走り過ぎると喉の奥で血の味するよね
山崎が走る。
※流血表現注意

 背中の傷は剣士の恥だという。日本が誇る尾◯栄一郎先生が言うのだから間違いない。
屯所の大浴場で、厳つい男たちの身体を眺める。楽しくもなんともない。
 皮膚が引き攣れて歪に残った古傷、先だっての捕物でこさえたらしい生傷。大小様々な傷が、ここの男たちの、鍛え抜かれた身体には幾つもある。ただし背中を除いて。
 46条からなる局中法度は、ゴロツキだった自分たちの理想の武士像と、少しの局長の私情でできている。その中には当然、敵に背中を見せぬ事、なんて趣旨のものもあったりして、生粋のマガジン派である副長が作った局長法度に盛り込まれているあたり、背中に傷を作ることが侍にとって不義理なのは全国のジャンプ読者や世界中の◯NE PIECEファンだけではない、共通の認識なのだろうと思った。
 他の隊士の綺麗な背中を見つめて、自分の背中の引き攣れた所を後ろ手で確認してみた。ひい、ふう、みい。まだある。小さいものも合わせたらもっとかもしれない。自分では見る事ができないから憶測でしかないが。
 山崎は少しだけ深く湯船に沈んで、背中を隠すように壁にもたれた。





 明日、この旅館に討ち入りをする。旅館と言ってもすでに廃墟と化していて、ホームレスか攘夷浪士には絶好の溜まり場になっている。山崎は出入り口を絞るために爆薬を仕掛けていた。長期に渡って単身敵陣に乗り込む潜入からしたら随分楽な仕事だ。
 一通り仕掛け終えたとき、ふと足元に覚えた違和感。足の下でジャリっと微かに鳴った物を確認すると、火薬だった。どこからか漏れたのだろうか。だとしたら足がついてしまう。山崎はポケットをまさぐるが、特に不備はないようだった。
もう一度足元の火薬を観察すると、山崎が持ってきたものとは種類が違う。よく見るとこの旅館を一周するように撒かれている。

「…明日か」

 低い声を聞き取って、咄嗟に死角に身を隠す。浪士が二人で何か喋っているようだった。耳に神経を集中させる。

「…明日………、こ…火の海に……」
「真選組…陽動………」

 聞こえたのは断片的だったが、なんとなく察することはできた。
 真選組が明日動くことがバレている。のこのことここへ来たところを、あの火薬で一気に焼いちまえ、というわけだ。
 本拠地も、もしかしたらここではないのかもしれない。だとしたらそちらを攻め込まなければ意味はない。
 本丸はどこだ。もっと喋れ、情報を吐け。
 山崎は息を殺して聞き耳を立てた。
 男の声は低く聞き取りづらいがしばらく聞くと、おそらくある星の大使館の付近だとわかった。
 速やかにその場を立ち去ろうとしたとき、バサバサと派手な音を立てて足が畳に埋まった。腐った畳を踏み抜いてしまった。

「誰だ!」

 殺気立った声が響いた。
 こんな初歩的なミスを。
 舌打ちをしたい気分を抑え、すぐに足を引っこ抜く。近くに見えた小窓から身を滑り出し、旅館から脱出する。
 山崎は走った。がむしゃらに走った。
 明日までに必ず、あの人たちの所へ情報を届けないといけない。自分の情報がなければ怪我人が増える。死人が出る。
 はっ、はっと、最早忍ぶつもりもなく息を漏らした。
 どうにでもなれ、どうせ向こうは自分に気付いている。あとは逃げるだけ。
 後ろからヒュンと音がして、サクサクと足元の土に矢が刺さった。
 メリッと肉が裂ける音。背中にも刺さった。

「…ってぇ」

 じわりと服に滲んだ血が、夜風に冷やされてスースーする。ザクッ、ブスッと続けて刺さる。一本は貫通スレスレだ。
 山崎は構わず走り続ける。
 使われたのが銃でなくてよかったと思った。矢なら抜かない限り、出血で死ぬことはたぶんない。 痛いのは、我慢すればいい。
 呼吸が乱れて息が詰まって、小さく咳き込むと一緒に血も出てきた。例の貫通スレスレの矢は、内臓も傷つけていたようだ。唾液混じりの血を吐き出し、大口で息を吸うと、肺は鉄の臭いの空気で充満した。
 山崎がまだ幼い頃に「めっちゃ走るとさ、喉の奥が血の味になるよな」と言っていた馬鹿な友達を思い出した。
 矢が降ってこなくなった代わりに、刀を持った男たちが追いかけてくる。
 山崎は勢いのまま塀を飛び越え、長屋の入り組んだ道を撹乱するように進んだ。
 どこだ、探せと、男たちの苛立った声が聞こえる。この辺りの地図は頭に入っているので、土地勘で負けることはないだろう。
 無我夢中で手足を動かし、気付いた時には男たちの怒号も足音も聞こえなくなっていた。
 はあー、と息を吐いて足を緩めた。よろよろと壁に手をついたが、足は止めなかった。走り終わっても急に止まっちゃいけません。昔持久走の時に言われた言葉を、理屈もわからず一応活用している。
 矢の深く刺さった部分が、じくじくした痛みを持って内出血を続けている。他の傷はそんなに問題じゃなかった。注射をするのに太ももをつねる原理である。
 脳内でサライを再生して自分を叱咤した。
 痛みに耐え、吐き気をこらえながらひたすら走る。心臓はバクバク大きく脈打ち、胸骨が軋んだ。爆発しそうな勢いで山崎の全身に血を送っている。その度にぶっすり刺さった矢と血管の間から、血が溢れていくのがわかる。耳鳴りが鬱陶しい。これもサライでかき消す。頭に霞がかかっているが、走るのに頭を使う必要はない。
 死ぬ気で走ったって死なないが、山崎が走らなきゃ真選組の誰かが死ぬだろう。
 屯所はもうすぐだ。走れ、退!





 息も切れ切れに副長室に飛び込んだ。深夜2時。ヤニ臭い部屋で土方はぐっすり寝ていた。

「ふ、くちょ、起きて、下さい」

 寝起きは機嫌悪いんだよなあ、と背中に矢が刺さったままで考えた。息を整える間もなく土方を揺すると、幸いに一声で起きてくれた。

「落武者みてえだな」

 土方は平生の声で背中に刺さった矢を指差す。表情は暗くてよくわからなかった。
 今日見聞きした事を伝え、作戦の変更を求める。
 土方が頷いたのを見届けて、そこから先は覚えていない。
 目が覚めた時日は高くなっていて、傷は痛かったがすでに手当ては済まされていた。
 身体を起こすと一番深く刺さっていたところに鈍痛が走った。小さく呻いて身体を折る。

「おう、山崎。生きてたかィ」
「おかげさまで」

 廊下を通りすがりに山崎が起きているのを見つけて、ずかずかと入ってきた沖田に、山崎はへらりと笑って見せた。

「二日も寝てるから、俺ァもう起きねえもんだと思ってた」
「勝手に殺さんで下さいよ」

 意地の悪い笑みを浮かべて軽口を叩く沖田に苦笑いを向ける。しばらく休みだと事務連絡を受けて、はあまあそうでしょうねと返した。

「お前が寝こけてる間に捕物終わったぜぃ。死者重傷者なし」

 お前の手柄でもなくはないような気がする。沖田はそう言って、懐から出したあんぱんを投げて寄越した。

「今は毒になるけどよ、治ったら食え」

 素直すぎる沖田の優しさに山崎は死を覚悟した。これは沖田の死亡フラグだろうか、それとも山崎の死亡フラグか。明日は大雪かもしれない。
 ぽかんとしていたら、沖田はさっさと部屋を出て行ってしまったので礼を言いそびれた。

「労われた…のかな」

 手のひらにあるあんぱんを見つめると、消費期限が今日だった。治ったら食えだなんて絶対確信犯だ。まだ流動食くらいしか食べられる気がしないのに。あの人の辞書に「優しさ」なんてないのだ。
 山崎はため息を吐き、あんぱんを放り出して寝転んだ。
 ドタドタと、慌ただしい足音がまっすぐこの部屋に向かってくる。近藤か土方か。いや、原田かもしれない。足音の重量的に、たぶん原田だ。
春の光の差し込む障子を、目を細めて見た。
 消費期限ギリギリのあんぱんや、近づいてくる足音や、この部屋がなんだか煙草臭いこと。考え出すと笑えてきて、傷に障るがついクククと身体を揺らした。
 自分が背中に矢を三本食らうだけで、誰も死なずに任務を遂行できる。少し前に風呂場で隠した背中の傷だが、そんなちっぽけな侍のプライドなんて捨ててもいいと、僕は思いました。

山崎退

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沖田(18)に振り回される山崎(32)と神威(18)に振り回される阿伏兎(32)が愛おしいです。
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