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ついにやってきたバルバッド。ご存じの通り、紅玉ちゃん初登場はジュダルのやんちゃが起こしたウーゴくんの暴走まっただ中である。
煌帝国皇女としてお抱えの神官殿は返してもらわなければならないわけだが、そこに過剰防衛を加える理由は特にない。別に主人公に敵視される必要もないわけで、派手に暴れまわって七海の覇王と物理的に急接近をする必要性もあまりないように思う。いや、惚れなきゃならんのか。きゅんと来てこの女は使えると認識されなきゃならんのか。ううん、いや、でもそれ必要か?わからん。
しかし元々の性格が争いごとを好まない……正しくは争いごとは余波の及ばない範囲でお願いしたい性格なもので、不必要に青い巨人に追撃を加えるつもりなど毛頭ない。毛頭なかったのだが、残念ながら、過剰防衛に走るのは青い巨人の方であるもので。
始まりにこちらに非があるのは間違いない。自由奔放なマギが起こした事態であるとはいえ、そのマギが煌帝国のお抱えとなればこちらに責を求められるも当然と言えば当然だ。しかしながら、自分が話術に秀でている自信はないので、その辺りを突かれて口で言い負かす自信も当然ながらないのである。
となれば、さっさと事態を収拾してさっさと消え去る。これが一番の対応策だろう。
そう判断したからこそ、ナマエはこちらを逃がすまいとする青い巨人へと一撃を加え、そのままそそくさと撤退をしようとした。
本気で殺しにやってくるのは巨人の方だ。思わず滅しちゃったのも仕方がない。こっち悪くない、悪くないよ。そう言い聞かせなくちゃアラジンの絶望顔によってナマエの良心がたこ殴りである。その後の彼の攻撃魔法には若干の理不尽さを感じないでもないが。
それでもこちらとしては主人公様と争う気などさらさらなかったのだ。しかしアラジンは怒りのままに引いてくれそうもなかったので、それ以上攻撃を加えるというのであれば民衆諸共犠牲になりますけれどもよろしくて?と連れていた従者で脅しだけかけて、やはり早々に退散させていただくことにした。もちろんそんな気はない。虐殺の趣味は断じてない。
そんな、騒ぎと言うほどでもない騒ぎの最中、チラッと目が合ってしまったシンドバッドからは慌てて目をそらしたが、それがむしろ一目惚れフラグを設立した可能性は否めない。原作の流れをある程度維持したという視点で見ればむしろ好都合なのだろうか。望む改変部分までは、あくまで定められたルートを辿る方が賢いだろうし。
何はともあれ、主人公の怒りを回避できないながらに前哨戦をくぐり抜けまして、所変わってクーデター真っ最中の宮中にて。
「俺は王にはなりません。次の国王には誰もならない。バルバッド王国は今日で王政に終止符を打ちます!バルバッドを格差のない共和制市民国家にする!それが今日、俺が提示しに来たことだ!」
アリババくんの屁理屈ごり押し劇場の開幕である。この場の誰もが彼の発言に驚愕し、その瞬間から彼の堂々たる勢いに流されつつあるわけだが、残念ながらナマエだけはその例外だ。何せこんな展開はわかりきっていたこと。そして何より、その上でナマエには我が国の軍師たる紅明兄様直伝の対応策があるのだから。
とにかく引かない、動じない。あらゆる要求ははねのける。ナマエは冷めた目でアリババを見つめ、小首を傾げて「そうですか」と相槌を打った。
「それで?何でも構いませんけれど、それならそれで早く長を決定なさってくださいな。私は『為政者』と婚姻を結びに来たわけですから、共和国家の代表者であろうとも構いませんことよ」
「残念ながら紅玉姫、仮に今すぐ代表者を定めたところで暫定の代表者に過ぎません。その地位は今後民衆の意志によって変化していくでしょう。あなたが身を寄せるにはいささか地盤が緩いものと思われますが」
「お気遣い感謝申し上げます。けれど、無意味なお話に時間をつぶすつもりもありませんの。つまりバルバッドは煌帝国と交わした婚姻と条約締結の約束を果たされるのか、反故になさるのか、はっきり申し上げて頂けます?」
「……その約束を、無かったことにしていただきたいのです」
「無理なお話ですわね。起きた事象は『無かった』なんてことにはなりませんのよ、アリババ・サルージャ王子。婚姻と調印が成されないという結果になるのであれば、それは『無かった』ことになるのではなく、約束を『反故にした』ことになるのです。どうぞ、お言葉を間違いませぬように」
こちらこそどこでお言葉を間違えるかわからないくせに、我ながらふてぶてしい物言いだ。合わせた袖口の下で手のひらは汗びっしょりである。
しかしこんなことでは引かない図太さがあるのがアリババ・サルージャ。その実、こちらのように手のひらはぐっしょりです、なんてことであれば結構な親近感がわく気がする。ちょっと一度確認してみたい。しかし態度としてはそんな様子をおくびにも出さないアリババは、ナマエの威圧に一瞬押し黙りこそしたものの、すぐに気持ちを持ち直した様子で強い視線でこちらを射抜いた。
「約束を守るか破るかだけが結果ではありません。その相手が存在しなくなれば、約束事自体が消失します。バルバッド王国は、消滅したのです。ここに生まれるバルバッド共和国は、バルバッド王国とは全く異なる国家です」
「随分と屁理屈をこねますのね。つまり、その屁理屈でもってバルバッドは約束を反故になさるということでよろしいのね?」
「反故にするのではなく、もう存在しないのです」
「忘れていらっしゃるようですから申し上げますわ。バルバッド王国の消滅……すなわち、これまでの借金の返済が不可能となった今、担保となっていたあらゆる権利は煌帝国のものです。あなたの仰る共和国が必要とするあらゆる権利……その国土でさえも、既に煌帝国のものでしてよ」
「ですがそれらは全てバルバッド王国が交わした約束事です。それらの権利を譲渡したこと、全て白紙に戻して頂きたい」
「あら、つまりバルバッド共和国は煌帝国の所有物を自分たちのものとして略奪なさろうと仰るのね?」
夏黄文が視界の中にいてくれたのなら、これでいいのか否かを彼の表情から確認できるのだけれども。だが今の彼は従者としてナマエの背後を位置どっている。ここは誰の顔色をうかがうでもなく一人で切り抜けるしかない。とにかく強気に、一歩も引かず。引く必要などはじめから無いのだという紅明の言葉を信じて、ナマエは間髪入れずに追撃に移った。
「では、煌帝国はこの侵略行為に対する自衛手段のため、兵を動かすことになりますわ」
勝った、バルバッド編、完!……と言いたいところだが、ここで回廊の奥からシンドリア国王の登場である。
「お父様は兵をお出しにはならないと思いますよ、紅玉姫」
ここに来てお父様、のワードを用いてくる辺り、こちらの心理を揺さぶる気満々である。あたかもお前の頭の及ばない範囲の事情があるんだよお嬢ちゃんと言わんばかりの顔だ。被害妄想は認める。
だが事態をひっくり返せやしない事柄であるかのように見せかけるのが上手いことは確かだ。シンドリア国王の登場に伴って姿を現した七海連合の外交官たちも侮れない。なんといっても国家間交渉のエキスパート達だ。陰で忘れられてきた市井の出の皇女とは訳が違う。
「なぜなら、バルバッド共和国は我々七海連合の一員となるからです。侵略しない、させないが我ら七海連合の理念。そして我々には、陛下も一目おいてくださっているはずですね」
「あら、それは煌帝国の進軍があなた方の掲げる不可侵の理念に抵触すると仰っているのでしょうか。シンドリアは七海連合を率いて我が軍に牙を向くと脅していらっしゃる?煌帝国が自らの権利を守る正当な行為を妨害なさると?つまり不可侵を謳う七海連合は自ら不可侵を破り、我が煌帝国の有する『権利』に対し侵略行為を行うという解釈でよろしいかしら」
そちらがその気なら開戦も辞さない……のはあくまで口先の姿勢だけである。大丈夫大丈夫、紅明兄様の後押しがあるから。と頭の中で繰り返さなければならないほどには、シンドバッドの態度は堂々としすぎていて恐ろしい。自分は間違ったことを言っていないという主張は、無様に一人わめき散らすか、あたかも公然たる事実であるかのように堂々と振る舞うかで全く違ってくるものだが、彼は間違いなく後者の態度を貫ける人間である。紅明の言葉がなければナマエも押し負けてうっかり助けを求めるように夏黄文を振り返っていたかもしれない。そんな態度を見せれば最後、押し負けるのはこちらだろう。
とはいえ、別にここで婚姻を結ぶことも、奴隷条約に調印を頂くことも、何ら重要なことではないのだ。それが達成される必要はないし、達成されてしまっては原作に狂いが出る。となればむしろ困るのはナマエの方だ。
ナマエが成し遂げたいのは単純に己の汚名回避。単なる保身だ。ここまでの応酬でそれは十分に成されたといってもいい。引き際……もとい、原作に流れをお返しするにはそろそろ頃合いだろう。
ナマエはにこりとした笑みを保ち、シンドバッドの反論を待たずしてアリババに向き直った。
「わかりました。ではアリババ・サルージャ王子、どうぞご自由に、民衆の前で煌帝国の権利を己の物と主張する略奪国家の建国を宣言をなさってください。代表者を選定次第、正式な主張を通してくださいな。煌帝国はあくまでも正当な対応をお約束しましょう。では、私は離宮にてお待ちしておりますわ」
勝った、今度こそバルバッド編完!
あとはアリババとシンドバッドがどんな新作戦で挑んでこようとも、広場で暴動が起これば全ておじゃん。暴動鎮圧の名目で上陸する煌帝国がバルバッドを収めて原作と合流である。万歳!
反論されてもこちらが困るだけなので、「行くわよ夏黄文」と早々に踵を返させて頂く。振り返って目を合わせた夏黄文は満足げな表情で頭を垂れた。どうやら下手は打っていないらしい。改めてほっと一息。遅れてやってくる激しい鼓動に深く息を吸い込み、ナマエは厄介な暴動から逃れるべく早足にその場を後にした。





アル・サーメンが関わった盛大な暴動の音を聞きながら、ああこれで一仕事終えたと胸をなで下ろし、次に控えているであろう本国での兄弟間の真面目なお話に向けて気持ちを切り替える。そのために気持ちを落ち着け、さあがんばるぞと意気込んでいた。ただそれだけでここでの面倒ごとは越えられたはずであったのに。
「紅玉姫、先の暴動にてお怪我はありませんでしたか」
こんなやり取りは紙面にはなかった!
暴動の鎮圧後、まさかのシンドバッド王来訪。これは想定外だと心の内で地団太を踏む。
しかしよくよく考えればこれも必然的な流れだろうか。思えば原作における練紅玉の行動というのは、条約破棄の件を本国に持ち帰ることを選択し、王宮での一件の後は早々にバルバッドから退散していたような気もする。カシムとの戦いの場面に紅玉の姿はなかったはずだ。とはいえ滞在という選択をした今回も、客人として招き入れた王族を自国の紛争に引っ張り出せばそれこそ国際問題、という理由で暴動中を離宮に籠もって過ごしたわけだが。暴動鎮圧でバルバッドを支配下にするというのは海上に控える鎮圧部隊のお仕事なのである。威厳を示すという意味ではナマエが前線に出るという選択肢もあったのかもしれないが、命令がないのだから進んで前線に出る理由もない。
ともかく、今回ナマエはバルバッドに滞在する選択をした。そしてシンドリア国王であるシンドバッドは、そんなナマエに『シンドリアは煌帝国に侵略行為を行う心算』と言わせたまま終わらせるわけにもいかないのだろう。その予想通り、安否を気遣う社交辞令の後は早速の本題である。
「先ほどは誤解をさせてしまったようで申し訳ない。七海連合は決して貴国の権利を害する目的でバルバッドを迎え入れようとしたわけではないのです。本国にご帰国なさる前に、あなたにはそのことを理解してほしかった」
所行の一つ一つに女たらしの気配を感じないでもないのは気のせいだろうか。なんだろう、声音のせいだろうか。表情だろうか。「あなたには理解してほしい」という言い回しのせいだろうか。残念ながら自国のためならば手段を選ばない彼を知っている身としては、恐ろしいとしか思いようがないのだけれども。
「その機会をくださったこと、感謝します。紅玉姫」
「シンドリア国王の来訪をお断りするわけにもいきませんから」
「今回ばかりは国王という己の肩書きに感謝しなければいけませんね」
よくまわる口だあ。ひきつりそうな頬は袖を持ち上げて覆い隠す。ナマエのこの反応をどう受け取ったのか、シンドバッド王はにこりと微笑んだ後、穏やかな表情を真剣な面もちに切り替えて本題の中の本題へと移った。世の女性はこういう表情の変化にドキッとくるのかもしれない。それはちょっとわかる気がする。
「我々七海連合はバルバッドを連合に迎え入れた後には、貴国への借金の返済を援助するつもりでいたのです。ですから先ほどは『陛下は兵を進めることはない』と申し上げたのですよ。煌帝国は、担保としたあらゆる権利を回収する必要がないのですから」
でもやっぱりこの狸具合が怖すぎて無理。なるほどそう来たか、と感心はするが、これもいい意味での感心ではない。そう来るのね、やだわ素敵な手腕……ではなく、うげえ、そう来るのか……の方である。
確かに、海洋権だの国土だの、あらゆる権利はあくまで担保なのだ。あくまで、借金が返済できなかった場合にもらい受けるもの。バルバッドが借金を返せるとなれば、煌帝国にこれらを奪い取る権利はない。そのうえでの進軍であれば七海連合も『煌帝国によるバルバッドへの侵略行為』と胸を張って言えてしまうわけだ。
どう見たって後出しじゃんけんだ。本気でそこまでの資金援助をする気があったのか否か、全てが不必要になった今では真意のほどはわからない。だがナマエにはそれを突けるだけの材料もなければ、突いたところでその先を上手く運べるだけの自信もなかった。となればここは柔軟な態度でのらりくらりと会話を終えるほか無いだろう。
「まあ。他国の借金を共に背負うだなんて、随分と立派な心持ちでいらっしゃいますのね」
「我々は国が持つ独自性というものを何より重視していますから。バルバッドには素晴らしい文化が数多存在しています。心打たれたものへの支援には努力を惜しみません」
「素敵なお考えですわね。そのような意図での発言でいらしたのであれば、私も早とちりしてしまったことを謝罪いたします。誤解したままで終わらずによかったと、心から思いますわ」
「ありがとうございます、姫君。あなたの自国を思うお心、そして他国の思想に理解を示される優しさ……それらに触れられたこと、私も嬉しく思います。あなたのような皇女がいらっしゃるとなれば、煌帝国はさぞ立派な国なのでしょう」
甘い。発言がいちいち甘い。ものすごく返答に困る。
ついつい目を合わせていられなくなって顔を背ければ、シンドバッドはその隙をつくようにして、ここぞとばかりに次なる話題をぶち込んできた。
「つきましては姫君。シンドリアは今回の件について陛下に会談を申し込みたいと考えています」
「……そうですか。会談の申し込みとなれば、正式な書面をご用意頂かねばなりません」
「ええ、もちろんです。後日用意させていただきます。ですが折角このようにお会いできたのですから、またお会いしましょう、とあなたの目を見て挨拶がしたかったのです」
あっまーい。イタリア人か。シンドリア国王はイタリア人か。日本人的感覚ではこれは糖度が高い。またもや反応に困って視線を泳がせると、なかなかにすごい顔をしているこちらの従者が目に入った。だよね、煌帝国的にもこれは甘いよね。一方的解釈とは言え同意を得られたというのは大きい。おかげで気恥ずかしくなっていた気持ちも落ち着き、逃げたがる視線をシンドバッドに向け直すことに成功する。そうして視線が交わると、シンドバッドは胸に手を当てて微笑んだ。
「また、貴国にてお会いしましょう。紅玉姫」
ぶっちゃけて申し上げるとすごく嫌だ。


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