懐かしき日々 柳蓮二夢小説。 ※ネームレス |
「蓮二くん、今日放課後ひま??」 授業の復習をする柳を見つけて寄ってきて、机を挟んで向かいから、覗き込むようにして彼女は言った。 立海テニス部に休みはない。一応休息日とされる第一・第三日曜日すら、レギュラーは自主的に集まって練習に充てていた。しかし今日から一週間、朝練以外の全部活動は禁止されている。 「直近一週間、暇な立海生はいないだろう。勉強はしているのか?」 中間考査の前である。目の前の彼女はまん丸の目をくるくるさせて、とぼけた顔でこちらを見ていた。 「テニス部はテスト前しかお休みないじゃない」 「部活動禁止期間は勉強をするための時間だぞ」 「どうせしないもん」 「俺はする」 「真面目だなあ」 問答の末、諦めたようにパッと机から離れた。 「じゃあ、今日一緒に帰れる?」 「いつも帰ってるだろう」 「うーん、そうなんだけど」 そう言ったきり、不完全燃焼のように、スカートの裾をいじっている。その時ちょうど予鈴が鳴って、彼女はどこか名残惜しそうにその場を去るそぶりを見せた。少し冷たくしすぎただろうか。何か言いたげだった彼女を見て、微かな罪悪感が芽生える。 「放課後、迎えに行くよ」 教室の手前の扉から出て行こうとしていた彼女に向かってそう投げかけると、彼女は振り向いてにこにこと頷いた。 * F組のホームルームは終わるのが早いから、まばらに人がたむろするB組の前で、切れ切れに聞こえる教師の話を聞き流していた。そのうちにガタガタと椅子が床を擦る音がして、帰りの挨拶とともに教室から生徒が溢れ出す。金太郎飴のような一律規格の生徒の中から、一際目立つ赤い髪が現れた。 「あれ?柳じゃん。彼女待ってんの?」 「ああ」 「まだ中にいると思うぜぃ。じゃ、また部活で!」 丸井は次々と出てくる生徒に押し出されながら、流れ作業のように会話を交わし、あっしばらく部活ねーんだ、と呟いて、5キログラムを纏った右腕をヒラヒラ振った。 押し寄せる人の波が落ち着いてから、B組に足を踏み入れる。教室内は空っぽに近く、規律や時間から解放された少数の生徒たちが各々の時間を過ごしていた。窓際の最後列に銀の頭が、猫背気味にノートに何か書き写していて、こちらに気付いているのかいないのか、顔を上げる様子はない。仁王はあれでいて真面目だから、テスト期間には自ら居残って黙々と課題をこなしている。 「あ、蓮二くん」 彼女が名前を呼んだ時、仁王が僅かに視線を上げたのを見た。少々の気恥ずかしさから、柳は仁王の視線を射止めることなく、鞄に教科書を詰め終えた彼女の方に向き直る。 「待った?」 「いや」 指定の鞄は彼女が持つと随分大きく見える。二人でそのまま教室を出ようとした時、さんぼー、と間延びした声が柳を呼び止めた。 「じゃあな」 振り向けば、仁王は頬杖をつき、ニヤニヤとこちらを見ている。部活仲間を無視して帰ろうとした、思春期らしい羞恥心を見透かされたようで苦笑する。 「ああ。また」 「仁王くんばいばい」 いたずらっぽく笑っていた仁王は、彼女の挨拶には虚を突かれたのか、もぞりと居直って曖昧に頷いた。 一瞬で閑散とした校舎を、昼間の罪悪感を少しばかり引きずりながらとぼとぼと歩く。何を言うか迷っては、口を噤むのを繰り返して、校門を出た時、彼女が先に口を開いた。 「あのね、昼間、困らせてごめんね」 柳は後悔した。勉強は大事ではあるが、頑なに突っぱねてしまったこと、罪悪感を有耶無耶にしようとしたこと、先に謝らせてしまったこと。今日だけで選び損ねた数多の選択肢が、彼女の健気な謝罪によって思い起こされ、出来の良い脳内を駆け巡った。 「俺もすまなかった。そちらの言い分も聞かず、突っぱねてしまった」 校門前で立ち止まり、見下ろした彼女は、特に気にした風でもなく、いいよ、と言った。付き合ってからわかったことだが、こういう時彼女は意外とさっぱりしている。柳は彼女の精神的な余裕と対峙した時、自分を不甲斐なく感じながら、救われることがほとんどだった。 「蓮二くん疲れてると思ったの。だから、ちょっと息抜きしてほしかったんだ」 5月半ば。中間考査の他に、柳は生徒会選挙の準備に追われていた。しかし自分の忙しさを理由に彼女との交際を疎かにする気はなかったし、いつも通りに振る舞っているつもりであった。 「……そうかもしれない。お前をなおざりにしていたら申し訳ない」 「ううん、違うよ!蓮二くんはいつも優しいよ。でも、忙しいのかなって、わかるよ。彼女だもん」 「彼女の勘は俺のデータよりも精度が高いな」 「蓮二くん限定だけどね」 笑みを綻ばせて、帰ろっか、と彼女は帰路を歩み出す。半歩前にある小さな手を引いて、柳は眉尻を下げて微笑んだ。 「俺は疲れているようだ」 「?そうだね」 「息抜きさせてくれないか」 しおらしくする柳に彼女は目をぱちくりさせると、「なんだかいっつも甘やかされちゃうな」と頓珍漢なことを言った。甘えているのはどちらだろうか。 * いつもなら駅で別れるところを、柳を息抜きさせるという使命を負った彼女は柳の家の方面の電車に乗った。家の最寄りの二つ手前の駅で電車を降り、楽しげな彼女に何もわからぬままついて行く。いつもと立場が逆である。柳にとって予測できないことは最も憂慮する事象の一つだが、彼女といるときにだけ、未知は期待へと変わるのだった。 「着いた!」 麻布や帆布でできた色とりどりのテントが並び、その下にはアンティークや骨董品が陳列している。テントとテントの隙間の道を埋めるように、人がごみごみとひしめきあっていた。 「蚤の市か」 「そう!毎月やってて、それが今日だったの」 ちょっとした祭りのようだ。平均より背の低い彼女が人混みに飲まれてしまわないよう自分の鞄を掴ませる。流されるままに当てどもなく歩いていると、不意に鞄を引っ張られた。 「蓮二くん、見て」 ベージュのテントの下に並ぶのはガラスの小瓶である。少し歪であったり、気泡が入っていたり、ガラスの質自体は良くないが、その欠陥が唯一無二の味となっている。骨董品とはそういうものだ。 彼女が手に取ったのは六百円の水色の小瓶である。 「綺麗だな。恐らくイギリス製のインクボトルだろう」 「インクボトル?ちゃんと使われてたんだ」 「骨董品だからな」 「可愛いけど、インクは入れないし……」 「インテリアとしても人気があると思うが」 瓶を眺めながら思案する彼女に、他の客の対応を終えた店員が気付いて声をかけた。 「一輪挿しに使うこともありますよ」 買う理由ができたのが嬉しいのか、彼女は柳に向かってにっこりしたあと、すぐに購入を決めた。 商品を包んでもらうのを待つ間、手持ち無沙汰にあたりを見渡すと、観葉植物が並ぶテントが目に入る。彼女に断ってその場を離れ、ぽつぽつと陳列された緑に近づくと、それは様々な苔玉であった。小さな松、梅や紅葉、オモダカなどが、緑の丸に細々と生えている。 「高校生?渋いね」 顎に手をやり思わず見入っていたところを、職人風の男性に話しかけられた。 「いえ、中学生です。あの、これは初心者でも扱える代物でしょうか」 さすがに幸村も苔玉を育てたことはあるまい。興味を引いたが、一人で育てられぬようでは諦めなくてはならない。 「難しいことないよ。兄ちゃんち、庭ある?ベランダでもいいけど。屋外の風通しの良いところに置いて、苔が乾いたら水をたっぷりやるだけ。買うんなら育て方の本つけてやるよ。どれにする?」 購入する方向でとんとん拍子に進む話術に一抹の感動を覚えながら、とっさに選んだのは、桃色の花がぽっちり咲いた苔玉である。 「毎度!一人で来たの?」 「彼女と……」 「そうか、いいねえ」 あれよあれよと言う間に苔玉一つと本一冊を押し付けられ、それから彼女に、とかすみ草のドライフラワーを添えてくれた。 フリーマーケット特有のお得感にワクワクしながら、とりあえず戻ろうとあたりを見渡すと、ガラス瓶の店の前はおろか、見える範囲に彼女がいない。 「はぐれた確率……」 言いながらスマホを開くとLINEが入っている。 『人が多くて流されちゃった!駅まで戻ってきて』 柳はやれやれと嘆息し、踵を返して彼女の待つ駅へ向かった。 * 紫がかった空を背に、今度は彼女の家の方面の電車に二人で乗った。 「何か買えた?」 「苔玉を買った。植物を育てるのは初めてだが、本もつけてくれたので、それを見ながら色々試みようと思う」 「そうなんだ!楽しみだね」 見せて見せてとせがみながら袋の中を覗き込んだ彼女は、すごく可愛い!と小さく拍手した。趣味ではない桃色の花を選んだのは、なんとなく、彼女に見せた時のこの顔が思い浮かんでいたからだった。 「テスト前なのに一緒に来てくれてありがとう」 「礼を言うのはこちらの方だ。それに、この柳蓮二、直前に一週間で詰め込むような学習方法は取っていない」 「ふふ、頼もしいね」 そう言えば、と思い出し、慎ましくラッピングされたかすみ草を取り出す。 「店の人がまけてくれたんだ。さっき買った小瓶に挿すといいんじゃないか」 「えー!また嬉しいことされちゃった!蓮二くんのこと息抜きさせたかったのに、私ばっかり喜ばされてる」 彼女は困ったように、しかしとても嬉しそうに、ミニチュアのような花束を受け取った。彼女を甘やかすことは柳の甘えである。そのことを自覚している柳は、決まりが悪そうに曖昧に笑うしかなかった。 - - - - - - - - - - 友人にあげたやつ。『忘れがたき日々』と繋がってます。 |