桃にまつわる
桃を食べる沖神。
※モブが出張る

 実家というのは古今東西、子どもに食べ物を送りたがるものらしい。屯所にはよくダンボールいっぱいの食品が届く。いい大人が嬉しそうに恥ずかしそうに、箱を抱えて部屋に向かう姿はなかなか異様である。
 姉がいた頃は自分にも届いた。中身は大抵真っ赤なせんべいで、季節の便箋には丁寧な文字が綴られていた。
 送られてくる物はやはり日持ちするものが多いが、旬になれば津々浦々の野菜や果物もあった。昨夜見回りから帰って来たら部屋に置いてあった、上等の白桃もその一つだった。少し年上の部下の実家が府中で農家をしているのだという。少しですがどうぞ、と走り書きされたメモを見て、マメな奴だなあと思った。
 残された桃を見つめる。色のない部屋に鮮やかなピンクが異彩を放っていて、なんだか落ち着かない心地がした。
 白い肌を透かしたようにほんのり色づいて、産毛の生えた丸い桃は、無生物でありながら鼓動が聞こえそうである。一つ手に取ってみると意外に柔らかく、潰してしまう気がしておっかない。
 残念ながら、沖田は桃が苦手だった。貰ったものを屯所内で横流しするのもバツが悪いし、突き返すのもどうかと思う。それくらいの分別は沖田にだってあった。
 万事屋なら誰かしら食べるだろうか。すっかり熟れている桃を見て、傷まぬうちにと腰を上げた。
 ビニール袋を引っさげて外に出ると、元気すぎる蝉が体感温度をじりじり上げていく。
蜃気楼ができるような猛暑日である。外には誰もいない。
 黒い隊服は熱をこれでもかと取り込むだろうから、今日が非番でよかった。
世の中に自分だけ取り残されたような街で初めて、公園の木陰に桃色の頭を視界に捉えて近づく。

「何してんでィお前は」

 そこは蝉の声は近かったけれど、暴力的な陽射しが木漏れ日になって神楽を彩っていた。

「ラジオ体操の帰りアル」
「ラジオ体操何時からだよ」
「六時半」

 設置されている電波時計を見れば、短針は十を指している。

「金ローがいけないネ」

 ト◯ロを堪能して、寝るのが遅かった。ラジオ体操は皆勤を譲れない。寝ぼけながら判子を貰い、睡魔に負けてここで眠り、気づいたときには日が高くなり日影から出られなくなったと言う。
説明を聞いて呆れてしまう。

「それよりなんか持ってないアルか?朝ごはん食べてないネ」

 持っていた桃を差し出すと怪しまれた。

「お前が要求したんだろうが」
「こんな素直に出されたらちょっと不安になるネ」

 食べるけど、と言いながら、神楽はビニール袋をガサゴソ漁る。なんてふてぶてしい。

「元々お前んとこに持ってくつもりだったんでィ。結構重いし丁度良かったわ」
「なんで?桃嫌いアルか?」
「いや嫌いというか」

 生きてるみたいだから。言いかけて、飲み込む。神楽は桃に夢中で、自分が質問した癖に尻切れになった言葉も気にしていなかった。

「こんな大っきい桃初めて見たネ」

 神楽は目を細めて桃を掲げた。白い指で皮を剥いていくと、つるりと綺麗な果肉が露わになった。
 桃色の口が白い実にかぶりつけば、果汁が顎を伝ってチャイナ服に滴る。シミになってしまうのに、とぼんやり考えながら、神楽が美味そうに桃を食べるのを眺めていた。

「甘いか」

 そう問えば、大きく頷く。
 桃は甘い。では神楽は。
 暑さでおかしくなったのかもしれない。味を、確かめたいと思った。
 一番色づいて美味そうなところ。二個目を平らげようとしている、桃に溶け合う様な小さい唇に目が止まる。
 桃と同じ色をしたそれは、溢れ出した果汁で艶やかに濡れている。
 美味そう。
 そう思うと止まらなくて、神楽の頬を手で挟んだ。白い頬の産毛が、木漏れ日を浴びてちろちろ光る。
 ベロリと唇を舐めた。甘い。
 それはきっと今食べている桃の味なのだけれど、そうか、こいつは甘かったんだ、と大いに納得した。
 妙な満足感を覚えながら神楽を見ると、真っ赤に熟れて、酸素を求める金魚のように口をはくはくさせていた。
 衝動でやった事の後なんて考えてもいなかったけれど、思いがけない可愛い反応にほくそ笑む。

「な、な、オマエ」
「お前、甘いのな」

 桃みたいだもんな、と言いながら、沖田は神楽の持っていた桃を奪い齧った。





 男は、命のやり取りをすることが怖いのではなかった。仮にも天下の真選組一番隊隊士として、それなりの腕と覚悟を持っていた。
 ただ田舎の父が倒れたと聞いたときに、大したことはないと知っても、朗らかな母と寡黙な父の顔がどうしても思い出されて、家に帰ろうと思った。
 江戸で金を稼いで両親に楽をさせてやろうと、そう決意して、一年前に田舎を出てきた。毎日天候に頭を悩ませ、若くない体に鞭打っての重労働。食うには困らないが贅沢ができるでもない。
男は真選組になるには情が深すぎた。家族を想って江戸に出てきた男は、家族のいる家に帰ろうと思ったのだ。

「おい、ちょっといいかい」

 唐突に開いた襖に心臓が裏返った。

「そんなに驚かなくても」

 むしろこちらが驚いたという風に肩をすくめるのは沖田だった。

「は、いやすいません。ぼうっとしてて」
「謝るこたァねえだろ。屯所でまで気ィ張ってたら早死にしちまわァ。土方みたいに」

 冗談で放たれたあけすけな副長の悪口に笑うに笑えず、曖昧な笑みで返す。土方が常に気を張っているのは、八割方沖田のせいだと思う。

「ああ、桃の礼に来たんだ」

 思い出した様に沖田が寄越したのは女物の根付だった。

「昔買って忘れてたんだけど、新品だから母ちゃんに送ってやんな」
「すみません気を使わせて」
「俺が気なんか使うか。ただそういう躾はきっちりされてんでィ」

 桃うまかった。そう言って部屋を出て行く沖田の背中を見送りながら、この人には姉がいたのだと思い出した。送られることのなかった根付が、重みを増す。持つ手は震えていた。

 真夜中、貴重品だけ持って屯所を出た。携帯電話は置いていく。居場所がわかるものは持っていけない。
 平静を心がけて屯所から遠ざかると、だんだん速くなる足を抑え切れず走り出した。
 家に帰りたくて、男は走る。後ろを振り向く余裕もなく。夜の虫の鳴き声しか聞こえない道で、自らの足音や、運動だけによるものではない動悸の音や、酸素を求めて開いた口から漏れる呼吸の音が、もうとっくに離れた屯所の者を起こすのではないかと気が気でない。
 大丈夫だ、うまく出てきた。江戸から出てさえしまえば。希望的観測を強く思いながら、脳裏にちらつくのは局中法度によっていつの間にか消えていった名前も思い出せない隊士らの顔で。
 どこまで走っても背後が恐ろしくて仕方ない。足を緩めれば、不意に肩を叩かれるのではないか。極度の緊張で笑いそうになる膝を叱咤する。ひたすら走った先には家族が待っているのだと信じて、男はついに絶望する。
 あっ、と息を詰まらせて、立ち止まった。
 夜目にも目立つ髪色の隊長が、こちらに切っ先を向けていた。

「悪いな。このまま逃したら俺が土方さんに怒られちまうんでねィ」

 昼に話した時と同じように、飄々と沖田は言う。仲間であるときは頼もしい彼は、敵になるとこんなにも恐ろしい。鬼だと思った。
 あ、あ、と歯の根が合わない口から情けなく声が漏れる。親を放って江戸に出てきたバチが当たったのだ。農家を継ぐのが一番の親孝行だと、本当は知っていたのに。
 最期まで思うことは家族だった。夏になるとむわっと桃の香りが立ち込める、あの家にもう一度帰りたかった。
 男は目を閉じて死を待った。これから襲ってくるであろう一閃から目を背けることしかできなかった。







 コロコロと泣いていた虫が蝉の声に代わって、屯所に帰った頃には空が白み始めていた。沖田は眠い目をこすりながら隊士を"処分"した旨を土方に伝えに行く。
 寝ていたらどう起こしてやろうと企んでいたが、土方は起きていた。

「なんだ、総悟か。今日は早いな」
「昨夜未明にうちの中川が逃げたんで、やりました。眠いんで今日は見回り外して下せェ」

 土方はそうか、とだけ言って短くなった煙草を灰皿に押し付ける。

「シフト変えとく」
「やけに甘いじゃねえですか」
「一番隊長が眠くて斬られましたなんてなったら組の名が廃るからな」

 あくびしながら部屋を出ると、総悟、と声がかかった。

「やったのはどこだ」
「さあ、暗くてなんとも。江戸は出てたと思いますけど」
「じゃあ管轄外だな」

 死体の処理の手間が省けたと言ってのける土方に、沖田は共犯者めいた笑みを浮かべた。

 隊士が一人いなくなったからって何が変わるわけでもない。そんな出来事からすでに一週間が経った。相変わらずの暴力的な陽射しを、黒い隊服はみるみる吸い込む。脱いだ上着を捨ててしまいたい衝動に駆られながら、攘夷浪士だってこんな日に活動しないだろうよと毒づく。
 かぶき町の公園を横切った時、つい探してしまった少女は今日はいない。太陽と折り合いの悪い種族らしい。
 ここで桃を食べたのが一週間と少し前。不意に甘ったるいあの味を思い出して、苦手だったはずの桃を欲した。あの男がいなくなった今、自分に桃を持ってきてくれる者はいないのだけれど。
 屯所に帰り、食堂で麦茶を貰う。

「あ、沖田隊長、部屋に荷物届いてますよ」

 喉の渇きを癒している最中、視界の端でモブ(もとい山崎)が言った言葉に首を傾げる。何か頼んだ覚えはない。食べ物を送ってくれる実家も、もうない。
 自室の襖を開けると、強烈な桃の匂いに迎えられた。次に捉えたのは勝手に箱を開けて桃を齧る神楽。

「万事屋急便アルヨ〜」
「中身減ってんだけど。つーか荷物置いたら帰れよ」
「荷物が無事に本人に届いたか見届けるまでが仕事アル」
「無事じゃねえだろお前のせいで」

 とはいえ、焦がれていた桃だ。神楽の向かいに腰を下ろして一つ手に取る。産毛の生えた皮を剥いて大きくひとくち。やっぱり似てるよなァ、と手の中の桃と目の前の少女を見比べると、唐突に肩をけられた。あ、これ外れた。
 そのままあっけなく畳に倒れ(肩が痛い)、桃のような神楽が降ってくる。ふに、と戸惑いなく唇が触れ合う。温もりが離れたと思ったら、もう一度、計二回。

「やられたら倍返ししろって銀ちゃんに言われたアル」
「何言ってんでィ。あの時手痛い一発食らわせただろうが」

 あの日、神楽の唇を舐めたあの暑い日。フラグが立ちましためでたし。で終わるはずもなく、渾身の一発を右頬に受けた。そのまま左頬を差し出すような精神を持ち合わせていない沖田は殴り返し、銀時が傘を持って迎えに来るまで喧嘩していたのだ。二人に似つかわしくない、あの甘やかな空気は結局うやむやになった。

「これ持ってきた奴がネ、お前にありがとうって」
「なんのことだか」

 建前がある以上、本音が表に出てはいけない。沖田は嘯いてみせた。
 差出人のない箱は屯所では受け取らない。だから万事屋に託したのだろう。
 逃した男の田舎を思うと桃源郷の文字が脳裏に浮かんだ。

「こう言う時に他の男の名前出せってのも旦那の教えか?」

 妬けるからやめろィ。言えば神楽は鼻を鳴らして、そうして、どちらともなく桃の味の唇を重ねる。そのまま融け合うような熱さだった。
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神楽ちゃんのうなじに産毛が張り付く夏が好きです。
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