割烹着ヒーロー | ナノ


▼ 酒は呑んでも呑まれるな

ガンガンと痛む頭を押さえつけ、一昔前に流行った曲を流す携帯を余った手で探す。
調子に乗って呑みすぎた。幼稚園は休みだけど、昼から会議があった筈。
昨日念は何度も押しておいたものの、忘れっぽい前田君にもう一度連絡しておかないと。
腰の近くに置いていた鞄の中に入っていた携帯を取り出し、前田君のアドレスを引っ張りだす。
絵文字どころか顔文字すらない色気も可愛げもないメールを送信し、ギリギリまで睡眠しようかと考える私は、枕に顔をうずめ、そして飛び起きた。


ここ、どこだ!


自分が住んでいる築十数年の壁が薄汚れたボロアパートの一室ではなく、新品の畳が敷かれたイグサの匂いに包まれた落ち着く和室。
乱雑に敷かれた布団の上で惰眠を貪っていた私は、見慣れぬ部屋に戸惑った。
混乱してまとまりのない考えが頭を巡り、必死で先日の記憶をかき集める。
確か昨日は大学の友人と久しぶりに集まって、呑みに行った。
浮気した彼氏が大学時代からの付き合いなこともあって酒の勢いを借りながらも愚痴に拍車がかかってしまった。
友達と別れた後、ふらりと立ち寄った居酒屋で第二ラウンド。ある一定の量を過ぎると気性が荒くなるということは知っていたが、ついつい店員に愚痴っている内に限界量を突破した。
更に酒を煽ると言う悪循環にハマり、笑って怒って泣いて絡んで、それはもう酷い姿を曝け出してしまった。
店員さんの乳首をシャツの上から押してピンポーンとか訴えられても可笑しくない。
問題はその後だ。店員さんに絡んでしまったことも問題ではあるが、なんと居酒屋で例の保護者三人組とはち合わせてしまったのだ。
普段なら軽く挨拶して終わる。だがそのときは大分酒を飲んでいた為、思いっきり絡みに行ってしまった。

あああああ。黒歴史。
酔っぱらって記憶を失う人は多々見るけれど、私の場合は逆。
酔った後どんな醜態を見せたのか完全に覚えてしまっている。

ふつふつと蘇る記憶を強制終了させようと首を振ると、襖ががらりと開いた。
家主である片倉さんがすこぶる不機嫌そうな顔で見下ろしている。



「起きたか」

「あの、えと、何と言って良いのか分かりませんが、本当に申し訳ございませんでした」



深々と土下座するには訳がある。
居酒屋で三人の名前を呼びながら近づくと、嫌な予感でもしたのだろう、挨拶もそこそこに丁度帰るところだったと席をたつ三人。
私も帰してやればいいのに、じゃあ二次会しましょう、二次会と無理やり三人を引き連れて外に出た。
コンビニで酒とつまみを買い込み、居酒屋から近いという片倉さんの家に強制的に上がり込み、酒宴に付き合わせた挙句、気分が悪くなった私は吐いた。リビングで。
もう嫌だ。消えてしまいたい。
その後ブチ切れた片倉さんに首根っこ掴まれて、風呂場に連れて行かれ、服を着たまま浴槽に沈められた覚えがある。
だがそんな過去をほじくり返そうものなら、私は今度はコンクリートにでも詰められ、海に沈められるのではないだろうか。



「吐いた分はしっかりと掃除させていただきます。あまりに匂いがきついようでしたら部屋のクリーニング代も払いますので、どうか職場には言わないでください。本当にお願いします」

「もう片付けた後だ。部屋も換気した。悪いと思ってんなら涎のついた枕カバーと貸した服でも洗濯してくれ」

「はい……。ご迷惑かけて申し訳ありません」

「あぁ、あと濡れた服は干しておいた」



私、情けなすぎる。
これなら彼氏に浮気されるのも仕方ない、のかなぁ。
浮気を知った日に散々流した筈の涙がじわりと目頭を熱くする。
いくら相手が年上だとしても、この年で人前で泣くのはみっともない。
バレないように手で目頭に浮いた涙を拭きとり、なんとか心を奮い立たせる。

枕カバーを外して、部屋を出ると、片倉さん、大谷さん、猿飛さんが朝ごはんを準備しているところだった。
おっとー、てっきりお二人は帰っていらっしゃるのかと思っていたぞー。
ひきつる顔を隠すことなく、おはようございますと声を絞り出す。



「大変よな、月曜日から無職とは。困った、コマッタ」

「えええええ土下座でもなんでもしますのでそれだけは勘弁してください! 慰謝料も払います、本当に申し訳ないと思っています。お子さんには死んでも手を出しませんし、それどころかそんな趣味もありませんし、お願いします!」

「えー、軽々しく何でもするなんて言っちゃダメだって。俺様何をお願いするか分かんないよー?」



この年で仕事を失う方が洒落にならないよ、多分!
楽しそうに笑うお二人は鬼か悪魔の化身なんではないだろうか。
いや、どう考えても昨晩の私が悪いんですけれど!
一週間ぐらい断酒する! これから先呑みすぎないように誓います!

浴槽に沈められたせいでほぼノーメイク状態、ぼさぼさの髪の毛。借り物のぶかぶかの服を着た土下座するアラサーなんてドン引きされるレベルだけれど、そんなもの気にしている場合じゃない。
やけ酒で人生失っちゃまずいよ。
月曜日からハロワ通いか、仕事見つかるかなぁ。
幼稚園同士のネットワークって凄いから幼稚園に就職するのはもう無理だろうなぁ。



「二人ともいい加減にやめてやれ。佐々木先生、あんたも呑まれるぐらいなら呑むな」

「ふ、普段はあんな酷く酔わないんですけれど、やけ酒してしまったというか、なんというか」

「あー、ふられたから?」

「猿飛さん、人の傷口抉って楽しいですか。私酔った時の記憶ありますけれど、猿飛さんには大した迷惑かけてないですから謝らなくてもいいですよね」



根からの真面目ッ子で努力家な幸村君と違って本当に性格悪いですね。
とまでは言えなかったが、睨みつけた先にいる猿飛さんは目を丸くしていた。



「へぇ、紫乃先生って酔っててもニコニコしてるからどうなのかと思ってたけど、そんな顔もするんだ」



しまった。社交辞令で身につけた笑顔を崩してしまうとは。
二年間同棲していた彼氏との別れ話は他人に抉られて笑えるほど軽い物でなかったとしても、お客様である保護者に喧嘩を売ってしまった。
体裁を保とうと言葉を選ぼうとするが、二日酔いの頭痛が酷くて考えがまとまらない。
帰りに薬局寄って薬買っとこう。

目も合わせることなく頭を下げると、別に気にしてないよと想像していたより優しい言葉をかけられた。
それでも頭を上げなかったら、片倉さんに頭を掴まれる。



「飯が冷めちまう。さっさと食いな」

「すいません。ありがとうございます」

「片倉よ、あまり甘くするとつけ上がるぞ。苛め抜かれて地に伏せる様を観察するのが良い」



ニタァと目を細める大谷さんは人が怯える姿を心底面白がっている。
底の見えない意地の悪さに、芋虫も蝶になるんですよと笑顔で返した。

久しぶりに食べた朝食は憧れの和食で、根菜類を中心とした食事になっている。
味付けは濃い目で、ご飯がよく進む。
特にごぼうのおひたしが美味しい。白菜やほうれん草など菜物のお浸しはたまに食べるけれど、まさかごぼうをおひたしにするなんて。
そういえば政宗君のお弁当いつも野菜中心で健康的だなぁと思ってたっけ。
ちなみに政宗君、そして幸村君と三成君は家康君の家に泊まりにいっているそう。


「片倉さん料理上手なんですね。特にごぼうのおひたしが美味しいです。出汁とお酒が入っているんですか? あぁ、でもごぼうが美味しくないとここまでの味出ないですよね」

「分かるか!?」



突如顔を輝かせる片倉さんに驚いて箸を止めると、片倉さんは少年のような顔つきで自家栽培しているごぼうだと教えてくれた。
おぉ、意外な趣味だ。寧ろ趣味があることに驚きだ。
黒のポルシェからスーツ姿のサングラスをかけた片倉さんが出てきた時には本気で怯えたものだ。
三人とも実際の親子ではないものの、お子さんに目一杯の愛情を注いでいる。
正直私にもつま先程度でいいから分けてほしい。
どんな土を使っているか、今年の調子はこうだとか、熱く語っていた片倉さんはふと我に返ったかのように顔を赤らめ、忘れてくれと俯いた。
昨晩の私の醜態よりは何十倍もマシだろ、と思いながら、別に気にしていませんと返した。



「言い忘れておったが、三成の弁当はいつもわれが作っておるぞ」

「え、本当ですか!? 丁寧な飾り切りがされた胡瓜とか入ってましたけれど、あれも全部大谷さんが?」

「ヒヒ、あの程度朝飯前よ」

「あのねー俺様も旦那の弁当ぐらい作ってるし」

「あぁ、あのキャラ弁ですか。毎朝楽しそうでなによりです」

「紫乃先生冷たくない!?」



凄いとは思うけれど、作っている人が一番楽しそうなお弁当だよね。
食べ終わった私は先に席を立った片倉さんの手伝いをしようと、空になった食器を持って行った。
水が流れる音に紛れて、そこらに置いておけとぶっきらぼうな声が聞こえる。
そこまでやらせるわけにはいかないと言ったが、他人に台所を触らせたくないと睨まれてしまった。



「あの、そういえば私の着替えっていつ乾きますか?」

「天気も良いし、昼には乾くと思うけどな」

「えっ、それは困ります! 昼から職員会議があるのでどうにか間に合わせたいんです!」

「自業自得であろ。ぬしの酒癖の悪さが招いた不幸よ」



風呂に沈められたのは私のせいじゃないと思います。
内心つっこみながら、頭を抱える。
前田君は度々遅刻しているけれど、会議や大事な行事では絶対に遅刻をしたことはない。
先輩である私が会議で遅刻や欠席なんてしたら示しがつかないじゃないか。



「ったく、家はどこだ。今から車で送ってやればその服装でも大丈夫だろ」

「片倉さんはそんな装備(エプロン)で大丈夫か?」

「大丈夫だ、問題ない。って何を言わせやがる。エプロンは外すに決まってんだろ、先に車で待っているからな」



片倉さん意外とノリノリですね。
茶色のエプロンを外し、車のカギを持った片倉さんの後を追う。
部屋を出る直前に大谷さんと猿飛さんに頭を下げた。



「お騒がせしました。ではまた月曜日に」



片倉さんのおかげで会議には間に合い、酔っぱらって絡んだ件も許してもらえた。
後日、やはりボロアパートに黒のポルシェは目立ったらしく、ご近所さんの噂の的になったのだった。


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