子供の話


ミツバ篇後の沖田と身近な大人。

 歩いているだけなのにやたら早く打つ心臓が、もっと酸素をくれと騒ぎ立てる。俺は俺の心臓が望む通りに、金魚の様にはくはくと酸素を取り込んでいたが、全然楽にはならなくて、しまいには頭の芯と体の末端がじわじわと痺れて来た。こめかみを伝う変な汗を感じて、生唾を飲み込む。
 土方さん、ちょっと休みましょうよ。却下されることはわかっていて、軽口の様にそう言うつもりだったのに、一歩踏み出した足が踏ん張ることを拒んでしまって、俺は勢いよく転倒した。いや、倒れたのか。
 60キロ近い自分の身体がアスファルトに叩きつけられて、すごい音がしたのに、ぶつけたあちこちはいまいち痛みを伝達してこない。ただはくはくと酸素を取り込むのに必死で、総悟!と耳鳴りの中で遠くに聞こえた声を最後に、テレビのスイッチが切れたみたいに全部の感覚が途絶えた。





「軽い貧血と栄養失調だとよ」

 俺が寝かされている硬くて清潔なベッドの横の、簡素な緑のパイプ椅子に、土方は窮屈そうに座っている。
 朝からだるかった身体を引きずって見廻りの最中、俺は倒れた。目を閉じてから目を覚ますまで、一瞬の様な感じがしていたから、アスファルトがベッドに変わって、炎天下がエアコンの効いた病室に変わっていたのには驚いた。今になって倒れた時に打ち付けられた身体中がジンジンと痛んで、その拍子に切ったらしい口の端に絆創膏が貼られている。
 よっこらせと俺が上半身を起こす間に、土方 の手は無意識にタバコを探していて、病院であることに気づいたのか舌打ちして貧乏ゆすりを始めた。ただでさえ気が短いのに、ヘビースモーカーは煙草が吸えない場所で、苛つきの原因を一つ増やす。

「この飽食の時代に栄養失調なんざあるんで
すねィ」

 他人事の様に嘯いて見せれば、結構強めに頭を叩かれた。病人に何すんだこの野郎。叩かれたところを手で押さえて不機嫌な顔を作ると、腕に栄養を流し込んでいる管が点滴を揺らした。

「お前しばらく休め。近藤さんには話つけてある」
「しばらくって、今日討ち入りでしょう」

 俺が抜けてもいいのかと、暗にそう言うと土方は長い長いため息をつく。

「そんなフラフラで、てめーが斬られるのがオチだろ」
「俺はやれます。さっきまで寝てたんだし、回復してまさァ。過保護ですぜ」
「そういうこと言ってんじゃねーよ」

 執拗に食い下がる俺を、土方は眉尻を下げて止めた。この、目。昔から気にくわない、子どもを見る目だ。

「ミツバが死んでから飯食えてねーだろ」

 ミツバという名が、土方の口から出て来たことに酷く驚いた。姉が先月死んでから、俺たちの中でその話はタブーになっていた。互いの傷に触れぬよう、そっと守ってきた暗黙の了解だったはずなのに、土方はそれを越えてきた。

「身体的な問題じゃねえ、精神的な問題だ。整理つくまで休め」
「嫌でさァ」
「総悟」

 俺が反発すれば同じレベルで怒鳴り散らして来る土方は、今日はずっと大人の顔をして俺を見ている。それが酷くムカついて、白い掛け布団を握りしめた。

「戦えますって」

 努めて冷静にそう返すが、土方は上着を手に立ち上がる。

「もう決まったことだ」

 振り返ったその背中が、土方が姉を拒んだあの日と重なって、俺はカッと血が上った頭に何も考える間も無く、病室のドアに手をかけていた土方に飛びかかった。
 ガシャンと音がして派手に点滴が倒れる。針は抜けて床や布団にパタパタと赤い点が飛んだ。
勢いのまま思い切り体当たりしたから、俺と土方はドアを吹っ飛ばし団子になって廊下に転がる。俺の下敷きになっている土方に、めちゃくちゃに拳をぶつけたが、土方はやっぱり大人の顔をしたまま俺を見ていた。

 姉上が死んで俺の居場所はここしかないのに、あんたはそれを奪おうとするんだ。大人の顔して、俺のこと子どもみたいに憐れんで、俺の邪魔ばっかりするんだ。
 俺は戦える。俺がダメならあんたもダメだろ。あんたが大丈夫なのに俺がダメな道理があるか。
そうやって姉上のこと忘れて、澄ました顔して生きてくのか。もう姉上のこと忘れちまったのかよ。

 怒りでまともに言葉も紡げずに、拳を落としながらそんなことを言ったつもりだった。
ガタが来ていた俺の身体は感情の波についていけずに、さあっと血の気の引く音がする。

「総悟」

 拳を甘んじて受け入れていた土方は少し焦って、俺の下から這い出て来た。わざわざ殴られていた土方にまた仄暗い怒りが湧いてくる。それをぶつけられるエネルギーは使い果たしてしまっていて、俺はへたり込んだまま身体を折って小さくえづいた。
 伸びて来た土方の手を払って、苛つきとごっちゃになった吐き気に動けず、かと言って空っぽの俺の胃は出すものもなく無意味に痙攣を繰り返すだけだ。

「忘れられるわけねーよ」

 咳き込みながら惨めに蹲っていた俺に、再び伸びて来た手は落ち着いていたが、ポツリと落ちた声は泣きそうだった。涙で滲んだ視界で土方の顔はよく見えなかったが、ようやく剥がせた大人の顔に酷く安堵したのを覚えている。





 次に目を覚ました時には、日はとっぷり暮れていて、汚したワイシャツも病院着に着替えさせられていた。土方はいなくて、万事屋の旦那がいた。点滴も血が散った布団も外れたドアも、ムカつくくらいに元どおりだった。

「よう」

 軽薄な感じで手を挙げる旦那の何も考えてなさそうな顔を見ていたら、全部どうでもいい気分になる。

「沖田くん痩せたな」

 心配も同情も滲ませず、事実だけを述べる旦那の距離感は心地いい。

「見張りですかイ」
「ここでジャンプ読んでるだけでいいって言うからよオ、あいつらほんと過保護な」
「ねえ旦那。俺ァ子どもですか」

 過保護という言葉に反応して、答えづらい意地悪な質問を投げてみた。旦那はジャンプから目を離さずに、考えているのか考えていないのか、あごに手をやるポーズをしている。

「お前が子どもつつーか、良くも悪くもあいつらが大人なんだろ」

 悲しみや怒りや、行き場を失った理不尽な事を消化することに慣れてしまった背中。

「子どものフリしてやるのも大人だと俺ァうぜ。神楽なんか結構しっかりしてるけどよ、ちゃーんとみんなの神楽ちゃんやってるもんな」

 4歳下の好敵手を浮かべた。単身地球に来た彼女は、万事屋にいる時と自分と対峙する時で、随分違う顔をする。

「大人になるって色んなことに慣れてくって事だけどよ、それでもどうしようもないこともある。甘えさせてくれる奴らがいるうちに甘えとけよ」

 土方はミツバを忘れられないと言った。大事な人を何度も見送り、仲間を何度も失って鈍くなった感性で、それでもミツバを忘れられないと。
反芻するうちに視界が滲んで、とっさに目のところを腕で覆う。
 旦那は相変わらずジャンプから顔を上げない。それはさりげない優しさだと気づいていたので、俺は甘えて静かに泣いた。

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沖田は人生で3回しか泣かないと思います。そのうちの1回。
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