肆
※軒猿(仮)視点
幼い頃、細かいところまでよく見ていると誰かに褒められた覚えがある。変化の術が長けているのは観察のおかげだろう。
黒兎様は、暇だと手遊びをし始める。両手の指を合わせ、親指から小指まで器用にくるくると回している。更に暇だと足の指も動いている。女性に出会ったとき、顔より先に胸へと視線が行く。初対面の相手には一歩下がって会話するが、心の距離を詰めるまでの時間は短い。ただし、自分が詰められると距離を置く。笑うと決まって眉間にしわが寄る。照れるときには目が泳いで、そわそわする。やっぱり足の指が動いている。強がるときは姿勢を正し、相手を真っ直ぐに見つめる。だというのに遠巻きに物事を見つめている。
ずっと観察してきた。
黒兎様がこの世界に訪れたときから、ずっと。
実際に会話してみたものの、一言で説明するならば年齢の割りに幼い表情をする、少し変り者の少女。化物と称されるには脆弱な心が目についた。
絆を自ら遠ざけるのは、弱さが露見しない予防策だろう。
前田慶次を逃がし、更には私の命を脅かすことに謝罪する化け物は誰よりも死に怯えていた。
細い腕は守る事も奪うことも出来ない。
その気になれば本田忠勝であろうと赤子のように容易く殺せるだろうに。
それでも、何故か黒兎様は毛利勢を誰一人殺さなかった。殺せなかった。
あの日、部屋にのこのこと一人で呼びにきた男は、黒兎様に正面から首を掴まれ、軍議の行われている広間へと引きずられた。もがいても痛みを始め感覚を持たない化け物には効かず、半ば首を絞められている状態のため声を出すことも叶わず。男は少女の前でどこまでも無力だった。
たのもーと呑気な声とともに障子を開ければ、首だけにしてしまえば一介の忍でも大将へと昇格するであろう名のある武将らが一斉に顔を向けた。
その中心に座る毛利元就は、据わった目で黒兎様を見た。隣にいる私は眼中になかった。眉間にしわが寄っているというのに、黒兎様を見る目は温度を持っており、胃に石が詰まっているかのような感覚に襲われる。個人から個人への想いというものを理解できない私には、どうしても気持ちの悪い光景にしか映らないのだ。
「慶次、後ろに下がってな」
己より先に名前を呼ばれたのが気に食わなかったのか、やっと私を視界に入れた元就様は、人を貫かんばかりに鋭い視線を送ってきた。だが、それも一瞬で、すぐに黒兎様へと目がうつろう。
「元就、先見が出来る巫女さんが来るんだって? ……違うよ、このオッサンから聞いたわけじゃないって」
「ふん、出来の悪い駒には変わらぬ。舌を切り落とさねばならんわ。べ、別に初めての共同作業がしたいわけではないぞ」
「そんな血なまぐさい入刀嫌だよ! んなもんに誘うな」
ふと黒兎様の目が変わった。
雑談の間に黒兎様と慶次様の姿を模った私を囲んだ兵士を見、元就様をじ、と見る。
ああ、この目は何度も見たな。嘘をつくときの目だ。
首を絞めかけられていた男が投げ捨てられ、床へと叩き付けられる。
咽ながらも主に謝罪を紡ぐ舌は、切り落とすには惜しい。そう思った、わけではないだろうが、男の舌は無事で、代わりに耳が削がれた。
唇を噛み締めて悲鳴を押し殺した男は、凍えるように肩をぶるぶると震わせた。
耳を押さえた手からは血が滴り落ち、床を汚す。
虫でも見るように男を見下ろした元就様は、汚れた刀を部下に渡した。処分しておけ、と顎で指示する。
「なぁ、私を大好きな元就」
「痴れ事を抜かすな」
「私を好きにしたい、って思わない?」