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ここぞという時にはいつも無意識の助けをくれる。わかってやっているのかそうでないのか、何であれ仗助にとっての理汪は唯一かけがえのない幸運の星に違いない存在であったことは確かだ。
「……あの、承太郎サンのオフクロさんって、持ち直した後に後遺症みたいなもんはなかったですか」
年上の甥、という奇妙な関係性とはいえ、空条承太郎は仗助の前に現れたはじめての同類、もといスタンド使いである。スタンドとの付き合いに関してはほぼ同等であるとはいえ、それに関わってきた経験の数、人脈の数は天と地ほどの差がある相手だ。仗助が彼から五十日間の旅のあらましをはじめて聞いたとき、一番に考えたのは片割れの症状に該当する事例の有無であった。
間田敏和のサーフィスとの問題を片づけた後、わざわざ彼の滞在するホテルの部屋にまで押し掛けて、神妙な顔でこんなことを聞かれれば承太郎も何事かと思ったことだろう。結局、仗助にとっては腹違いの姉にあたる彼の母親も、元凶を断った後は全快して一切の後遺症はないとのことで、似たような事例にも心当たりはないというのが回答であった。
「それで、これはどういう意図での問いだ」
「……や、なんつーか……弟のことなんすけど。あいつ、ケロッとしてる日もあるんすけど、基本がひでえ病弱で。しょっちゅう体調崩してんですよ。それが丁度、一緒に高熱に倒れて以来だったんで……」
「……十年前か。弟はスタンドは?」
「見えはするみたいです。けど、理汪がそれらしいもん出してんのは見たことねえし、本人も『仗助みたいなのは出てこないなー』って言ってましたけど」
「素質のある人間がスタンドを視認する例はゼロではない」
腕を組んで記憶にある事例を辿ってくれているのであろう承太郎は、そう告げてから難しそうに眉を寄せた。そんな顔で考え込まれては何か心配事があるのではと不安が起こるが、承太郎は微妙な顔の仗助に気付いてか、ひとまず無言の時間を終えて話をしてくれた。
「心配があるのは間違いない。見える以上はまず使えると判断されると考えていい。万一にでも君の弟がスタンド使いと遭遇すれば……見えると気取られた時点で、対抗策なく危険にさらされることになる」
しかし告げられた内容はあくまで仗助に優しくはない。今日、自分が遭遇した危険に弟を置き換えて考え、洒落にならない事態に血の気が引く。
「弟とは普段行動を共にしているのか?」
「……家の外ではほぼ別行動っす。けど、スタンド使いがうじゃうじゃ居るってんなら、なるべく一緒にいたほうが」
「……いや、むしろ今の状態を保ったほうがいいかもしれないな。お前はすでに『引き合って』いる。弟がその法則に当てはまらない場合、無駄に接触を促すことになりかねん」
もっともな指摘にハッとした。確かに、そうだ。この数日間で仗助が何人かのスタンド使いと出会っているのに対して、それらしい話を聞かないこと、異常が目につかないことから判断しても、理汪の方はおそらくアンジェロの件の一回のみ。それもあくまで仗助が持ち込んだ危険だ。すでにあの一回が『無駄に接触を促す』に値する出来事であったと言っていい。
仗助は言葉を失った。同時に、いつのまにか生活スタイルが離れていたことにはじめて感謝する。常日頃気にかかるあの体の弱さも、無駄な外出を軽減させるという意味ではむしろ好都合なのかもしれない。出席日数は稼げるときに稼ぐ、と主張する理汪はギリギリまで欠席は避けるにしても、そこで踏ん張る分体力を消耗し、放課後の徘徊はあまり多い方ではない。
考え込む仗助に承太郎は「後遺症については何か情報が入れば知らせよう」と提言する。仗助は顔をあげてから、「ありがとうございます」と頭を下げた。
「……弟とは現状を保つにしろ、それが間違いなく正しいとは限らない。危険を引き寄せる可能性があることだけは、常に頭に置いておけ」
「……っす」
その日はそれで切り上げとなった。目だった収穫はなくとも、志新たに己の立ち振舞い方を考える機会にはなった。弟とはこのまま、母や祖父と同じ扱いで、スタンド関連の事件からは遠ざける。これが結論だ。
承太郎と別れ、自宅への帰路を歩みながら仗助は深く息を吐いた。気疲れした一日だった。いや、身体的にも間違いなく疲れた一日だった。スタンド使いとのやりあいというのは、ただの喧嘩とは全く勝手が違う。
「……あり、仗助だ?」
先ほどのため息は聞かれていただろうか。自宅近くでかかった声にぎょっとして、最初に思ったのはそれだった。空を向いていた視線を下ろせば、真逆の道からたった今帰宅したらしい理汪が鞄を片手に楽しそうに首をかしげている。
「今帰り?ばったりだね」
「おー……そっちも、今日は遅かったな」
「言うほどじゃないけど。ちょっとねー、体育の先生と授業のご相談をしてた」
「ああ?なんか言われたのか?お前の組の担当誰だよ」
「怒られたんじゃないよ?見学が続く場合の課題の話」
「んだよ、ならいいけどよォ」
問うと同時に頭のなかに体育教師の顔と名前のリストを思い浮かべていた仗助は、平和的な内容にリストを脳内ゴミ箱へ投げ入れる。陰険教師ならば話し合いが必要かと思ったが、要らぬ心配だったようだ。
そんな仗助の思考回路などお見通しなのだろう。理汪は慌てる様子もなく笑って仗助に合流する。そうして距離を詰め向かい合ったことで余計なものに気づいてしまったようで、理汪は笑顔をきょとんとした驚き顔に変えて、仗助の頬に手を伸ばした。
「それ、どしたの。喧嘩?」
「あ?あー、まあ……」
「あらら。自分を治せないのは不便だねえ。周りの人はいくらでも治してもらえるのに」
よしよしと労るように、理汪は仗助の頬骨の辺りにあるテープの縁をそっと撫でる。それから並び立って家へと歩き出し、一歩遅れて仗助もその後を追った。
こうして並んで歩くのは随分久しぶりのように思う。弟と下校する、家までのほんの数メートルがやけに懐かしく感じる。
うなじにかかる黒い髪、少し大きく見えなくもない学生服。その間に覗く首の白いこと。
承太郎と出会ったことで自覚したことだが、仗助のこの体格は恐らく血筋によるものだ。身長に関してはまだこれからであるとはいえ、同年代の男子よりもいくらか筋肉質である点に関しては、まず間違いなくあの甥の側の血によるものだろう。もちろん喧嘩を含む運動があってこそだが、それにしたって、基盤となるその血は片割れにも受け継がれているはずだというのに。
「……お前のことも、治せねー」
ふいに、そんな不満がこぼれた。
不貞腐れたような情けない声だったかもしれない。一歩先を歩いていた理汪は驚いたように振り返り、それから仗助の顔を見てぷっと吹き出し眉を下げる。
「風邪まで治せたら超チートじゃん。今でさえチートなのに。やだわー、仗助飢えすぎィ」
「……お前なー」
「いいじゃん。ほどよく病弱なおかげで、仗助だけボロボロだーって罪悪感は感じなくて済んだし」
肩越しにこちらを向く片割れがにっと笑った。その背後にある夕日の存在も相まって、仗助は眩しさに目を細める。
……嘘、つきたくねえなあ。
ふと湧き起こった気持ちに、無性にやるせなくなった。
「……あのさあ」
「んー?」
「…………甥が、居るみたいなんだわ。年上の」
「……ん?」
言わずとも済んだことだろうに。言ってしまうことが正しいのかの判断もつかないくせして、突発的な感情に流されて動く口ときたら。
「俺らの親父の、遺産整理で来たとかで。この間うちの前に来た人。……オフクロたちに言うつもりはねえんだけど……そんで、その人も俺のと同じようなのを持ってる。スタンドって言うんだと」
「……」
「親父ってのはもう高齢らしい。家庭もある。だから、俺の存在で揉めたとかで。遺産はいりませんって言った」
「……」
「……そんだけ」
「……ん、わかった。母さんたちには内緒、ね」
「……おう」
「お疲れさまです、仗助くん。気遣ってくれてありがとう」
たぶん甘えだ。いつもの笑顔で微笑まれてそう自覚した。
話し始めた時点から、理汪は決して仗助にしまったとは思わせない。驚き顔はほんの数秒。そのうえ、驚愕、というよりは、突然の話題転換にぽかんとしていた、と言う方が正しい。仗助が言い終わるまでを黙って聞いていた理汪は、マジで?と問うことさえなく衝撃の事実をあっさり受け入れてしまう。挙句の果てに感謝と来たものだ。
「おめー、動じなさすぎ」
「えー。だって何となく察してたしなー」
「マジで?」
「顔見りゃわかるっしょ。濃い血だねえ」
「マジか……」
「母さんに会わせないってんなら、その甥も会わせない方がいいかもね。よかったね、この間来た時に鉢合わせずに済んで」
再び歩き出した理汪と今度こそ並び立って歩きながら反省。気を付けるべきは未だ顔も知らぬ父親よりも、血縁の面影が色濃く表れた承太郎の方だったか。





「仗助ェ!んなとこで遊んでないでちょっと来い!走れ!」
「あっ!?じ、じーちゃん!なんだよ、見回りか!?これは別にサボりってわけじゃ……」
「なんでもいーから来い!家ン中に不審者が出たっつー朋子からの連絡じゃ!」
「は!?」
鉄塔のスタンド使いを倒した後、広瀬康一を始末したという不穏な情報を耳にしたことで、仗助は町中を走り回って康一の姿を探していた。最中、自転車にまたがった祖父と出会ったことにヤベッと思ったのもつかの間、向こうから叫ばれた内容にサッと血の気が引いたのは、このところの経験から、不審者の正体がスタンド使いである可能性が当然のように頭に浮かんだせいでもある。事実、それは杞憂にはなってくれなかったわけで。
「おふくろ、無事……理汪!?どうし、あ!?康一!?」
「父さん、仗助!よかった、父さん、そこで転がってる変態をお願い。仗助、手を貸しな!理汪を病院に連れてくから」
「病院って、何があったんだよ!理汪はどうしたんだ!?」
「急に激しく動いたせいで立てないの。吐き気と眩暈が酷いらしいから、あんまり揺らさないであげて。しばらく安静にして多少は落ちついたみたいだけど」
「おいおいおい、立てないってどんだけだよ。理汪、おい、大丈夫か?」
全力疾走で家の中へ駆けこんですぐ、まず仗助は朋子の姿を視認し、次いで彼女が寄り添う片割れの姿を視認し、片割れが口許を抑えてうずくまる姿に動揺しようとしたところで、どういうわけかこの数時間探し続けていた康一の姿がこの場にあることに動揺を重ねた。
ひとまず、刺されただの何だのという危機的状況ではない。その辺りを説明されてもなお、仗助が抱く焦燥は大きい。そもそもが危機の連絡を受けて駆けつけたのだ。ピクリとも動かない不審者にほっとする以前に、フローリングの上に転がった包丁、ぐったりとした弟が母親に支えられている光景に焦らないはずがない。
仗助は片割れの傍に駆け寄って膝をつき、俯く顔を覗き込んだ。そこにある酷い顔色にますます心配が増して、
「……なぜだ……なにゆえ俺は回ってしまったんだ……おえっ」
「ほらもう、男がいつまでも済んだことをぐちぐち言わない!綺麗に決まったんだからいいでしょ。見事な回し蹴りだったわよ。あ、後ろ回し蹴りか」
案外平気そうなことを確認して安堵した。
「朋子、いったい何があったんじゃ!」
が、呑気な片割れの呟きに一気に冷静さを取り戻した仗助とは違い、すぐに来て!とだけ聞いて署を飛び出してきたらしい祖父は未だに状況への混乱が大きいようだ。すぐさま不審者の確保にあたって、今の理汪のどこか抜けた呻き声を聞き逃したのが痛いところ。そんな祖父の当然の問いに答える朋子は、やはり息子の呑気さゆえか、すっかりいつものハキハキとした調子で早くも車のキーを手にしている。
「帰ってきたらそこに転がってる変態がいたのよ。ああ、この包丁は私が出したやつだから、心配しないで。誰も……じゃないけど、家の人間に怪我はないわ。……さ、仗助、ここにしゃがんで、おぶってやって!」
仗助はひとまず母の指示に従って、ひどい顔色の片割れを背負う。そんな仗助に康一が耳打ちしてくれた内容によれば、やはり不審者はスタンド使いであったらしく、康一自身は今朝から彼の能力に閉じ込められていたとのこと。理汪がスタンド使いを一撃で伸したおかげで自由になったようだ。隙を見て承太郎に連絡をする、と康一が続けてくれたおかげで仗助もこの場を離れることへの不安は無くなった。さらに承太郎の到着まで康一が祖父のそばにいてくれるというのだから完璧だ。気絶しているとはいえ、スタンド使いと祖父を二人きりにするというのは気がかりだったのだ。
朋子の運転で理汪を病院に連れていった後は、診察の結果、点滴を打ってから家に帰ることになった。仗助は朋子と並び立ち、血管を探されている最中の弟を眺めながらぐっと眉を寄せる。いくら軽口を叩けど、身体が明らかな不調を抱えていることは確かな弟……だが、心配事は顔色の悪い片割れだけではない。隣の母に対してもだ。ただ、ここで「大丈夫か」を聞くのは母から上辺の「大丈夫」を引き出すことにしかならないし、下手に話題に触れることの方が傷をえぐる気がして踏み込めない。
するとそんな仗助の思考を見抜いたかのように、朋子の片手が乱暴に仗助の眉間のしわを伸ばしにやってきた。
「なんもなかったから、その辛気くさい顔はやめなさい。理汪の踵、ホント綺麗に入ってたから。清々しいくらいよ。あの子、モヤシかと思ったらあんたより喧嘩強いんだから」
「今やったら俺が勝てるかもしんねーじゃん」
「はーっ。どうだか」
「いーや、俺が勝つね」
「あんた力でしか勝ってないのよ」
「息子には平等の信頼を置くべきだと思うんですけどー」
軽口の叩き合いは逆に気を遣わせてしまった結果かもしれない。呆れ混じりの強気笑いで「じゃあ一旦父さんに連絡してくるから」と席をはずした朋子を見送り、後に続くように去っていく看護師と入れ替わるようにして、仗助は理汪のそばに歩み寄った。
「……よう」
「……あー、仗助。ごめん、ガッツリ寝てて気づいたのギリギリだった」
「いーよ、助かった。……母さんにも、お前にも、なんにもなくてよかった」
「あれ?おれ病人なうなんだけど。なんにもなくないんだけど。あれれ?」
おどけた言いぐさに頭を小突きたくなるのを抑え、仗助は「ばーか」とだけ口を動かしてベッドの端に腰かけた。見下ろす理汪はべっと短く舌を出し、見上げた点滴はぽたぽたと規則的に薬液をおとしている。
「仗助、今なんか巻き込まれてるだろ」
会話が途切れた間になんの前触れもなく滑り込んできたのは、確信めいた問いだった。ぎくりとして「な、なにが」と振り返るが、理汪は天井を見ていて視線は交わらない。
「言わなくていいよ、俺まで巻き込まれたくないし。母さんをこんな目にあわせる原因がふたつになるわけにはいかないっしょ。元気に振る舞ってるけど、あれで相当びびってたからね」
天井を眺めながらそう言う理汪に、家に転がっていた包丁を思い出した。あれを持ち出す事態となれば、朋子は相当の危険を感じていたはずだ。そこに付属する恐怖の存在は想像に難くはない。
「ほんとなら巻き込まれるなって言いたいんだけど、仕方ない。巻き込まれた以上はきっちり終わらせてな。……終わったら教えてね」
すべて見抜いたような物言いに神妙にうなずいた。思えば、あれきりだ。終わった、を言うには後片付けがどうこうと承太郎もまだ少し忙しそうで、彼らが町を去った頃を一区切りとして報告をしようと思っていた。
弟の大きな隠し事が発覚してしまったのは、その矢先。

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