拾参
曇天の空。
どんよりとした湿った空気が頬を撫ぜる。
一雨来るな。鼻が利けば雨の匂いがしそうだ。
今川義元。兵の数は十分だが、私相手には知恵も力も足りない。
腰を動かし舞を楽しむ姿がどのように変貌するか楽しみだ。
傍らに縄で身動きを封じられた家康の姿が見えた。
一国の主が囚われのお姫様と転落している様もなかなか。
いや、忠勝忠勝と部下の名を喚く姿は犬そのものかもしれないな。
と、後ろで怯えていた兵士が叫ぶ。
「義元様! 敵襲でございます!!」
「ふーん、喋れたんだ」
ちろりと舐めるように見れば、兵士の顔が面白い具合に青ざめた。
血の気が失せたってこういうのを言うのか。
まるで死体のように血色の悪い兵士の腹に蹴りをプレゼント。
慌てふためく今川を見やる。
「な、何奴でおじゃ!?」
「歩き神子の蒼依黒兎。まぁ、覚えなくていいよ。
どうせその軽い首はすぐに刈り取られるんだし」
「むかむかちーん! 無粋な輩は嫌いでおじゃ!」
「奇遇だね。私もてめぇに性的欲求を感じない!!」
「イヤンでおじゃー! だが、まろの腰つきに興奮しているのであろう? 隠さなくてもよい。ほほほ」
わー、どうしよう。すげぇ、殴りたい。
いや、まぁぶっ飛ばすけどさ。
いやらしい目つきで私を見ていいのはまだ見ぬ旦那だけだよ!
嫁は私がいやらしい目つきで見るから却下!
「で、そこで押し黙っちゃったお子様は?
今川軍の者として切り捨てちゃっていいのかな」
「わ、ワシは違うぞ!」
「じゃあ助けてやるよ。邪魔さえしなければ」
笑顔を向けるが、まだ疑っているようだ。
緊張を解かない家康に、ため息を一つ。
鎌を今川に向ける。今川も扇を構えた。
「ほれっ」
掛け声と共に扇が舞う。鎌で防御すると、
「にげっ、にげっ、逃げるでおじゃぁああああ…」
間抜けな声を残して、真っ二つに割れた扇がはたりと落ちた。
偽者の今川に紛れて、おじゃおじゃと声が聞こえる。
さて、どうしたもんか。
家康を一瞥すると、どうすんだと問うように睨まれてしまった。