▼3


五歳の高熱事件。この時にスタンドが発現したのはジョースターのつながりが原因だったのか、双子の神秘が原因だったのかは定かではない。何にしても理汪が片割れである仗助と同時期にスタンドを発現させて熱にうなされたのは事実であるが、しかしながら高熱の原因が五十日の因縁的な余波であったのか、スタンドの抱える負債が理由であったのかもやはり定かではない。
とはいえ不定期に理汪が負債を抱えることになったきっかけは客観的に見ても五歳の高熱だ。以来、理汪の病弱さはもっぱらその後遺症だと考えられている。きれいさっぱり持ち直した仗助は自分の手に入れたスタンド能力でも解決できない弟の様子に多少敏感なこともあり、中学生の頃まではぴったりそばに寄り添うことが常だった。理汪もこれはあくまでスタンド能力の一部であって、と説明できればいいのだが、説明したところで招く複雑なあれこれの方がよほど重たいことはわかっていたので、スタンド能力そのものについてもきれいに知らないふりを貫いている。
小さい頃の仗助には申し訳ないことをしたと思っている。周囲がスタンド使いだらけの今ならばともかく、昔は自分にしかない不思議な何か、というのは扱いに困ったものだろう。見えはする、と理汪がスタンドの存在だけ肯定したのは、仗助に己は異質だと言う疎外感を抱かせることなどできなかったからだ。おかげで、中途半端な情報の提示が己の手の内を晒す一因となってしまったわけだが。
それにしても双子でそろって回復系というかサポート系というか、ともかく前線系じゃないのはなんだかお揃いっぽい。と一瞬思ったけれど、クレイジー・ダイヤモンドは回復系の一方でオラオラ系もといドラドラ系のガッツリ前線型でもあったので、全然お揃いじゃない事実に即刻気付いてしまった。理汪のスタンドで前線となったら本の角で殴ります、くらいしか物理技が思いつかない。虚しい。
とまあ、防御一方受け止め一方なこのスタンド能力では第四部の諍いに巻き込まれては対応のしようがない。というか本当に自衛と少しの死亡フラグ回避のお手伝いしかできないので、基本的には関わらずに待機という姿勢を貫いてきたのだ。
何より、理汪には「家族」の範囲を必要以上に広げることを避けたい気持ちがある。
そのために必要なのは何と言っても兄離れと弟離れ。仗助と行動を共にすることはイベント吸引器と街を歩くも同然である。そういうわけで中二中三あたりからじわじわと仗助とは別行動をするよう努めはじめ、高一には完全なる別行動を実現させた。登下校までキッチリ別にするのはなかなかに骨の折れる作業であったが、おかげで第四部については基本的にノータッチで進めることができた。もちろん序盤のアンジェロ戦については少々話が別だ。あの日の理汪は体調不良のためお休みしますの連絡をしていたおかげで当然のように家にいることができたので、スタンド入りの偽ブランデーを開けようとする祖父を止めることには成功した。あくまでスタンドなんて知りませんといった顔で開封を阻止した瓶を仗助に手渡したときには、事情を知らない限りは大げさにしか思えない感謝の仕方をされた。直後にベッドを出ていることを咎められて強制的に戻されるわけだが。
空条承太郎と顔を合わせた、というか目があったのはその一瞬だけだ。
以降、東方家に侵入するという愚行を働いてくれたエニグマについてのみ朋子に被害が行く前に背後から一発KOを決めさせて頂いたが、それさえ除けば他は特に何事もなく第四部は終わりを告げて、理汪は危険のない日常を取り戻したはずだった。
だというのに、最強の名を冠するスタンド使い様は、その優しさでもって理汪の小さな平穏をぶち壊した。






「あんたたち、どうしたの」
「ちょっと喧嘩」
「うわ珍しい。仗助がなんかした?」
「いやー、俺がなんかした」
「うっそ、ますます珍しい。で、何したの」
「隠しごと。ばれちゃって」
「……はーん。さては原因に女が絡んでるな?」
「いやー、男かな」
「ちょっとやだ、嘘でしょ?本当?」
「本当。参っちゃうね」
「……まー、間に一人挟まってるだけでもマシか」
「ちょっとちょっと、母さんそんな目で見てたわけ?息子ショックだわー」
「だってあんたら昔っからベタベタベタベタ……「オイそこの二人!本人に聞こえる距離でのソレはやめろ!喧嘩じゃねーし女でも男でもねーしそーゆーのでもねえ!!」
どーん、と空気を震わす怒鳴り声。直前にはプッツーンと堪忍袋の緒がブチ切れる音もあったに違いない。キッチンに肩を並べていた理汪と朋子はリビングのソファでこちらへ声を上げた仗助を振り返り、顔を見合わせてから肩をすくめた。つんと唇を突きだす仗助のあれは昔からの不貞腐れた時の癖だ。それを見てつい笑ってしまうと、仗助は歯を軋ませて今度はグルグルと威嚇じみた顔をする。
「仗助、唸ってるくらいならアンタも手伝いな」
「唸ってねえ!」
「唸ってんじゃないの。ほら、弟を見習って皿片づけて」
くいっと顎でこちらを指す母のひと声。基本的に我が家は祖父も含めてこの人に頭が上がらないので、納得いかないといった顔をしながらも仗助は重い腰を持ち上げて理汪の隣にやってくる。
「……仗助、別にいーよ?もうすぐ洗い終わるし」
「いい。どうせ暇だった」
そっけなくも返事はするし、きっちり皿を拭き始めてくれる。先ほど仗助が声をあげたように喧嘩とは少し違う気まずさだ。お互いどうしようもなく腹を立てているわけではないけれど、間に少々のわだかまりが出来てしまっている。家でも無意識に視線を逸らす等の仕草でぎこちない空気が醸し出されていたのだろう。そうでなくとも、母親は子供の様子に敏感なものである。
「それ終わったらもういいから、部屋行って話し合いでもしてきな」
丁度皿洗いが終わった辺りで再び母のひと声。濡れた手を拭きながら、それは仗助次第だなあと理汪は隣に視線を送る。すると予想外に真剣な目がこちらを見ていたものだから、思わず緊張して息をつめてしまった。朋子は何食わぬ顔で包丁を握り、晩御飯の準備をはじめてしまっている。
「……」
「……」
沈黙が数秒。とん、とん、とまな板を叩く包丁の音を聞きながら、先に目を逸らしたのは理汪だった。他意はない。他意はないんだけれども、悪いのは自分だという意識がついつい仗助の視線に怖気づいてしまうのだ。
なにせ間違いなく仗助は悪くない。隠し事をしていたのは理汪であるし、容赦ない暴露をしてくれた年上の甥も、間違ったことは言っていない。
さてどうしたものか。自業自得とはいえ現状にはそれなりに落ち込みながら、理汪は静かに目を伏せる。と、ついに隣からは拭き終わった食器を置く音がして、次の瞬間には理汪の腕は無言の仗助に掴まれていた。きつい握力を感じた頃には理汪の体は先を歩く仗助に引っ張られ、若干足を踏み出しづらい姿勢のまま、二階の仗助の部屋までを引きずられて歩く。ようやく手首の圧迫感が消えた時、荒い足取りのままに放り込むわけでもない手の離し方が、やっぱり仗助だなあと呑気に思う。
「……理汪」
「うん」
「……あー……くそ……とりあえず座れよ」
「うん」
お前の弟はスタンド使いだ。承太郎がそう暴露をかましてくれたのはここでいう数日前だ。言うだけ言って彼が去って言った後、庭先では今のような沈黙が流れていた。
どういうことだと問われる前にごめんねと謝ってから逃亡を図った理汪だったが、玄関に入った辺りで壁ドン・バイ・クレイジーDによって進行方向を塞がれて、追い付いた仗助もまた追い打ちをかける様にして己のスタンドに重なる形で距離を詰めてきた。どういうことだと問う目は、プッツン三秒前と言わんばかりのどぎつい眼光。兄弟喧嘩勃発の気配に逃亡は早々に諦めて、理汪は承太郎に開示したのと同じだけの情報を素直に吐きだすこととなった。
帰宅した母が玄関扉を開けて目の前にあった息子たちの壁ドン風景に「うわっ」とガチめの引き声を上げたことは、今でも心に残る深い傷である。
「……」
「……」
「……」
「……あー!くっそ、なんか言え、理汪!」
「え?俺仗助待ちだったんだけど。何か話すことがあるから引っ張ってきたんだと思ってた」
「何言うかなんて考えてねーよ!……ただ、今の微妙な空気はどうにかしたいだろ。お互い」
「そりゃあ。仗助、もう怒ってねーの」
「……ムカつくのか悔しいのかよくわかんねえ。……けど、話してほしかったとは思ってる。生まれてからずっと一緒の俺より先に承太郎さんが本当のことを知ったってのも、たぶん引っかかってる」
「あー。わかるわかる」
「ざっけんな阿呆」
「いひゃい」
「痛くしてんだろ、ばか」
理汪の頬を抓りながら、仗助がむすりと唇を突き出す。そこにいつもの調子を見出して、理汪は内心ホッと息をついた。ひゃー、と笑えば間をおいて仗助も呆れ笑いだ。ようやく頬が解放された頃には、気まずい空気は一掃されている。
そうして互いに少し笑いあったら、仗助は「あーあ」と声をあげてベッドに仰向けに倒れた。疲れた、と語らんばかりの声を見下ろすと、目元に乗せていた腕を退けて仗助がちらりと目を覗かせる。
「……こないだの、あれ」
「ん?」
「承太郎さん、熱出してたのを拾ったって言ってただろ。……なんかあったのか」
「……あー。うん、まあちょっと。でもあれはもう終わったから」
記憶の彼方にあった出来事に一瞬何の事だか悩んだものの、甥っこによるカミングアウトショックは鮮明な記憶であったせいか、その前後については比較的早々と引っ張り出すことが叶った。が、何が気に障ったのか、仗助はムッとして理汪を睨み上げる。お?と思って首をかしげるすぐ傍に、立派な腹筋が予備動作もなく体を起こした。
「それ、やめにしよーぜ」
「どれ?」
「言わなくてもいいや、って感じの」
むすり顔、再び。
「中学くらいからか。ちょっとずつお前と行動範囲がズレてって……平気だと思ったけど、やっぱ心配だ。見てないところで『危害』に出くわしてるのを知らないままってのは気分が悪いぜ。気に入らねえ。事後報告だとしても、ちゃんと知っておきたい」
「おー」
「わかってんのかよ、おめーはよぉ」
じとりとした目に「わかってるよー」と笑ってから、「でも不調が全部スタンド関係って訳じゃないから心配しすぎないでね」と嘘と言い切れない嘘をつく。これは言っておかないと、よその軸でもらってきた負債に余計な心配をかけること、面倒な勘繰りを受けること必至だ。じっと見つめてくる仗助がどこまで信じてくれたのかはわからないが、このまま目を覗かれ続けるとボロが出そうな気がするので、じゃれる様に頭突きをして視線から逃れさせてもらった。衝撃に呻いた仗助だったが、しばらく時間を置けばきれいさっぱり回復して持ち直してくるだろう。そうなる前に理汪は「寝る」と短く宣言して、仗助のベッドに寝転がった。そのまま壁を向いて目を閉じるが、予想通り、ほんの数秒の内に呻き声を止ませた仗助が身じろぐ気配がする。
「……なー、理汪」
「んー」
「父親に会いてーか?」
「えー別に」
「だよなー。……たぶんあと数日したら、承太郎さんも杜王町を出ていくぜ。そうなったら気軽に会えねーと思うけどよ」
「いんじゃね」
「あ、そ」
「なーに。仗助クンは会わせたいわけぇ?」
「べーつにぃ」
寝転んだ横腹にずっしりとかかる重みは、寄りかかってくる仗助の体重だ。「ぐえ」と今度はこちらが呻き声を上げることになる。こそばゆいようなくるしいような微妙な感覚にうーうー声を上げた後、ふいに先ほどのやり取りの真意がピンときて、理汪は自由の利かない脇腹より下を置いて身体を捻った。
「……ははーん。読めちゃった。仗助チャン妬いてんだ?」
「はあぁ?」
「やーい、あまのじゃくー」
「うるっせーな、寝るんじゃねーのかよ」
「邪魔してきたのは仗助じゃん」
「すんませんねー。どーせすぐ飯だから今寝てもカワイソーだと思ったんでー」
拗ねた仗助がそっぽを向く。その横顔に助手席から見上げた承太郎の姿が重なって、理汪は心持ち持ち上げていた体を再び倒し、白い壁に向き直った。
――君の命だ。請け負いすぎるな。
あの時、とん、と叩かれた心臓から、すでに熱いはずの身体に暖かみが染み渡る気がした。ひどい人だ。はずした指輪と同じ仕打ちを向けてくれたなら、もっと楽でいられたのに。
心を擦り減らさなければ命は守れない。命を切り捨てずにいては心が守れない。対立したふたつ以上を守ろうとすれば己の指針が破綻する。わかっているから、理汪は家族の範囲を広げようとしない。
理汪は誰にでもなれる。その立場ごとに、記憶の中にある同じ顔にハッキリとした区別ができる。そうしなければやっていけやしないからだ。生きる場所生きる場所で一度でもかかわったすべてを愛しく思うままでは、矛盾した心に押しつぶされて息もできなくなる。
抱えすぎては守れない。大切を広げすぎては手が回らない。
だから、理汪は己の定義に従って行動する。血縁を家族と定義する。己を愛してくれるその人を、家族と定義する。同じ名前、同じ顔、同じ人生を送っていても、彼ら全ての人は別人だ。理汪はあくまで『家族』と生きる。『家族』としてのその人のために。
だからここでも、あわよくばと思っていた。叶うならば理汪の家族の範囲は東方に留めて、この手を零れるほどを抱えずに済むように。
空条承太郎。彼が理汪に心を傾けないままでいたのなら、彼は理汪にとっての『自分を愛してくれる』誰かからきれいさっぱり遠い場所に位置していたのに。
「……理汪ー」
「……なにー」
「……あのよー。一応、『終わった』から」
「…………んー。……お疲れ」
とはいえ、そうなってしまった以上は仕方がない。今回はまだ大丈夫だ。掲げた指針は破綻してはいない。東方としての理汪の向かいたい方向は、まだ一本の道として生きている。
「……じょーすけ、ごめんね」
乱暴に頭を小突く無言の片割れも、今ここに無事でいる。

*