君の瞳は恋してる


愛染香沖神篇。
神楽サイド。


 今日は午後から雨が降るから、定春の散歩を済ませてしまおう。行くヨ!と家を飛び出せば定春は嬉しそうに一つ吠えて付いてきた。雲は厚くて今にも泣き出しそうで、太陽はすっぽり覆われていたが、傘は雨が降った時のために持ってきた。
 しばらく定春と戯れたり駆けたりしていると、散歩ルートの一本道の向こうから、重たい黒を纏った男が歩いて来るのが見える。うげ、嫌な奴に会った。まだ遥か彼方をのそのそ歩く男にガンを飛ばすと、そいつは殺気に気づいて顔を上げた。
 無表情の口許が歪んで醜く笑ったのを皮切りに、一足飛びに距離を詰めれば、あいさつもなく獲物が交わる。定春は察してフラッと離れて、バサバサと穴を掘り出した。一人遊びの上手な良い子アル。
 攻める、攻める、間合いを取る。ジリジリと睨み合ってまた攻める。夜兎に渡り合えるスピードで、こいつは鈍く光る刀を振るう。晴れている日はもっと綺麗に光るんだけど、そういう日は私が長く戦えない。
 沖田の刀を傘で弾いた反動で一歩下がって、傘の先を向けてトリガーを引いたら、それは呆気なく避けられて(銃弾を避けるとは何事だ)、舌打ちを一つ。負け惜しみでもう一発適当に撃ち込んだら、突如あたりがピンクの煙で包まれた。
 こいつただの喧嘩に煙幕仕込んでんの?ただの喧嘩に銃を持ち出した自分を棚に上げてちょっと引いていたら、沖田はヤッベ、みたいな顔でこっちを見ている。
「この香りどこかで……」
 ただの煙幕ではないらしい。甘ったるいその匂いには覚えがある。銀ちゃん曰くそんなに良くできてないらしい私の頭で記憶を辿って、やっと線が繋がった時、すでに曇天みたいな青い目とばっちり視線を交わしてしまっていた。
 その瞬間、沖田は蛇を見つけた猫みたいに飛び退いて私から離れた。
 2メートルほどの距離感で、私たちはなす術なく見つめあっている。
 ヤダコレナニコレ。胸が苦しい。キュンキュンする。まりっぺに借りた少女漫画は私の趣味ではなかったけど、心臓が鳴る音って本当だったんだ。
 膠着していた時間は三秒もなかった。沖田は男にしてはくるんとした目を切なく細めた後、やめろ、と呟いた。
「やめとけ」
 絶望したような声色で、肩の線を固くして、沖田は逃げた。
 やり遂げたみたいな顔をした定春は砂でドロドロになっていて、突如恋をして突如振られた私にじゃれついてくる。直ぐそばには人間でも埋められそうな大穴。まあいいか。その辺のヤクザが死体処理にでも使うだろ。
「あ、雨」



 結局のところ、私が沖田のことを好きだったのは(不本意ながら、一生の不覚、人生の汚点)半日程度で、呆けたまま家に帰ってお風呂場に直行で定春を洗って、まりっぺに借りた少女漫画にこれでもかと言うほど共感して、ちょっと昼寝したら、あのキュンキュンは跡形もなく消えていた。少女漫画も悪くはなかった。ヒロインの髪についた芋けんぴを先輩がスタイリッシュに取ってくれるシーンなんかは最高だった。
 キュンキュンが消えた代わりに胸に残ったのは、沖田の絶望した顔で、それは氷の破片みたいに未だに心臓をじわりと冷やしていた。
 恋って楽しいものじゃないアルか。
 少女漫画の登場人物はみんな希望に満ちていたのに、沖田は一人で私の知らない感情に惑っている。
 
 半日で融解した恋心もどきはまだ沖田を支配してるらしい。いい加減遠くからこちらを見ては絶望するのはやめてほしい。そんな顔をされてまでちょっかいをかける気にもなれず、運動不足でフラストレーションが溜まっていく。
 銀ちゃんに与えられたカメラを手に、ブラブラと歩いていれば、ちょうどいい、アイツとそろいの重たい黒を纏った男が歩きタバコで向かって来るのが見えたので、真正面からフラッシュを焚いたら怒られた。
「総悟となんかあったのか」
 最近請求来ねーけど。煙草の煙がこっちに向いて、最近は慣れない匂いに顔を顰める。マミーもバアさんも煙草を吸うから、正直この匂いは嫌いじゃない。
「キブツソンカイのセイキューってそっちに行ってたアルか」
「難しい言葉知ってんな。おめーの保護者にも行ってるけど踏み倒してんだろ」
「アイツってカノジョいるアルか?」
「いねえだろ」
 名前を出さずに尋ねてみたが通じたらしい。
「ふーん。じゃドーテーアルか」
「童貞じゃねーの」
 土方は言ってからちょっと考えたあと、目を泳がせてたぶん、と弱々しく呟いた。あんまり当てにならない。
「つーかちょっと恥じらいを持て。女の子だろ」
 おじさんくさい説教は聞こえないフリをした。
「なんかアイツ最近めちゃくちゃ無視するヨ。ムカつくアル」
「総悟が?なんで」
「さあ。私のこと好きになったのが気に食わないんじゃないアルか」
 語弊を承知で言い放てば、土方は目を剥いて十四歳はアウトだろ……と頭を抱えた。

 薬を吸い込んでから既に二週間が経っていて、何度目かの逸された視線に私の堪忍袋の緒はとうとう切れた。勝手に絶望して勝手に無視して、なんだと言うのだ。半日の恋がなんだと言うのだ。
 いつまでもウジウジと引きずって、私に向けた感情を一人で抱え込んで殻に引きこもる沖田が気に食わない。
 私は怒りに任せて屯所に走り、襖を開ける勢いで沖田の部屋の壁を薙ぎ倒した。
「逃げ回ってんじゃねーヨ。コソコソしやがってウゼーアル!あれっぽっちの薬なんて半日で効き目切れてんダロ!!」
 地団駄を踏んで怒り心頭で沖田を見やれば、そこに絶望の色はなくて、薬を吸い込んだ瞬間と同じ切なく細めた目がそこにあって、私は自分のしでかしたことの重大さを感じ取った。
 こいつ絶対私のこと。

end.

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君の瞳に恋してないの続きです。
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