アイデンティティ


万事屋で初めて力仕事を頼まれる神楽の話。


 神楽はしゃけ茶漬けをかき込んだ。どんぶりで三杯目だ。
 どぎついパンチパーマに趣味の悪いドカジャンを羽織った男が、目の前で何やら喋っている。面白くもないし、唾が散るのが見ていて不快なので意識を逸らした。
 このクルクルパーマを維持するのは大変そうである。パーマの原理なんてよく知らないが、この髪で生まれてきたのではないだろうから、相当いじくり回していると見た。神楽は父が寂しげな頭になるたけ刺激を与えないようにしているのを知っていたので、頭とはあんまりいじるとああなるものなのだと思っていた。目の前の男は父より幾分か若いので、数年後には余った髪をかき集めてパーマをあてるか、怖気付いて自然派のストレートヘアに鞍替えするのかも知れない。
「だからさァ、おじさん困っちゃってるワケ」
 長い講釈は終わったらしい。大体が次のターゲットの悪口、そいつがいかに悪いやつか、自分たちがいかに困らせられているか、神楽の行使する暴力の正当性を説く、それはそれはありがたいお話で、三回目くらいから聞く価値なしとして、しゃけ茶漬けに集中することにしている。
 米粒一粒すら残さずに、どんぶりを傾けて空けた。事務所の机にドン!と置けば、力加減を間違えてパックリ割れてしまった。最近は上手くなったと思ったのに。
「で、どうすれば良いアル」
 大方、骨の一本や二本、ぽっきりやれば良いのだろう。夜兎にとっては割り箸を割るより簡単である。割り箸を綺麗に割るのは意外と難しいのだ。
「話が早え。おじさん助かるなァ。さっきから言ってるようにね、そいつはすんごい悪い奴なの。今までの敵よりよっぽど酷い、極悪人なの。お前の力が必要なんだよ。だからさ……」
 タマを取ってこい、と言われた。
 故郷の、誰もいない家の食卓で、一人ふりかけご飯を食べ終わって、父の帰りを何日待ったっけな、と考えていた。思い出せなかった。待っていても仕方がない。帰って来るには来るのだろうが、お金も底をつきそうだし。宇宙船にしがみついて洛陽を出た。
 地球に辿り着いたが何が変わったわけでもなかった。ふりかけご飯がしゃけ茶漬けになったのはよかったが、定春を抱き潰したあの夜から、自分は何も成長していないのだと思った。
 神楽は割れたどんぶりを醒めた目で見つめた。
「絶対嫌アル」







 神楽は梅茶漬けをかき込んだ。梅はお登勢の自家製で、市販のものより皺々で塩辛い。
 押しかけのような形ではあるが、なんとか住むところも働き口も決まった。社長は事務所のソファに寝そべってジャンプばかり読んでいるし、もう一人の従業員も最近入ったばかりと言う、優しいくらいしか取り柄のない地味な眼鏡だった。万事屋とかいう何でも屋を営んでいて、ヤクザほど黒くはないが、事業内容が不明瞭で、真っ当とも言い難かった。一階の大家は口が悪いが粋な女性で、燻らせる紫煙が母を思い出させた。母の方が断然美人であったけど。
 悪い人たちではないと思う。良い人たちかはわからないが。それでも、今のところ、神楽を利用するようなことはない。
 一滴も残さずお茶漬けを食べ切って、茶碗を差し出す。
「おかわりヨロシ?」
 お登勢は呆れたように左手で茶碗を受け取って、右手の煙草を揉み消した。
「次はどんぶりで出そうかね。銀時、食費は家賃に上乗せだよ」
「マジかよ賄い的なあれじゃねえの?!」
「働きもしないで何言ってんだい」
「急に従業員二人も増えて人余ってんだよ。社長は責任だけ取ればいーの」
 親子かと思えばそうではないらしい。それでも、喧嘩のような軽口の中に滲む信頼が、そのように見えた。
 次はどんぶりいっぱいの梅茶漬けが出てきて、卵焼きでも焼くかい?と聞かれる。見返りもなしに施しを受けているような気がして、神楽は少し居心地悪く感じた。
「僕たちもまだ全然仕事してないですけどね。スナックの二階にあって曇りガラスの引き戸って入りにくすぎるでしょ」
「じゃあ今月の収入ないってことかい?責任とって腎臓でも売るかい、社長」
「ダメダメ。糖尿寸前の俺の腎臓なんて売れるわけねーだろ」
「そう言う問題ですか?」
「新八ィ、お前健康そうだよな」
「ダメダメ。長い間コールタールみたいな卵焼き食べてたんでガタ来てますよ」
「じゃあ神楽……」
 ふわふわの頭に銃口を突きつけた。人のタマ取ってこいとは言われなくとも腎臓を取られるのは御免だ。
「仕方ない、身体で払って貰うよ」
 お登勢の物騒な言葉とは裏腹に、ふっくらした幸福の象徴みたいな卵焼きが目の前に差し出された。

 それは神楽と新八にとって初めての依頼だった。
 スナックお登勢に酒を卸している酒屋の店主が腰を痛めたらしい。店番くらいならできるが、配達がままならない。卸先によっては酒屋まで取りに来るが、お登勢も良い歳であるし、足もないので入荷に困っているのが現状だった。
「いや〜悪いね。お登勢さんから話は聞いてる?伝票見てそれ通りに酒届けて欲しいんだわ」
 店主は年嵩の男性で、銀時とは面識があるらしく、砕けた様子で話している。親の立ち話に付き合わせられた子どものように、新八と神楽は銀時の一歩後ろで待ちぼうけていた。
 本来ならば、スナックお登勢のお使いだけでも良かったはずだ。それをわざわざ、馴染みの酒屋の手伝いに万事屋を派遣するなんて、さすがかぶき町の世話役と呼ばれるだけある。この街は冷たいようで、懐に入れた者には優しい。
「今日はこいつらも手伝うから。新しい従業員」
 おざなりな紹介に新八がペコリと頭を下げたので、それに続いた。
「あ、そうなの。よろしくね。お嬢ちゃんにはちょっとキツイんじゃない?結構重いよ」
 店主の視線がこちらに向いたので、如何にも天人のこの風体を何か言われるかと思ったが、そんなことはなかった。元より流れ者の多いかぶき町では、大して珍しくないのだろう。
「任せるヨロシ。私、力持ちアル」
 天人だからと蔑ろにされる心配もなかったが、あえて夜兎とは言わなかった。力瘤を作って見せれば、店主は相合を崩して、頼もしいな、と言った。

「いや本当に頼もしいな」
「だろ?」
「俺ビール瓶二ダース持ち上げようとして腰やったんだけどさ。あのお嬢ちゃん何ダース持ってる?マジで?人間技?」
「六?おーい新八ィ!気張れ〜」
「神楽ちゃんみたいには無理ですって!つーかアンタも働け!」
 銀時は早々に離脱して、店主と店の酒を開けて飲んでいる。新八は店のチャリにコンテナを積んで、ひいひい言いながら次の配達先に向かった。
「おじちゃん、次これどこに運べば良いアルカ?」
「あ、えーとね。それは三丁目だからちょっと遠いな。チャリ返ってきたら運んでくれるかい?」
「銀ちゃんスクーターで行ってきてヨ!」
「酒入れちゃったもーん」
 憎たらしい背中を蹴っ飛ばしたら思ったよりふっ飛んでしまったが、銀時は地球人にしては丈夫なので、大事ないだろう。反省はしない。
 仕方がないので六ダースのビールを下ろして、新八の帰りを待つことにした。
「お嬢ちゃん、力あるねえ」
「これくらいシカの子とサイサイネ」
「お茶の子さいさいな」
 銀時はもう復活して定位置で手酌している。
「神楽は夜兎なんだぜ。すごいだろ」
「ふーん。そりゃすごいな」
 初対面の相手になんとなく隠した出自を、銀時はどこか得意げに口にした。酒屋の店主の返答は、銀時の身内自慢に共鳴しただけでちっとも凄いようには聞こえなかったが、尊敬も畏怖も侮蔑もなかった。そのことに、神楽はなんだか安心して、それから銀時がちょっと誇らしげなのがムカついて、意味もなく傘の先で床をつつく。壊すばかりの自分の力を人のために使えるのは嬉しかった。
 派手なこの身なりを、傭兵部族であることを、全ての人が好意的に受け止めてくれるわけではないことは知っている。夜兎の力が忌避されることは、一度その使い方を間違えたからこそ、よくわかっていた。
 神楽は夜兎である。そのことに、誇りと負い目を感じている。しかし、夜兎である前に、神楽は神楽である。
 ここではそれでいいのだと言われている気がした。それから、自分を内包する冷たくて優しいこの街を、好きになりたいと思った。

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