▼兄王様御即位計画1


巨悪の巣食うお国にて、第八皇女の身に生まれ落ちてしまった。練紅玉。良く知ったお名前を頂いて、ナマエはマジかと頭を抱えたくなった。遠い未来の話とはいえ、崩壊した国だの新皇帝だのご勘弁。日のあたらない肩身の狭さ上等。居るようで居ないような、そんな皇女のポジションを維持したい。別に誰が皇帝になろうが構わないのだが、叶うことなら何が起きても何とかなりそうな人材にご即位願いたいのが当然だろう。誰だって泥船に乗りたいなんて思わない。是非とも安定した統治のもとでぬくぬくと過ごしていたい。……となればやはり思い浮かぶのは練紅炎、この人である。加えて練紅明。ぶっちゃけ資本主義で培われていた感性は彼が望む社会主義に共感しづらいのが本音だが背に腹はかえれない。妾腹の第八皇女は紅炎推しです。となれば防ぎたいのは白龍による上三皇子の追放だが、白龍の玉艶殺害がなければ煌帝国の宮廷はきな臭いままであるわけで。いや、正確には玉艶のその中身なのだが。というか玉艶を倒したところでその中身は今度は白瑛を入れ物にするとかなんとか。煌帝国ってだけでこのハードモード感。
何にせよ、白龍の打倒玉艶計画、もとい父兄の仇討計画は大いに結構。だが問題なのは、その先で兄弟間の諍いが起きること……つまるところ、兄弟が一枚岩でないことが問題なのだ。打開策はみんなで考えようよ、一致団結すればなんとかなりそうじゃん。というのは甘ちゃんの考えなんだろうか。
ではどうするべきか。というか、平和な煌帝国が最終目標であるにしろ、ナマエの平和ボケした頭ではとても打開策なんざ思いつきやしない。政治学とは無縁の生活を送ってきたのが平凡な前世。思いついたところで実行できるだけの自信も器量もない。ないという自信ならある。
どうしよう。どうしようかなあ。そう思っている間に、ついに白徳、白雄、白蓮が陰謀のもとに亡くなった。つい先日のことだ。重傷を負った白龍は休養中。王座は未だ空いたまま。とはいえ、紅徳の方がその座に就くのも時間の問題だろう。
……とりあえず、兄弟仲良く、を目標に白龍の暴走を予防すべく動いてみようか。それを皮切りにゆくゆくは予知夢とでも称して原作知識を兄弟に託して、平和な煌帝国を築いて頂きたい。この『兄弟』には白龍も含めたいところだ。なにせ白龍自体は決して悪い子ではないのだから。彼があれこれと暴走してしまうのは、結局は孤独と怒りと失望と使命感と劣等感と……その他諸々のフラストレーションが原因だ。たぶん。つまりは彼には理解者が必要なわけだ。伸ばした手を握り返してくれる相手。守られるばかりではなく、守ることのできるなにか。後者に関してはぶっちゃけてしまえば自分よりも惨めな何かである。遊女の娘というステータスがこんな形で役に立つとは。いや、しかし底辺の存在が自分を同族とみなして近寄ってきた!と逆に刺激してしまう可能性も高いので適度な距離感が重要。こちらから近づくのでは難易度が高い。どうにか向こうから接触を図ってくれるようなさりげない存在アピールを……難しいぃいい。
何はともあれこの時点でのナマエはまだ忘れ去られた第八皇女だ。良い意味でも悪い意味でも周囲の目は向いてはいない。白龍と距離を縮めるのには今が最良の時であるというのに間違いはないはず。とりあえずお見舞いのお花でもこっそり窓辺に並べるところから始めようか。桃の花なら簡単に手に入るうえ、魔除け厄除けの意味があるので玉艶の正体に気づいていますアピールにも繋げられる、かも。





「……っ桃の花!」
「!」
捕まった。気づかれるかもわからないお見舞いの花を窓の外に添える日課の帰り、まさかの待ち伏せに見事に引っ掛かった。
いや、確かにこれでいいんだけどね?気づかれなくちゃ意味がないんだけどね?でもまさか今日顔合わせのタイミングが来るとは思っていなかったわけで。不意打ちというか、つまり心の準備ができていなくてですね。
そのせいでついうっかり逃げ腰になる。片手を掴まれてなお袖口で隠した顔を背けるという往生際の悪さを見せつけつつ、頭の中で必死にこの後の行動方針を考えた。
「き、気づいていました。ずっと……あの、ですから、に、逃げないでください。何もしませんから……顔を見せてくださいませんか」
「……い、卑しい身でございます、ゆえ……お話するなどと……」
「……っ……だ、誰も居ません!俺はそんなこと気にしない!」
えーと、この場合どうするのが正解だろうか。いや、仲良くしておきたいわけだから、自己紹介しておく必要はあるわけで。というか分かりきったことではあったけれども、まさか相手が従姉だとは気づいて居ないらしい。さすが、存在感のない皇女。適度に忘れられている。まだお付の部下も宛がわれていない状況だもんね、当然だね。とはいえもうそろそろだとは思うのだけれど。
いや、そんなことよりも重要なのは今だ。うわあ、腕を掴んでいる白龍の手が心なしか震えているのがわかるよお。母性本能がくすぐられるよお。掴む手掴む手を振り払われてばかりの未来を思うと、なおのこと大事にしてあげたくなる。
一応、白龍の言動から察するに、こちらに悪い心象を抱いている様子はない。そのことを改めて頭の中で理解して、ナマエは袖の影からそろそろと白龍の方を向いた。
う、うわああ!縋るような顔であからさまにホッとして見せるのやめてええあざとい!
「……花のお礼を……ずっと、言いたくて……」
「……」
「…………な、名前を……」
来ました緊張の場面。白龍の中の、お見舞いを続けてくれた名も知らぬ少女、という像が、父兄の死によって地位が向上した従姉、に変わる瞬間。向けられるのが嫌悪や失望の類になる可能性を考えるとこっちまで手が震えだしそうだ。一応ね、宮中で敵が居ない分、味方も居ない状況なのでね。こんなところであからさまな嫌悪を向けられる恐怖と言うのがなかなかにリアルに想像出来てしまいまして。
しかし、このままだんまりというわけにもいかないので。
「…………練、紅玉……」
「……え……」
名乗った!名乗ったぞ!そして案の定戸惑ってみせた白龍に、ここぞとばかりに畳み掛ける。嫌なことは一気に済ませるに限るのである。
「れ、練家の名こそいただいてはおりますが、私は市井の出です!ゆ、遊女の娘です!こんな卑しい身にも関わらず、おこがましくもお花を届けに通いましたこと、この度はっ、ふ、ふかくお詫びを申し上げ……っ」
これぞ下手に出て相手の良心に訴える作戦。己を卑下してそんなことないと言わせる……未来のお付きくんと全く同じゲススタイルでありますな。と、冷静に考えているつもりでも、実際のところは脳内パニックのナマエである。敬語に関する不安がヤバイ。あと礼儀やマナーに関しても不安がヤバイ。何せ日陰で忘れ去られた皇女だ。その辺りの教育がなされていないもので。それでも申し訳程度に膝をおって頭を下げる姿に敬いたい気持ちは察してほしい。片腕をとられたままなもので、両の手を合わせることも叶わないが。
どもったのはマジのどもりだ。さすがにそこまでの演技力はない。しかし言い終わる前に聞こえてきた足音にヤベッと肩が揺れて、途端に何をどこまで言ったのかの記憶が吹き飛んだ。誰か来る、という状況に目が泳いでいるのも素直な反応である。
するとどうしたことだろうか。「え」以降にリアクションのなかった白龍が唐突にナマエの腕を引いて歩き出した。向かう先が足音とは逆方向の物陰であったこと、そうした彼の意図に気がついたのは、「しぃ」と白龍が人差し指を立てた姿を目にしてしばらく呆けたあとであった。





というのが幼き日々の始まりでありまして。
結論から申し上げますと、白龍とは大変仲のよろしい義姉弟になりました。そもそもがこちらとしては仲良くさせて頂くつもりでのお見舞い行為であったわけで、白龍の方さえ嫌悪感を抱かずにいてくれるのであれば行きつく先は最初から決まっていた。
最初は肩身の狭いもの同士、かつ世話を焼かれる側であった白龍が世話を焼く側に回れる下等存在ということで、小さな白龍に手を引かれて二人でこそこそと話をすることから始まった。この頃はまだ白龍にとってみれば気を紛らわせる程度の存在でしかなかったのだろうが、それを劇的に変化させたのがナマエからのカミングアウトである。
つまりは『練玉艶という脅威の存在を知っている』という共通認識のアピールだ。
そう、すなわち嘘っぱちの夢見の力アピール。ありもしない能力を持っていると騙ることは己の身を滅ぼしてもおかしくは無い危険な行為ではあるものの、それでも『コントロールが効かない』となれば知っている情報が限定的でも案外どうにかなるものである。未来にあたる不思議な夢、真実を示す不思議な夢……それらを見た、というのは一回きりの奇跡であっても構わないのだ。たった一度であろうとも、それがまぎれも無い真実であれば十分なのだ。
そんな予知夢アピールに関してはお見舞い段階から布石は敷いてきたわけであるが、いざ本番となると相当に勇気のいる作業であった。当然だ。拒絶されるかも云々なんてレベルのお話ではない。どこかで誰かが聞いていれば、もしくはうっかり玉艶の危険性を信じて居ない時期の白龍にでも話を振ってしまえば。これはナマエの生命の危機に直結するほどの重要問題なのである。
絶対条件は白龍が白雄から託された『暗殺の首謀者は玉艶』という真実を実感として受け入れた後であるということ。それ以前の白龍にうっかりカミングアウトをかましてしまえば、母を信じたい白龍が「母上が父上たちを殺しただなんて嘘ですよね、兄上や義姉上が仰っていたことはきっと勘違いですよね」などと玉艶にうっかりカミングアウトをかまされる可能性があるわけで、万一にでもそうなれば危険因子ということでナマエという存在が抹消される……というルートは想像に難くない。怖い。永遠に皇后陛下の眼中より外側で息をしていたい。
つまり重要なのは打ち明け時の見極め。四六時中白龍のそばにいるわけでもない身で、彼がいつ玉艶に直接真実を確かめに行くのかはわからない。果たして、様子を見てさえいればなんとなく察することはできるのだろうか……と不安に思っていた時期が私にもありました。だがその時になると結構あっさりわかるものである。実際、白龍はまだまだ幼いもので、混乱中となれば絶望の感情が顔にありありと出ていたのだ。もちろん、察することができたからといって、いざカミングアウトに踏み切ろうとすると己の判断に対する不安がふつふつと湧き出て内心ガクブル状態であったわけだが。
とはいえこうして振り返る自分がいる通り、命の方は無事でございます。タイミングの見極めには成功したというわけである。
切り出し方に関してはまあ、桃の花は飾ってくれている?というナマエの出だしからの、義姉上に頂いたものですから飾ってますけど身体はもう平気なんでお見舞いなら気を使わなくても、という白龍の気遣いからの、だめよ宮中には恐しいものが、とここで息を詰まらせて言いよどむというナマエの思わせぶりな引きからの、どういうことですか、という白龍の食いつきからの……とまあまどろっこしい会話の流れを作った上で、桃の花は魔除けの力があるって聞いたから置いてたんだよー、とても言えないし誰にも信じてもらえはしないけれどもとても恐ろしいものがいることを知っているんだよー、とアピール。これが計算ずくというやつだ。汚い女のやり方で可愛い白龍に接してしまった。しかし罪悪感とはもうおててを繋いで歩けるほどのお友達なのでそれなりに平気だった。人間保身にまみれて生きるのが当然。それでいいよもう。開き直った者勝ちである。





「……もしもバルバッドの王政が崩壊していたら、どうすることが正解ですか」
白龍との仲睦まじい日々を重ね、特殊訓練を受けたわけでも無い紅玉ちゃんが攻略できたんだからなんとかなる、とどうにかこうにかヴィネアを攻略すれば、やがて『原作』に本格的に交わる時期がやってくる。
この頃にはナマエは『恐ろしい夢の相談』という形で白龍に原作知識を公開し終えており、ヴィネアの攻略でもってその信憑性に共に驚愕する、という体で未来情報を兄弟と共有するための基盤を完成させていた。となれば次にこの兄弟の幅を紅兄弟にまで広げるための基盤が必要になってくる。白瑛に関しては玉艶の次なる器、という危険性を考慮して情報共有は避けたままであるが、白龍もそのうえで兄弟揃ってどうにかやってみる、という同意のもとにこの次なる基盤づくりに協力してくれると言うことで……ナマエは共に立てた計画通り、『バルバッドへの嫁入り』の話が出た後に紅明のもとを尋ねた。
ナマエが先の唐突な質問を投げ掛ければ、予想通り紅明はぱちくりと目を開いて作業の手を止めた。こういうとき、口許を隠せる衣服というのは本当に便利だと思う。合わせた両袖を目元付近まで持ち上げて視線を明後日の方向へ。こうしておけば、兄からの視線に対する居たたまれなさは多少なりとも軽減される。
「……突然どうしたのです」
「いえ、あの……ごめんなさい。きっと色々と緊張しているせいで、変な夢を見てしまって……そうなるわけではないとわかっていても、もしもそうなってしまったらどうしようと、だからせめて紅明兄様のお考えを聞いておけば落ち着いて公務に集中できると……!」
「少し落ち着きましょうか、紅玉。大丈夫、何も責めているわけではないのですよ。順を追って話してごらんなさい」
見よこの包容力。というか取っつきやすさか。相談相手が紅炎ではきっと痛い沈黙と威圧感に涙目だったことだろう。軍事に詳しく、なおかつ柔らかい方の兄がいてよかったと心底思う。
「夢を見たと言いましたね。どんな夢を見たか、から話してみましょうか」
「その……私はバルバッド王との婚姻のために現地へ向かうのですが、そこではクーデターが起きていて……国王は捕らえられ、第二王子は即位を辞退し……第三王子はバルバッドから王政を廃止する、だからあなたの結婚相手はここにはいない、と……」
しかし流石の紅明でも呆気にとられるのが『変な夢』の中身だ。流石に細かな状況設定の施された夢には引き気味だろうか。痛い子と見られるのはつらいものがあるが背に腹はかえられない。存分に「なにこの子の妄想力怖い」とでも思っておくがいい。この突拍子のない内容が実際に起こる出来事であるということの方が怖いんだ。何より、そのさらに先にある展開が。
それらを退けるため。これは白龍に対して行ったのと同じお先に証明しておきますねスタイルの必要な基盤なのだ。基盤の設置を怠って、やがて来る未来を素直に迎えてしまうなんてことは御免被る。なんて頭の中で考えながら、表情はしっかりと袖口に隠して「……その、本当に突拍子もない話で……」と白々しく弱々しい声を出す。対して紅明はしっかりとこちらを見据え、堂々たる声音で真正面から妹の不安に取り合ってくれた。
「第三……いえ、確かに、バルバッドはいつクーデターが起きてもおかしくはない情勢です。不安に思うのも仕方がないことでしょう。……紅玉。もしそうなったとしても、煌帝国がバルバッドの地を得ることに変わりはありません。国が崩壊するというのならなおのこと、治める人間が必要です」
「私もそう申しました。煌帝国はバルバッドに対して大きな借りがあると。けれども、第三王子が言うのです。バルバッドという国はなくなる、ここには新たな共和国家が生まれる。煌帝国に借りを作った国が存在しないのだから約束も存在しないと」
そんな無茶な主張があるか。呆れ顔の紅明が言いたいことはありありと伝わってくる。ので、せめてとそれを口にされる前に先回りをする。流石の私もそれくらいはわかっていますわお兄様アピールである。
「無茶苦茶な主張です。そんなものは通らないと申しました!なのに、なのにどういうわけか、シンドリア国王が」
「待ちなさい。シンドリア?……またずいぶんと急にその名が出てきましたね」
「突然、王宮に現れたのです。いえ、正確には前日に出会っているのですけれど……」
「前日……いや、構いません。ひとまず先の場面を続けてください」
「……シンドリア国王が、共和国は七海連合に加盟するものだから、陛下も進軍はなさらないだろう、と……私、私はどうしたらいいのか、わからなくて……共和国が七海連合に加盟する旨を陛下の前に証明しに来なさいと、それだけ言い残して……私はその件を持ち帰りました……」
アリババとの問答で自ら隙を晒してしまう辺りについてはそれとなくぼやかしておく。概要さえ伝えれば対抗策を立てるのには十分なはずだ。使えない妹だと軽蔑されたくない気持ちとなけなしのプライドが成せる卑怯な技である。とはいえあえてぼかしても事の展開からこちらのミスをあっさり読み取られる可能性は高いので、事前に失敗は認めておくに限る。
「とんだ失策です!わかっています!でも……でも、もしも本当にそんなことになってしまったら、七海連合という後ろ楯を前にどうすることが正しいのか……!」
どうすべきかわからないというのは本心だ。国家間の政略のぶつかり合いなんて分野は完全に専門外。それぞれの利権が押して引いてを繰り返す世界というのは難しい。あの場で練紅玉がどうしていれば百点の対応と言えたのか。もちろん「と、陛下ならはね除けると思いますわよ」と隙を見せた点が過ちであったことは原作でもさんざんに描かれていたのだから理解はしている。しかし、そこで「そんな屁理屈通らないわ」と押し続けていればそれでよかったのかはわからない。なにせあのラスボス臭漂うシンドバットが関わってくるのだ。圧倒的に不利なバルバッドであるにもかかわらず、それを救わんと動いているのだ。
仮にこちらが「そんな屁理屈通らないわ」で押し通しても、「共和国は七海連合」とされてしまえば不可侵の理念のもとに煌帝国が武力制圧に乗り出せないことに変わりはないのではなかろうか。シンドバットの力をもってすればどんな無理難題も彼らの側に都合よく転ぶという気がしてならない。なんてったってアリババこそが主人公サイド。
まあ結局のところ煌帝国は目的を達成できるわけだが。今重要なのは、その前段階においてナマエが「失策をうった皇女」の汚名を回避するための正しい対応であって。とりあえずの正解が知りたいのである。
「正解は単純ですよ、紅玉。はね除けなさい。難しく考えることはありません」
「……で、でもバルバッドが七海連合に加わるとなったら……」
「ならばなおのこと。いいですか?煌帝国は正当な主張をしているのです。既に煌帝国のものである権利を得るのは当然のこと。バルバッドの通商権、海洋権、制空権、その国土でさえも、全て煌帝国に借金の担保として差し出されている。それを回収することを武力をもって阻止するというのなら、それは煌帝国の権利を侵すこと。七海連合自ら掲げた不可侵を侵すことになります」
「…………あ……」
「わかりますね?ハッタリですよ。兵を出せないのは陛下ではなくシンドバッドの方です。あなたの夢の中のシンドリア国王は七海連合の名をちらつかせて脅かしているだけ。実際は、煌帝国の前にはなんの障害もないのです」
婚姻と奴隷条約の調印は最終目標に向けてのお膳立てにすぎない。ソレを絶対に成さねばならないわけでもないことはわかっていたつもりであったが、シンドバッドの存在があの場においては何の牽制にもなり得ない存在であったとまでは気づけなかった。あの場があくまでシンドバッドに有利であるように感じてしまっていたのは、原作を読んでいた際の感情移入の方向が主人公側であったがゆえに助長された思いこみだろうか。これが正しいこと、とあまりにも堂々と示されてしまうと、うっかりその言葉を鵜呑みしてしまうもので。いや、単純に自分には考える脳がないというだけの話か。
「……紅明兄様。このような戯れ言にお時間を取らせてしまいましたこと、まずは謹んで謝罪申し上げます。ですが、おかげで不安も薄れました。練紅玉、立派に役目を勤め上げて参ります」
シンドバッドがあの場でアリババを推挙すべく七海連合の外交官を連れてきたというのは、あくまで先を見据えての手駒の設置というだけの意味合いであったのかもしれない。決してあの時点で煌帝国より優位に立てる確信があったわけではなく、単に国王に己の手駒を置くことで、奴隷条約という最大の痛手さえ阻止できればそれでよかったのか。
ナマエは頭の中で末恐ろしい南国の王について思考を巡らせつつ、ひとまずは膝を折って兄への謝罪と感謝を口にした。「期待していますよ」と返す紅明も、あくまで今回の相談事は第八皇女の戯言としか思っていないだろう。だがこの件が済めば、告白された夢の内容がまさに現実の通りであったことが紅明に、ひいては紅明を通じて紅炎へと認知される。
そうなればついに本番だ。ごちゃごちゃとした思惑渦巻く原作展開へ向けて、まずはバルバッド編を切り抜けなければ。


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