▼刑務所は嫌な徐倫片割れ


「ダッド、ひみつの占いしたげたよ」
六歳の誕生日を前に、そろそろ『日本の田舎に引っ込んで』な状況がやってくることを察して理汪は父のコートをくいくいと引っぱった。二メートル近い彼の身長はは六歳の身体にはほど遠く、こうして注意を引かなければ声も届かないのではないかと感じてしまうこともしばしば。この笑顔のない目に見下ろされるのが怖いだなんて思っていた時期もありはしたけれど、空条になってほどなくして、割と早い段階で慣れてしまったので、今では良い思い出である。
めったに家庭に寄りつかないこの男、空条承太郎。未だ幼い片割れの徐倫に父親が家から遠ざかる理由なんて理解できるはずもなく、日々寂しさを募らせる姿は中々に胸を打つ。とはいえそこにあるのが寂しさだということは、それだけの愛情が変わらず抱かれているということではなかろうか。実際、会いたくて仕方が無かった父親が久しぶりに帰ってくるとなれば当然徐倫は大はしゃぎ。というそれが今日の日中で、ダディ、ダディ、と白い巨人の足元をくるくるうろうろしては飛び跳ねて、とにかく今日の徐倫は一日中喋り通しだった。たとえ父の相槌が「そうか」「よかったな」と一見素っ気ないものでも、徐倫ときたらそれはそれは嬉しそうで。まあそんな調子で一日中最高にハイってやつなもんだから、日が傾いているとはいえ、まだ明るい時間からすっかりお休みモードだ。夜に眠れなくなるわよ、なんてお母様のいつものお小言も、こんな日には同じくお休みモードである。
それはそうと、今重要なのは理汪に合わせて身をかがめてくれた承太郎へのひみつの占いだ。間もなく杜王町へ向かうのであろう父へのささやかな贈り物である。
「ダッドのわるいことばは、ネズミとバクダンとシャシンだよ」
「……?」
「さがしものはね、さいしょはニジで、つぎはオトで、さいごはカワだよ」
「……理汪、それは何の占いだ?」
「ごほん占い」
rat、bomb、picture、rainbow、sound、river。並べた語句に承太郎は僅かに眉を寄せる。意外と真剣に考えてくれているのかもしれない状況にちょっと嬉しくなりながら、保身的な伝え方にちょっとの罪悪感。子供らしく曖昧に、正直何の助けにもならないであろう占いを提示するのはエゴにエゴを重ねた超自己満足だ。第四部が終わってちょっとしたころにふとこんなことを言っていた息子を思い出して、ちょっと気にかけてくれたら嬉しいななんて下心満載の伏線張りである。
なぜって、そりゃあもちろん、父に構ってほしいからだ。徐倫ほど表立ってはしゃぎはしなくても、こうしてたまに帰って来てくれることがうれしいし、話を聞いてくれるのであればテンションも上がる。ソファに並んでぴったりくっついて座るなんて憧れた家族像そのものだ。例えこの後に待ち受けるのが両親の離婚であるとしても、そこでぷっつり縁を途切れさせたくはないのである。
そんな六歳児らしからぬ打算的な思考など知りもしない母の、くすくすとした楽しげな笑い声は、直後にキッチンから。
「その子、さっきあなたの辞書をめくって遊んでたわ。きっと目に着いた文字を選んで占いの真似事をしてるのね」
「……占いなら普通はラッキーが重要なんじゃないか?」
「コーナーのチョイスがずれてて可愛らしいでしょ。それより文字のお勉強を頑張ってることを褒めてあげてちょうだい」
子どものまねっこ遊びと微笑ましく思ってくれるのは幸い。基本的に何をしても周囲は適当に解釈してくれるので案外苦労はない。承太郎も妻の要望通り理汪の頭をぽんぽんと撫でて、「覚えておこう」と返事をくれる。それで満足だ。理汪は緩む頬を引き締めようなんて考えもしないで、一日が終わってしまうことをただただ名残惜しく感じた。
今日は眠るのが遅くなりそうである。





「Rのつく男はやめとけよ。Rと雨と車の組み合わせは駄目。そこに嘘と隠し事って言葉が重なったらもっと駄目」
「男が占いなんて女々しいことやめてよ」
「女が不良行為なんて雄々しいことやめたらな」
「うっさいモヤシ」
「不良娘」
「色白」
「美人」
「そうやってすぐ悪口から逸れるのホントやめてって。恥ずかしくなる!」
「喧嘩したくないんだから仕方ない。っつーか悪く思ってないから悪く言いようがない」
「あー!もう!」
月日は流れまして。すっかり美人になって強気になって柄が悪くなった片割れもぼちぼち原作を迎えるようで、彼氏の名前にうわーとなりながらの精一杯の助言です。聞く耳は持たれません。まあそうだろうねと思いつつ、この部が迎える結末は受け入れたくないと思う部分がもう少し食い下がれるだろうとケツを叩いてくる。とはいえ徐倫はすっかりお出掛け準備も整えて、あとは靴を履いて玄関の扉を押すだけ。残る説得時間は限られている。別に今日が必ずしも原作突入日と決まったわけではないけれど、理汪には必ずしも明日があるとは限らないので。あ、別に余命一日とかではなくて。寝て起きてを繰り返す先にあらゆる自分のポジションを挟んだ末、ここに戻ってきたときにぴったり明日に着地できるのか、今日から遠く離れたどこかの時間であるのかはわからない、と言う意味で。その辺りのコントロールは理汪にどうこう出来ることではないので、もしかしたら今日が原作突入前のラストチャンスかもしれないのだ。そんなことを繰り返していれば「今日できることを今日やる」が信条になるのも当然。とんとん、と靴のつま先を地面に叩く片割れに一言くらい残しておきたくなるのは仕方のないことだろう。
「徐倫、もしこの先『父』って言葉が巡ってきたら」
「あぁ!?」
「どうどう。もしそうなったら、だよ。そしたらお前のラッキーワードは『従』で、アンラッキーは……山ほどあるけど、とりあえず『抗』かな」
「なにそれ、親父に従って抗うなって?……はいはい、わーかった。頭に入れてはおく。けど、そんな占いなんかなくったって、自分の道は自分で切り開けるわ」
「うん、わかってる」
「でもありがと。じゃ、行ってくるから」
「徐倫、『雨』と『車』と『隠』は組み合わせちゃ駄目。忘れんなよ」
「はいはいはい。それよりあんた、ちゃんと寝てなよ」
最後の忠告、こりゃあ軽く受け流されちゃってるなあ。まあ受け流されてもこの忠告があったという事実が基盤になるから構わないけど。
と冷静に考える理汪だが、くるりと振り返った徐倫にビシッと指を差され、釘をさすその言葉につい肩がすくんだ。理汪は腕を組んで壁に寄りかかるというごくごく普通のお見送りの姿勢でこそあるが、その格好の方はマスクにスウェットにカーディガンという病人スタイルだ。お腹がガッツリ見えている徐倫とは天と地の差。あれお腹いたくならないのかなと常々思うが、どうやら全く問題ないらしい。羨ましい。今回、遺伝という形で徐倫を置いてスタンドを手に入れていた理汪は、今日も今日とて返済中の風邪引きさんであるというのに。
「母さんがいないからってフラフラどっか行かないこと!いーい?」
「はいはい」
ヒラヒラ手を降っての軽い返事に、徐倫の疑わしそうなこの目つき。ううん、信頼されてない。まあ事実信頼されても応えられやしないのだし、フラフラしますけどね、というのが正しい回答だが。ただ、代わりに出てしまった「けほっ」という咳には流石に情けなさが滲み出る。
徐倫は約束反故の常習犯を見る疑惑の目を引っ込めようとはしなかったけれど、待ち合わせの時間が着々と迫っていることに背中を押されてようやく玄関の扉に手をかけた。が、最後に振り返って念押しを一言。
「寝てなよ」
なのでこちらも一言。
「『雨』『車』『隠』、ダメ、絶対」
お互い指を指しあっての主張は一歩も譲らず。徐倫がべっと舌を出すので、理汪もマスクを下げてべっと舌を出す。
最後はお互いの頑固さに笑い合って終わり。閉じた扉で見えなくなったあの呑気な笑顔がこれきりでなければいいのだけれども。ぱたぱたと屋根を叩く雨の音に気分を悪くしながら、理汪は浅く息をついて玄関扉に背を向けた。
不安に駆られる暇があるのならば、今しがた施しておいた下準備が功を成す様に次の手を打たなければならない。居間に戻った理汪の手がその意を持って固定電話の受話器を取るのは、徐倫が『従』を守って『抗』を回避した場合の物事の運びを手助けするためだ。勿論それが確実に手助けになる保証はないけれど、何事にも絶対はない。それでも誰だって上手くいくかもしれない方向へ努力を重ねていく。理汪だってそうだ。望む未来の方向へと一歩進むため、滅多にかけることのない番号を押して呼び出し音に耳を傾ける。
ちなみにその間逆の手では携帯を触ってこの後の予定を作ることも忘れない。さっそく、フラフラのための準備である。
『……理汪か』
「ハイ、ダッド久し振り。ちょっと俺の占い聞いてくれる?」
風邪引いちゃった!寂しいから遊んでくれる人募集中!なんてちょっぴり風俗チックにも思えなくもないふざけた呟きだが、こんなものでも意外とノリのいいやつが山ほど釣れてくれるのだ。『出た、歩く病原菌(笑)』 『要介護?』 『重症度を述べよ。話はそれからだ』と、ぴよぴよやってくるリアクションにレベル2!と高らかに宣言すれば『オーケー、レベル2クージョーはうちが頂いた。課題付き合って』『ストップ、麻雀の欠員募集中。今日こそ負かすからこっち来い』と更なるお返事がやってくる。
「とりあえず、『気流』の影に『白蛇』ってワードが隠れてる。この組み合わせがひとつ良くないかな。っていうか『白蛇』が最悪だから気を付けてね」
『……頭に入れておこう。それだけか?』
「うん、とりあえずは。じゃー、お仕事頑張って」
『理汪。大人しく寝ていろ』
「あれ、わかった?声かな。あいあいさ、大人しくしてるよ」
『息を吐くように嘘をつくな。課題も麻雀も具合が悪くないときにしなさい』
「あー、そっちかー。ダッド、こういうの、鍵かけてるってことは仲間内にしか見られないようにってことだからね?ハックしたら鍵の意味ないじゃん。ところで課題と麻雀ならどっちがいいかな。どっちも室内で優しいのは変わんないよなあ」
『理汪』
「オーケーダッド、俺はハーレムを作る男になるよ」
全員集合でファイナルアンサー、と鶴の一声を投下して決着。全員男のハーレムとはいかほどか。女の子グループはタイミング悪く室内系の子がいなかったので仕方がない。それにそちらにお世話になりたいのは本気で看病がほしい重症時なので、今回は普通に騒いで楽しめる野郎同士が最適だろう。なんにしても、理汪としては人数は多いに越したことがない。
電話の向こうで息子のSNSを監視している父はため息をつきたい気分だろうが、理汪にだって譲れないものはあるし、これはあくまで自分の身を守るために必要なことなのだ。ご容赦頂くしかない。
といいますのも、すべては刑務所暮らしを避けるためでして。なんたって第六部の舞台は刑務所。嵌められてそんなところへぶちこまれる徐倫……なんて楽観視できないのは、承太郎をつるエサとしては理汪にも同等の価値があるからだ。騙され嵌められぶちこまれるのは理汪になるかもしれない。そんなの嫌すぎる。刑務所なんて無理ゲーすぎる。というわけで重要なのは冤罪を擦り付けられる隙を作らないこと。すなわち、アリバイだらけの人生が必要だと考えたのだ。理汪自身が潔白の人生を送っていくことに関しては当然の確定事項であるし、現代日本で模範的な人生を送ってきた身としては全くもって難しいお話じゃあない。
だが冤罪となれば話は別。そして何らかの罪を犯したのではと疑われたとき、一番不味いのは一人でいること。というわけで理汪は昔から必ずといっていいほど、誰かと行動を共にするよう心掛けている。熱があろうと何だろうと、家に母がいないというのなら誰かの家に転がり込む。むしろ証人は血縁でない方が都合が良かったりもするのだ。お陰で友達百人出来るかなも現実的。友好関係の濃い薄いを除けばぶっちゃけ目標はとっくに達成できている。人間生きるためならなんでもできるんですね。通信機器が発達した時代でよかったとことごとく思う。
とまあそうやって具合が悪いままにフラフラと遊び歩くことはザラにあるわけだが、それで具合が悪化したなら悪化したで、入院というのはむしろ歓迎したい展開である。どうぞ回診検査心電図、あらゆる記録でもって公式にそこに居たことを証明してください。個室だけは全力回避。
『……理汪。もうハイスクールも卒業だろう。一人で大人しく眠るくらいはできるようになれ』
「でも俺のワーストワードは『ひとり』だからなあ」
alone、ダメ、絶対。『了解、迎えにいく』というこの友人の言葉だって、危険を避ける努力をしてきたがゆえに得られたものだ。人当たりよく、顔は広く。ああ理汪ね、見たわよ、なんて道を歩いてるだけでも証言が得られたら最高。とにかく刑務所はごめん被りたいのだ。あんなハードな環境でハンデ持ちが過ごしていけるとは到底思えない。身体的被害が回避できるにしても。主に精神面が。
「じゃ、俺着替えるから一旦切るね。まだお話があるんなら携帯の方にかけ直してくれると助かるな」
『いや、もういい』
「そっか。了解ダッド。愛してるよ。『白蛇』には気を付けて」
今日眠って、次にこのポジションに戻ってきたとき、己の片割れがアイリンでなく徐倫のままであるといい。父の命が失われず、片割れの命もそこにあり続けるといい。今日のこの雨が、徐倫の運命を変える悲劇に降る雨でなければいい。
他力本願な自覚を抱えて、理汪は咳を溢しながら自室へと踵を返した。

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