22

 その目に映る世界は、大谷と、それ以外の二つに分けられる。
 大谷を世界を照らす太陽とし、世界を潤す水とし、世界を覆う大気とする。それ以外は認識のぼやけたものでしかない。

 初めは名前を名乗ることすら渋っていた彼女は、数日経ち、【ジョセフィーヌ五世】と明らかな偽名を名乗った。表情を一切変えず、淡々と、大谷を賛辞し続け、時には鼻から出血する。
 大谷はその度に軽くあしらいつつも、傍目から見れば気に入っているのは明らかであった。
 だからこそ石田は見るからに怪しいジョセフィーヌ五世を叩き切ることなく、たまに舌打ちし、眉間に皺を寄せながらも、大谷の近くにいることを許可した。

 池の縁が凍り、真っ暗な水を泳ぐ魚を追い詰める。
 ジョセフィーヌ五世は拾った狸に餌をやった途中、池を覗き込んだ。
 丁度見かけた猿飛が、濡れた石で滑らぬよう注意をしようとした瞬間、案の定足を滑らせた。派手な水しぶきをあげ、池に落ちたジョセフィーヌ五世は、バシャバシャと池の中で暴れる。
 様子の可笑しさに気づいた猿飛が引き上げると、普段通り無表情がゆっくりと猿飛を見上げた。


「なあに、こんな浅いとこで溺れるなんて器用じゃん」


 真冬の冷たい水に浸された身体。人形のように真白な肌や、指を伝う冷たさは死人によく似ている。
 目の前にいるのに、触れているのに、不確かに感じるのは感情を一切見せないからか。
 猿飛は、ジョセフィーヌ五世が死体となった姿を、自然と頭に浮かべた。あまりに鮮明で、多種類の想像は、記憶の彷彿によく似て。
 手を離せば、ぺしゃ、と、水浸しの生体が転がった。

 見た目以上に痛かったのか、ジョセフィーヌ五世は肩を押さえ、黙り込む。
 じわじわと着物に真っ赤なシミを作るのは、鼻からの血ではない。手で押さえた肩からの出血は、ぶつけただけの傷には到底見えなかった。
 肩に触れれば、びくりと冷たい体が震えた。



「ちょっと、あんた」

「身体が冷えるので着替えさせていただきますね。助けてくださりありがとうございます」



 簡潔にまとめあげた礼をいい、深々とお辞儀したジョセフィーヌ五世は、おぼつかない足どりで屋敷へと戻った。
 猿飛は手についた血を拭い、視線を池へと落とす。

 大谷曰わく猿にしては賢い頭でも、きっと大谷以上の不吉な予感を抱いていた。
 主に危害さえなければどうでもいい。
 そんな他人事な考えを拭い、重い腰を上げることを決めた。

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