▼ダービー三男と身内の修羅場


町で偶然見かけてしまった光景に、まず「げ」と思った。その記憶はある。町で連れ添って歩いていたのは、一番上の兄と、二番目の兄の恋人だった。後に間違いなく面倒事に発展することはわかっていたので、その時は当然のごとく見ないふりをした。ああいう時はどちらの味方をしても面倒なだけだ。
あれか。あれが原因なのか。
リオは突如激しく揺れたソファの震動で目覚めて一番に、蹴り飛ばされてこのソファに突撃してきたらしい一番上の兄の姿にぎょっとした。確認するまでもないダービー家三男のポジションは、流血沙汰の修羅場でもって快適とは言い難い目覚めを届けてくれたようだ。
飛び起きた拍子にかけられていたブランケットがずり落ちそうになるのを咄嗟に阻止しつつ、リオはソファの上に縮こまって満身創痍の長男から距離を取ろうとする。しかしここで取るべき行動が『早々にソファを降りてこの場から退避する』であったと気付くのはこの直後であった。
「このッ、低俗なッ、生ゴミッ、以下ッ!」
「ぐっ、げっ、ごほっ」
「ひっ!?」
上から次男、長男、三男。すなわちテレンス、ダニエル、リオ、である。
そういうわけで話は一旦冒頭に戻り、はるか昔に見たような問題の場面に喧嘩の原因を推測する。まあ実際の原因が何にせよ、このバイオレンスな状況自体への戸惑いはない。ダニエルが十も年下のテレンスに酷く痛めつけられるのはままあることであり、それがダニエル自身の自業自得であるというのだから「やめてよ兄さん!」と身を挺して守りに向かう気にもならないのだ。
問題は、テレンスがダニエルに蹴りを入れ続けるこの態勢。ここまで蹴り飛ばされたダニエルを追ってきたテレンスはカツカツと競歩並の足取りでやって来たかと思えば、あろうことかソファの背もたれに両手をつき、前屈みに重心を預けた状態で追撃を始めたのだ。当然、ソファで縮こまっていたリオはソファとテレンスの間に挟まれ、逃げ場がない。
鬼の形相がごくごく近い。血走った目が向いているのはあくまでソファの足元に転がるダニエルであることはわかっているけれども、一蹴りごとに途切れる罵倒の言葉も相まって、ついつい情けない悲鳴が口をついて出てしまった。ぐえっぐえっと漏れるダニエルのつぶれたような声はこの際どうでもいい。問題はやはり、リオの視界にあるテレンスの方である。
やべえ怖い。人形相手にアハハウフフをしている気味の悪さとは違ったガチ系の怖さである。これだから根っこがチンピラ気質な輩は。リオはせめてとさらに距離をとるようにズルズルと体を落としていき、ついには再びソファに寝そべる形でぺたりと体を倒した。がつんがつんと蹴りの振動を受ける柔らかなソファの上で、そろそろとブランケットを口許まで引き上げて薄っぺらい盾を装備してみる。この状況で視覚情報を完全にシャットアウトしてしまうことはさすがに恐ろしいので、目元は覆わぬまま、テレンスの怒りが一段落つくのを待つことにした。
ようやくバイブレーション機能付きと化したソファが何の変てつもない静かなソファへと戻ったころには、流石に加害者の息も切れている。いくらか荒く肩を上下させたテレンスは、ふう、と息をつくとともにソファの背もたれから片手をはずし、乱れた髪をかきあげた。その最中、気だるげな視線がちらりとリオに向き、
「……具合は?」
「あ、はい。大丈夫」
「ならいい。眠るときはちゃんと暖かい格好をしておけ」
「ういっす、あざっす」
弟としての顔はさらりと兄としての顔に切り替わった。中間子の二面性というやつだろうか。この切り替えの早さは尊敬に値する……と思えないのは、単にぶちギレモードから戻ってきたに過ぎないことをわかっているからだ。だってさっきまで全然こっち見えてなかったもんね。下手に刺激したくはないのでお口はチャック。





「兄さんもあほだねー」
「おい、今のは良くない。この角度だと丸見えだ」
「ありゃ。……どう?」
「駄目だ。もう一回」
「うーん。どうだ!」
「もう一回。手首をもう少し曲げろ」
「ほい!」
「及第点だな。もう一度」
身体中痛々しい包帯に固定されながらも、ダニエルの口だけはいつもの調子だ。リオはベッドのそばに座ってトランプカードを弄くりながら、兄の指摘に従いやり直しを繰り返す。
天才詐欺師直伝のイカサマはあちこちで役に立つのでダメ出しは喜んで受け入れる。無料受講のなんとありがたいことか。
「ねー、彼女そんなに好みだった?」
「いや、寝とりたかっただけだ」
「あーね。やっぱり」
「お前、いただろ。あの日」
「たぶん。知ってましたかって聞かれなくてよかったわ。イエスイエスイエス!」
「どうせ『殴れない』だろう。そもそも、聞かれたところでお前なら小突かれて終わりだ」
「知ってる。いい子だからね」
「いい子はイカサマなんかしないがね」
「バレなきゃあイカサマじゃあねえんだぜ」
「はっ」
未来で出会うかもしれない某主人公からの受け入りの台詞を、その大元である本人を前に発言してみる。そうとは知らないながらにダニエルはリオの主張を鼻で笑うが、どことなく嬉しそうなのは気のせいではないだろう。次男にイカサマなんぞ考え方が古いと散々否定的な反応をされてきた反動だったりするのだろうか。個人的にはいつどの時代でもイカサマには散々助けられているので、時を越えても廃れることのない強力な一手だと思うのだが。もちろん、細かい技術には温故知新の姿勢が絶対的に必要ではあるが。
「てかさー、心を読むのもイカサマじゃないの?」
「解釈の問題だろう。土俵にもよる」
「あー。持ってる人と持ってない人ってこと?」
「ああ」
「じゃあ次男もほとんどイカサマじゃん。いつも持ってない人相手だし」
「持ってるやつがそうそういないからな」
「兄さん、兄弟以外で会ったことあんの?」
どうせいつかは山ほど出会うことになるわけだが。リオは視線をシャッフル中のカードに落としたまま、いつかはやって来る面倒ごとに内心ため息をつく。第三部という本番はまだ訪れてはいない。そのきっかけとなる存在がどのようにしてこの兄弟に接触を図ってくるのか、情報が足りないことが厄介だ。
「あるな」と答えるダニエルには、まさかとは思うが念の為の確認をしておかなければならない。リオは「へー。どんなやつ?」とあまり興味はありませんけどという態度で問いかけるが、その程度にでも興味を持つ時点でもう兄から見れば珍しい反応であったらしい。面白いものを見るような目がこちらを向いた気配がする。
「興味があるのか?珍しいじゃあないか」
「や、今後うろついてんのとバッタリ会ったらめんどいじゃん」
「それなら心配することはないな。もううろつくことは出来やしない」
「そーなの?ならいいや」
どうやら長男が出会った名もなきスタンド使いはすでにコレクションの一部だそうで。少なくとも黄色い吸血鬼にはまだ出会っていないらしい。年齢を考えればそうだろうとは思っていたけれど。
まあ長男次男のどちらも命を落とすということはないのだ。何もしなくとも長男は精神的に、次男は身体的に重症を負うだけだ。だけ、といっていいのかは微妙なラインだが、こうして時折鎌をかける程度の確認作業でも、取り返しのつかない事態になるということはない。
そもそもが黄色い人と関わらなければ安泰なのだが、あちらがスタンド使いを探している以上はその時点からの回避は難しいと考えるべきだろう。となると吸血鬼サマの配下となるルートへの抵抗は諦めるとして、重要なのはその先をどうするか。悩むまでもなく、後の平穏を思えば吸血鬼のご退場を願うべきだろう。彼の配下にあったという経歴によって危険なスタンド使いとマークされてしまえば身動きはとりづらくなるだろうが、延々と戦いを命じられるであろう未来よりはよほど安全だ。
そう決めたところでできることなどないし、打倒吸血鬼などという姿勢で積極的に何かをする気もないのだが。
いつか来る未来では恐らく、兄達を通してリオのスタンド能力はDIOに開示されてしまうのだろう。とはいえ兄達とて全てを知っているわけではない。利用価値は示さぬよう努めて、基本は兄のおまけという付属物スタイルを貫かせていただこう。リオはただぼんやりと、正義が悪を倒すまでを待っていればいい。そうすれば大抵はいい方向に転ぶはずなのだ。あとは正義の名のもとに下されるであろう兄たちへの制裁を、どうにか軽減できさえすればそれで。

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