▼ 睡魔と戦っている場合じゃない
景色は変わらぬと知りながらも窓の外を眺める。朝から降り続ける雨は、トタンの屋根をしつこく叩く。
布団干したかったのに。梅雨に入り、ジメジメとした日が続いている。
カビかキノコでも生えそうだ。戸棚に入っている羊羹は無事だろうか。
顔には出さず、昼寝中の子供達を見守る。
寝ている子供はまるで天使のよう。
起きている子供についてはノーコメントで。
最近の子供は邪気を纏うのが早いからなぁ。無邪気な子供なんていうのは都市伝説になりかけている。
蛇足だが大和撫子は都市伝説殿堂入りだ。
昔から女性は力が無い分打算的で強かだよ。
思想を巡らすも睡魔の誘惑は増すばかり。
眠たい。この上なく眠たい。
瞼が次第に重量を帯びていく。
あれから大谷さんとは今までと同じように接している。
大ファンなのは変わりないし、これからもファンレターは出し続けるだろう。
だけど、大谷さんの面倒な人間性を考えた結果、一歩距離を置いた行動を選ぶことにした。
幸村君が蹴飛ばした布団をかけなおし、家康君に布団を奪われた挙げ句歯軋りの酷い三成君を新しい布団で包む。
私に添い寝してあげると言ってくれた政宗君はいつの間にか部屋の隅まで転がっていた。
雨音のリズムの心地よさに上瞼と下瞼がイチャイチャし始める。
カクンと首が傾いたところで、後ろから声をかけられた。
「紫乃先生、寝てた?」
「っま、まだ寝てないよ。前田君どうかしたの?」
「綱引き用の綱が見つからなくてさ。遊具入れる倉庫じゃないのかな」
「そっか、来週だったね。綱なら遊具入れの倉庫じゃなくてウサギ小屋の近くにある用具倉庫に置いてるよ」
来週は子供達が待ちに待った運動会。
そして保護者が張り切るイベントでもある。
既に嫌な予感しかしないよ。
ウサギ小屋に向かう前田君に手を振り、額をおさえる。
一気に現実に引き戻され、眠気が飛んでしまった。
昨今、モンスターほにゃららの影響か、運動会で勝ち負けを競わない幼稚園や学校もあるらしいが、私が前に居た幼稚園も、今の幼稚園も勝ち負けの考えはある。
あの保護者達の目に怯えて、八百長試合なんてした日には子供達の目をまともに見られなくなってしまう。
さて。腕時計に視線をやり、酷く静かに眠る市ちゃんが息をしているか確かめる。
たまに確かめないと心配になるくらい儚さを孕む市ちゃんは、年長組の長政君と仲がいい。
長政君と話している時は朧気な目に生気が宿る。見ていて嬉しい変化だ。
ただ、時たま迎えに来られる市ちゃんの兄、織田信長君は中学生とは思えない威圧感を発すので少し苦手だ。
彼も運動会を見に来られるのだろうか。
そういえば。連想ゲームのように記憶を手繰り寄せ、前に勤めていた幼稚園の園長先生が遊びにいらっしゃる事を思い出した。
前の幼稚園の運動会は9月だったから、被ることはない。
苦手意識を抱いている相手のため、気分が少し沈んでしまう。
一見物腰が柔らかい紳士的な方で、お母様方からも絶大な人気を得ていた園長先生。
教育者としても一流で、今では指折りの名門幼稚園である。
私の職歴書に箔がついているのも園長先生のおかげだ。
だが、彼はすこぶる性格が悪い。
大谷さんや猿飛さん以上に何を考えているのかさっぱり分からない方だ。
何も問題が起きなければいいのだけれど。
時計の針を再度確認すると、子供達を起こす時間になっていた。
ぴよぴよと鳴くヒヨコの囀りが合図だ。
その合図と同時に三成君が飛び起き、他に眠りの浅い子や、寝たふりをしていた子も起き出す。
すぐに騒がしくなった教室で、形だけでも呼びかけをした。
職員室へ戻ると、事務のまつさんに呼び止められた。
柔らかな笑顔と共に封の開いた手紙を渡される。
「佐々木先生。ひらぐも幼稚園の松永園長先生から、運動会の件の手紙でございまする」
あー、波乱の予感。
なんて。洒落にならない第六感に苦笑。
……うそです。笑えません。
prev / next