▼丸投げしたいディオ弟


「兄は父を殺しました」
ジョースター卿、お話があります。どうか最後まで聞いていただきたい。
そんな切り出し方で一対一の会話を始めたのは、実兄と義理兄が学校にいる最中のこと。あくまで実兄からの邪魔や勘繰りの起き得ない時間を選んだのは、これが彼にも伏せておきたい一手であるからだ。
本題の方の切り出し方は多少悩んだが、下手に引っ張るよりも先に最大の関門を突破しておいた方がいいと判断した。これさえ言ってしまえばあとは大した問題ではない。もちろん、フォローがあってこそだが。
「理由なく、ではありません。父がどういう男かはわかっているんでしょう」
「君のお父様は私の命の恩人だよ」
「ジョースター卿、僕らはあれの身内です。生まれたその時から一緒だ。誰よりその姿を知っています。兄はあの男から僕を守っただけです」
「……リオ」
「親子の関係というものはどこもあなたとジョナサンのようではない」
決して引くことなくリオが淡々と語り続ければ、やがてジョージ・ジョースターは嘘を連ねることをやめ、難しそうに眉を寄せた。
「どんな悪人も身内には優しいのだと考えているのであれば、残念ながらそれは間違いだ。僕は兄がいたからこそ、兄がそうしてくれたからこそここにいるんです」
含みを持たせた言い回しは大得意である。確かにここに来る前は荒れた家庭環境ではあったが、殺らなきゃ殺られるというほどのギリギリの日々を生きてきたわけではない。面倒をかわす自体はリオ一人でもどうにかできる。事実はただ、兄が毒を盛ったからこそ父は己の病状に死期を悟り、ブランドー兄弟はこの屋敷へ導かれたというそれだけだ。それがこの紳士の目にどう映るのかなどリオの知ったことではない。どんな食い違いがあろうとも、そう連想させるあの父に問題があるのだ。
「兄は世間を恨んでいます。あなたのことも信頼していない。世界を、何より父親という存在を信じられない」
「……それで、君の本題は何かな」
「お伺いしたいんです。あなたはただの後見人として僕たちを迎え入れたのか、父親にでもなるつもりでいるのか」
「……」
「今の話を聞いて気持ちが変わったにしろ、結果的に前者であるのならどうか僕たちを追い出してください。あなたは後見人以前にジョナサンの父親だ。あなたには実子を守る義務がある。きっとそうすべきだ」
「なるほど。君の言いたいことはわかった。では後者である場合、君は何を望むのかな」
「……決して兄に道を踏み外させないで。無責任な信頼で中途半端に寄り添わないで」
ディオの心が更正可能なのか、正直なところリオにはよくわからない。生まれながらの悪と罵る輩も居るのだろうが、兄にだって亡き母を思う心はある。とはいえ物語のきっかけたる彼の気質を寄り添った十数年間で変えられたかと言われればすでに環境という要素に押し負けた感は否めないし、実際この家にやって来る前の兄の言葉は「全て手に入れてやる」だ。業はまだまだ深いのである。
それを理解しているからこそ、リオとしては先の希望のどちらに転ぼうとも構わなかったわけだが。
「リオ。私は君たち兄弟を養子にするつもりでいるよ」
ジョースター卿は臆することなくそう告げた。どうやら更正ルートに挑むつもりでいるらしい。となると、決めるべき覚悟は決めて頂かなければならない。
「兄は難しいですよ」
「重々承知だとも」
「いつかあなたを殺そうとするかもしれない」
「させはしない。約束しよう」
その約束は無責任な信頼を放棄すると言う意味で受けとりますからね。義理息子が毒薬を盛るわけがないなんて思わずに、かといって義理父を殺そうとするなんてと見捨てもしない茨の道への約束と受けとりますからね。
そんな意を込めて最後の一押し。
「じゃあ、絶対に、兄さんを見捨てないで」
強く言い聞かせるようにゆっくりと区切ったリオの言葉に、ジョースター卿は約束すると目を細めた。これでめでたく言質を頂くことができたので、未来の義理父さんに兄さん更正計画は丸投げすることにする。これでうまくまとまれば万々歳。そうでなくともジョースター卿があらかじめディオの犯罪行為を覚悟した上で向き合うとなれば、ダリオ・ブランドーに指輪を譲り渡した際の擁護と同様に、ディオの刑務所行きと言う危険は回避される可能性が高い。意思の強い紳士だ。全て知った上でその手を離さないと誓ったのなら、彼は世間からディオを守る心強い盾となるはず。
やましいことは受け入れさせたもの勝ちだ。ジョースター卿ならば「環境がそうさせた」と理解を示してくれる可能性が高いことはわかっていたし、仮に糾弾されたとしても知らぬ存ぜぬを突き通せば終わる話だ。ボイスレコーダーなどという文明の利器があるわけでもない時代で、二人きりの会話が致命的な証拠となるわけでもない。
何にせよ、結果的にそういった心配事とは無縁の方向へ物事は転がってくれたわけだ。いやぁよかったよかった。今後も気は抜けないが、ひとまずはめでたしめでたしである。というわけでそろそろ失礼させて頂こうと思ったのだが、リオが退室を申し出るより一歩早くジョースター卿が口を開く。
「さて、リオ。私からもひとつ大事な話があるんだが構わないかな」
「はい」
「この話をするためとはいえ、仮病で学校を休むのはいけないよ。今からでも行きなさい。いいね?」
「あー。はい、ごめんなさい。そう言われると思ってちゃんと支度はしてあります」
「なら今回は仮病の件は見逃そう。……さあ、玄関まで見送るよ」
先に立ち上がったジョースター卿に続き、リオも今度こそ立ち上がり部屋を出る。今朝はディオの前では「めんどくせ」、ジョナサンや使用人の前では「頭痛がひどいんだ」で兄二人を見送った身だが、あくまでこの場を設けるための繕いであることはジョースター卿の目には明白だっただろう。となればこの流れも予測がつく範囲だ。部屋を出てすぐ、話が終われば学校にいきますと言付けてあった使用人が鞄を差し出してくれたので、ありがたく受け取って豪勢な階段を降りる。そうしてぼんやりと流していたリオの視線は、槍を掲げた女神像から一階の壁に飾られた石仮面へ。
仮面。何の気なしにそれを目にした瞬間、ふと大昔の兄の声が頭に浮かぶ。
――お前は何にでもなれる。それは才能だ。
鮮明な記憶で再生された声に導かれるようにして、リオの足は自然と歩みを止めた。
「仮面に興味があるのかね?」
しかし単なる連想ゲームで止まった足はジョースター卿には別の理由に映ったらしい。仮面を見上げたままのリオは、丁度いいかとそのまま視線を送り続けて答えた。
「や、見覚えがあって。……すみません、この仮面はどこで?」
「旅行中にね、妻が美術商から買い取ったんだ」
「美術商……そうですか」
「どうかしたのかね?」
「ああ、すみません。実は昔、こんな仮面を探している人の話を聞いたことがあって。父の形見を探しているとかで……随分昔に難破した船と共になくしたと聞いたもので、海で拾ったとでも言うのならもしかして、と思いもしたんですが。美術品として出回っているようなものなら違うでしょう」
「形見?……差し支えなければ、その人がどのような人かを聞いても構わないかな」
「直接会ったわけではないんですが……どんな人だったかな……確か名前は……ああ、ツェペリ。ウィル・A・ツェペリ」
形見の指輪でも盗人に分け与えるような人だ。この仮面もまた誰かの形見であるとなればなおさら、お人よしの紳士は持ち主に返そうとする可能性が高い。向こうも必死に探しているのだ。互いに探し合って彼が間に合ったのならばそのままお引き取りいただこう。うまくかち合うといいのだが。ダメな場合のみお決まりの破壊エンドで。





――お前は何にでもなれる。それは才能だ。仮面を付け替えるように簡単に役を変え、演じられる。だが仮面を外したその下には?何もない。お前には、お前自身がないんだよ、リオ。
――悲しむことはない。怯えることもない。だからこそお前は完璧なんだ。根幹たる自分がないからこそ、その時付けた仮面が全てになる。
なんて言ったあのときの兄の瞳は今、僅かも違わぬ眼光でもって、あのときと似た薄暗さの中、あのときと同様にリオの瞳の奥を覗き込もうとしている。あそこまで明確にリオの心理を言い当てたのは未だかつてこの兄だけだ。決してリオの抱える事情までを知ってのことではないが、ブランドーとしての生活の中で十分にリオの本質を見抜いていたらしい。あの目は間違いなくリオの深層を捉えていた。当事目をそらすことさえできなかったのは、後の黄色い吸血鬼を前にした人間の心理に近かったりするのかもしれない。
しかし悲しいかな、下手に慣れてしまった精神は今回華麗に目をそらすという大失態をかましてくれたわけで。
「……」
「……」
「……いいことを教えてやろうか」
「えーなになにー?」
「お前、この兄の前でだけはやましいことがあると目をそらしがちだぞ」
「そりゃガン見されたらそうなるよね。兄さんのお綺麗な顔に緊張しちゃって」
「よく回る口は結構だが、いかんせん目が合っていないな」
「わざとだよーん」
書斎の本棚を背に大袈裟に顔を背け、リオはべっとおどけてみせる。ディオはそんなリオの両頬を片手でむにっと挟んで「ほう、そうか。やましいことはないか」と意地の悪い笑みを浮かべた。
ぬうん。百パーセントそうとは言わないが、油断しているとディオの言うようなわかりやすい反応を示してしまうことがあるのは事実だ。リオとしてはフェイクを混ぜて誤魔化しているつもりでいるが、その誤魔化し自体もどこまで見抜かれているか。見捨てられ不安ならぬ見抜かれているかも不安。思った以上に根が深い。
「ところでな、リオ。ジョジョの中で俺は悪人ぶった弟思いの兄という気色の悪い認識をされているようなんだがなあ。んん?」
「わあ真実に違いないやあ。ジョナサンは人を見る目があるんだなあ」
「ふざけるんじゃあない。何を吹き込んだ」
むにむに弄ばれていた頬がぐにっと一度強く挟まれ、背けていた顔の向きを真正面に修正される。リオはあははーと身をくねらせながらなんとか兄の手から逃れ、自主的に改めて真正面から向き合った。
こうなっては何がなんでも口を割らせる人間だ。無駄な抵抗は諦めた。
「いやーほら、初日のあれがあったじゃないですか。ダニーを蹴り飛ばしちゃった事件」
「……それで?」
「第一印象でそれは不味いかもなと思ってフォローしたんですよ。それかなあ」
「……」
「はい、続きね。うん。いや、だからつまり」
「やつに言った通りを言え」
「ジョナサン、兄さんを責めないで。本当は俺が犬に怯えるからああしたんだ。男が犬を怖がるなんて示しがつかないからって、わざとああやって憎まれ役を買って出るんだ。いつだって俺のためなんだ」
「何が怖いだ。お前、人間にへーこらする動物は好きだろうが」
「愛らしい動物が好きなんだよ。やめてよ。その響きじゃ問題あるやつじゃん」
「その小汚い手回しがすでにそうだ」
「うわ、よく言うよ」
残念ながら薄暗い書庫にはどっちもどっちだと公平な一言をくれる誰かはいないので、お互いにうわ本気で言ってんのかよコイツまじ引くわぁという顔で見合っておしまいだ。本棚にピタリと背中をくっつけているせいで身体的にもドン引き姿勢を示せないのが無念なり。とリオは肩を落とし、少し大袈裟にため息をついてから口を開いた。
「つか、いいじゃん。そう思われて困ることなくない?何が気にくわないわけ」
「決まっているだろう。あの目、あの『君は本当はいいやつなんだね。僕はわかってあげるよ』と言わんばかりの目だ。慈愛だか同情だか、ともかくあれが気に食わんのだ。そもそもしてあげるというのは相手を見下した結果の感情だぞ。ジョナサンごとき、いや誰一人としてこのディオを上から見下ろすなどと」
「似て……似て……る?」
「やつの喋り方なんぞ今はどうでもいいんだよォ、この阿呆がァ!」
どうでもいいとは言っても、心なしかジョナサンの台詞で声音が変わっていたのは気のせいではないはず。しかしながら懸命に審査し掲げようとした得点は頭をはたかれて無効票となった。
「それで、他に何を言った」
「いやいや、他には何も」
「うん?何だって?」
「昔から兄さんはわざと悪く振る舞うんだ。だってそうすれば、俺がいい子に映るでしょ。兄さんはずっとそうやって俺を守ってきたんだ」
「……こうなったらあの犬を焼却炉にでも投げ込んでジョジョの絶望に満ちた顔でも拝んでおくか。そうでもしなければいい加減蕁麻疹でも出てきそうだ」
「あはー。俺トドメ刺しちゃった感じ?あ、でもやめてよ。今ダニーに芸を仕込んでる最中なんだ。積み重ねた練習が無駄になる」
「怖いと言った身でじゃれあっているんじゃあない、このマヌケがァ」
ヒール擁護計画にはこれが中々に有効な手段なんだけれども。兄さんったらわかってないんだから。ポジティブ超解釈はラスボスの命をも救うのだ。だからその中指だけ微妙に突きだした拳でこめかみをぐりぐりするのはやめて頂きたく。
「お前は本当に、昔からやることが陰湿だな」
「兄さんはやることがゲスイよね。俺はこんなにいいことをしてるのに」
「嘘まみれのイイコトか」
「嘘は俺のアイデンティティだもん」
「だもんじゃない。気色悪いぞ」
「うわひどい。あーあ、もう徹底的に兄さんがいい人にになってても知らないから。明日から楽しみにしてろよ」
兄とてリオの立ち回りにより出来あがる環境が自分に都合よく働くことはわかっているはずだ。それでも蕁麻疹が出そうなほどにジョナサンの正の感情に拒否反応が出てしまうというのだから難儀なものである。もはやジョナサンアレルギーか。特効薬はジョナサンの絶望怒りその他諸々のマイナスエネルギーってか。いやはや歪んでいらっしゃる。しかしだからと兄の希望に沿って悪事に加担した先にはリオの得たい未来は見当たらないので、ここで仁義なき兄弟戦争が開幕するのであった。その実態はわりと平和的である。

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