拾陸


朱塗りの盃になみなみと注がれる酒。
水のように身体に溶け込む日本酒は濁りのない上質なもの。
目の前で優雅に足を組み微笑む謙信さんと同時に、何杯目か分からない日本酒を飲み干した。

今宵は満月。
明かりの少ない世界では月光がこんなに明るく差し込むのか。
追加された酒に月が映し出される。

いとをかし、ってこういうときに使うんだっけ。

澄んだ空気は屈折することなく景色を魅せる。
見事な月夜に目を細めた。




まだ日が昇ったばかりだというのに酒を飲むのは抵抗がある。
月見酒がしたいと誤魔化し、夜にしてもらったが自分の主張は正しかった。
こんな綺麗な景色を眺めながら酒が飲めるのだから。



傷もほとんど治り、目立たなくなってきていた。
昼には歩けるようになって、直江と庭を見て暇を潰した。
料理も食べられるし万々歳だ。



「謙信様、酒の肴にどうでしょうか。黒兎も遠慮せずに食べていい」



あ、前言撤回。かすがの料理が強敵だった。
酒の肴と持ってきたのは梅干し。見た目も、匂いも、梅干。
だが問題は味なのだ。

謙信さんも顔には出していないものの、声が少し震えている。



「つるぎ、ありがとうございます」

「ありがとう、かすが」


かすがに見えない位置で目配せすると覚悟を決めて口に入れる。
……間違いない、かすがの手作りだ。
味の無い梅干を舌で転がしながら確信した。

決して私の味覚が死んでるわけじゃない。
気を利かして小姓が持ってきた沢庵には味あるし。
ぼりぼりと塩味の効いた沢庵を食べつつ、かすが特製梅干を相殺していく。


かすがの作った料理。実は昼にも食べたのだが、そのときはお茶請けのお菓子だった。
そのときは味覚が死んだと勘違いしかけたが、かすがの料理は味が無いだけじゃない。
舌先が痺れるのだ。毒が入ってるわけじゃない。味をつけようと試行錯誤した結果、だそうだ。

痺れのとれない舌を潤そうと酒を煽った。
酒で喉が潤うことがないのは知っている。それでも酒を煽る。


伊達軍でも飲み比べしたけど、此処に来て私呑兵衛になってない?
常人じゃとても空けられないほどの量飲んでるよ。
生身でついてこれる謙信さん達の方がもっと凄いんだけどさ。

小十郎に飲まされたときに薄々気づいていた。私、多分ザルだ。
味覚があっても謙信さんについていけてるし。



「かすがは飲まないの?」

「私は謙信様を眺めているだけで幸せだからな」

「うつくしきつるぎ……」

「謙信様……」

「無敵の直江、参上!!」

「直江、逃げろ!」



空気を読まずに登場した直江。
一気に殺気立ったかすがに危険を感じとり、すぐさま叫んだが間に合わなかった。
今日一日で私より怪我増えてるよ、直江。



「ふふ、たのしそうでなによりです」

「邪魔するには気が引けるぐらいに楽しそうですね」

「それはそうと、みこ。だいじなはなしがあります」

「明日からのことですか?」



察しが良くて助かる、と笑う謙信さんに私は姿勢を正した。
明日には完治している。これは間違いない。
感覚も今まで通り死んでしまってるだろう。辛くない、といえば嘘になるが仕方が無いことだ。



私に課される任務。
戦か。
密偵か。
制圧か。

ゆっくりと口が動き、言葉を紡いだ。




「あるきみことして、しばらくたびをしませんか?」




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