参拾伍
※***視点
札を剥がした瞬間、地面がぐらりと揺れた。
地震かと思い、下を見れば、地面に亀裂が入っていた。
武田サンの手が私の腕を強く掴んだおかげで、割れた地面の隙間に落ちることはなかった。
私と同じ顔をした臆病者は、花嫁衣裳を地面に落とし、神サマと同じ地面の上で笑う。
誰かの伸ばした手が、届くことなく、宙をかいたのが見えた。
何度も私と入れ替わって人を殺した癖に、いつまでも迷ってばかりな態度が嫌いだ。
代わりに殺せば願いを叶えると約束があったから手伝ったが、そうでなければ誰がするものか。
自分とよく似た他人のために、自分が知った顔とよく似た他人を殺すだなんて。
……まぁ、知った顔を殺したのも私だけれど。
どちらにしろ、利用するのも、利用されるのも慣れている。
腹の足しにもならない馬鹿げた記憶に、過去に、目を細めた。
武器を売るか、薬を売るか、身体を売るか、奪うか。
逃げ出すことは考えなかった。ただただ生きる事しか考えていなかった。
いつまで続くか。いつまで生きられるか。
じっとりと湿っぽい暗い寝床で、ナイフを握って眠っていた。
両親を知らない私。
両親に虐待されていた“私”。
両親を消してしまった“私”。
誰が不幸で誰が幸せか。浮かんだ問いのくだらなさに反吐が出そうになった。
だからだろうか。
武田サンの手を振り払い、臆病者と神サマの元へと跳んだ。
案の定届かなかったが、落ちる前に臆病者に手を掴まれた。
「痛い。肩外れたかも」
「ふざけんなよ。こっちだって痛いわぼけ」
「あはは。根性見せろよ」
久々に他人の身体を介してではなく、自分の身体を使って笑った。悪くない感覚だ。
片眉を上げ、馬鹿にした笑みを浮かべてやった。
相手を挑発する笑顔ならば大得意だ。
「言葉通り、死ぬほどお人好しな馬鹿だな。幸せにしたいだなんてさ。頭をかち割ったらお花でも溢れてくるんじゃないか」
「試してみるかい? 脳みそはまっピンクだけどね」
くぐもった笑い声を漏らすも、臆病者の目は真っ直ぐにこちらを見る。
どこまでも見透かすように、ぶれることのない真っ直ぐな視線。
ぐるりと異議ばかり申し立てる人たちを見渡す。
「さようなら。運が悪くても良くても会えなくなるけれど、それでも、私はみんなに会えて運が良かった。
だから、行くよ。神様、消えてしまえば記憶もなくなるんだろう? 私のこともちゃんと忘れてくれるんだよね」
「そうだよ。なかったことになるんだから」
「口が悪い私は、ここで生きるんだったっけ。ツンデレばっかだけど頑張れ」
「性格の悪い私め、誰に口きいてんだよ。どっちかっていうと私のが先輩だからな。敬意払いやがれ」
「さてさて皆さん、彼女らは覚悟を決めたよ。
君らも別れの覚悟を決めたまえ。この世界は終わりかけてるわけなんだし、ここでぐずっていてもどうにもならない」
「流れ星。俺らの願い事は叶えられないのか」
顔に刺青をした男が口を開いた。
才蔵。臆病者がぼやいた言葉が、こいつの名前か。
臆病者によく似て、相手へ一直線の視線を突き刺す。
「俺は、忘れたくない。黒兎、お前もだ。俺らのことを忘れるな」
「……運が良かったら覚えていられるんじゃないかな。本当にそればかりは難しいんだ。
少年マンガ的な表現をすれば、魂にでも刻みつけてしまえば出来るかもしれないけれど。まぁ、留意しておこう。
……じゃあ彼女らがこの世界でやり残したことを叶えてあげよう」
まさか自分に振られると思わなかった。
びくりと目を丸くし、逸らす。
最後の願いか。特にないな。隣は隣で、忠勝の裸とかセクハラ不足とかボソボソと呟いているし。
「私はいいや。どうせ覚えてないだろうし、結局は他人だし。
どっちかっていうと自分の出番が来るまでのんびり待機していたい」
「そう、わかった。では、もうひとりは?」
「私は……、」
彼女の、臆病でよく迷うところが嫌い。
だが、迷いながらも答えを出すところは嫌いじゃない。
臆病者の出した答えに、のんびりと待つと決めた自分の答えは間違っていなかったと頷いた。