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「川のせせらぎのように澄み渡った大谷さんの声で目覚めることが出来たことに感謝感激雨鼻血です。おはようございます大谷さん」
「あい、おはよう」
深々とお辞儀する女は、あいも変わらず表情を変えない割に、大量の鼻血を出している。日は既に高く、おはようと挨拶するには遅い時間帯だ。
呆れたように笑いながら、手際よく布団をたたむ猿飛は、流石というべきだろう。世話係が板についてきた、と大谷の皮肉は流す。
「寝起きの姿じゃないじゃん。狸寝入りでしょーが」
「寝起き良いんです。大谷さんより遅く寝て、大谷さんより早く起きたい乙女心が起こしたお茶目を狸に称するとは笑止。猿飛さん、貴方に人の心があるならばネッシーに例えてください」
「ね、ねっしぃ?」
「イギリススコットランドネス湖に生息する伝説の生物の一種ですよ。竜のような頭部を持ち、長い首を湖面から覗かせる姿を発見され、何度かメディアで取り上げられるも、後々発見されるものは紛い物ばかり。第一発見者は既に亡くなった上、死ぬ前に実は嘘でしたと自白しているものの、なんだかんだと未来に語り継がれている不思議な生物です。嘘だと言われながらも真と信じたくなるネッシー寝入りです」
「やっぱり狸寝入りなんじゃん」
ネッシー。狸。不思議で不毛な言い争いに、大谷はつまらなげに目を細める。
面白くない。頭巾で隠れた顔が、拗ねたように歪んだ。
「やれ、ねっしぃに執心ならば湖に行きやれ。詳細に語れる程好きなのであろ?」
「ちょ、ちょっと!? 鼻血出すような事あった!? ほら、ちり紙!」
「ありがとうございます。これはかなり個人的な妄想もとい勘違いでしょうので気にしないでくださいませ。ただ私は大谷さんを一番愛しております。大谷さんを思う度に血液が顔の中心部に集中させてしまうぐらいでございます。証拠に先ほどから鼻血が止まりません」
「……あい分かった」
「大谷さんの細長くも色気のある指先から、形のいい骨ばった足先まで。闇夜を切り抜いたような煌びやかな眼、雑言すらも淑やかな声を紡ぐ唇、見ず知らずの私を屋敷に置いてくださる慈悲深さ、それに」
「もうよい。良いから黙りゃ」
聞いているこっちが照れる。部屋を片付けた猿飛は、物音立てずこっそり部屋を出て行く。彼女の言葉にも顔にも表情がないゆえ、感情はわからないが、疑うことが性分の忍から見ても好意は本物に見えた。
きっと、彼女は大谷に最期まで寄り添うのだろう。と、妄想的な想像までした。そして、己の主が西軍に身を置く限り、女を手にかけることはない、とまで。
「今日は巫と第五天と共に町に出やる故、ぬしもどうかと」
「ありがたき幸せでございます。鼻血を我慢した結果、目から血が止まりません」
「ジョセフィーヌ四世、ぬしはほんに変わった女子よの」
楽しげに笑う大谷に、ジョセフィーヌ四世は吐血した。
後に部屋を覗く猿飛がどんな反応をするか。想像するに容易い。煽るように更なる笑い声をあげ、日の差し込む部屋は凄惨たるものへと変貌していた。