスタートするようで。となるともしかしてさっきのハエくんはアスワンウェウェバエだかツェツェバエだかそういうヒント的なあれだったのか。煩わしいなんていってごめんよ。遠い東の地へ情報を運んでくれてありがとう。
さて、あとは大事な兄の死亡フラグをどう叩き折るか。死亡場面の書き込みはこのポジションを理解してすぐに済ませているが、相手は徹底的に理汪のスタンドを解明したいお年頃の吸血鬼である。腹パンを回避しても兄の安全レベルは著しく低いままだ。
そもそも、DIOがこうも理汪のスタンド解明に熱心なのは、それを己に適用できれば多大な利益を得られるからだ。例えばそこに日光による被害を阻止する可能性があるとなれば、それだけで利用価値はありすぎるというやつである。となれば、典明の身の安全と引き換えにDIOサマの言うことを聞くルートは最終手段として存在しているわけで、最悪の場合、カイロでの合流後に理汪が典明を足止めしさえすればあとはどちらに転んでも兄は無事作戦でいけないこともない。一応承太郎サイドに情報提供を出来そうな雰囲気であれば協力は惜しまないつもりでいるが、花京院典明戦闘不参加の弊害で正義敗北ルートが発生した場合にも備えておく必要はある。となると理汪は己の利用価値をアピールしておくべきで。しかし手の内を明かしすぎても逆に危険が生じる可能性もあるわけで。
難しい。DIOに出会ってしまった時点で既に色々ハードモードだ。最大の後悔はやはりそこ。エジプトへの旅券は早々に燃やしておくべきだった。どう足掻いても滅茶苦茶怒られるけど。

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