Eの章


※学校や友達関係でトラウマがある方は、閲覧注意。
※暴力表現あり



 ずっと、私は都会に憧れていた。

 意識が戻ると、はじめに目がいったのは金髪の巻き髪だった。その瞬間、私は誰と入れ替わったか分かった。矢代恵理子ちゃん。すごい言葉遣いをしていた女の子だ。

 ちらっと自分の身体を見てみると、私の顔は『まあいいか』という顔をして、外に出るところだった。

 私は恵理子ちゃんの自宅へ黒塗りのベンツで送り届かれた。

 部屋を見ると、散らかってはいるが、私が持っていなかったものばかりだ。真ん中に模様のあるコンタクト、マスカラ、ビューラー、ヘアスプレー、ファッション誌。そして、高校の制服。スカートはかなり短い。お尻が出るんじゃないかって短さだ。

 制服を着るのは月曜日の明日にするとして、今日はせっかくだから、街を歩いてみよう。憧れだった渋谷に行ってみることにした。

 記憶を探って、昨日とは違う服、恵理子ちゃんの記憶が流行りの服を教えてくれたので、そこから自分の好みを選んだ。


「恵理子じゃぁん。こんなところでどうしたのぉ?」


 恵理子ちゃんもすごいしゃべり方だったけれど、都会の人間はこんな話し方をするらしい。私も嫌だったけれど、とりあえず真似をした。記憶を探り、その人の名前というか、ニックネームを呼ぶ。

「ゆうちんじゃん! ゆうちんは何しに来たのぉ?」

「はぁ? うちはいっつもここにいるんだよ! おめーみてーなだせーやつが来るとこじゃねーんだよ!」

 どうやら、会話の選択を間違ったらしい。

「じゃあ、買い物をしたらすぐ帰るね」

「二度と来んな」


 もう私の素に戻ったことを相手は気にしていないらしい。初日というか最初の1時間で関係を悪くしても仕方がないので、私は電車に乗って違う駅に下りた。

 その駅でも同じような反応をする女子に会った。また違う場所でも。

 私は恵理子の記憶を探り、よく行く場所へ行くことにした。

 電車の中で何人かにけんか腰のあいさつをされたけれど、私は構わず、都心から離れた静かな駅で下りた。

 お店はあって、私の出身地よりも都会だけれど、そこまでお店がいっぱいあるわけじゃない。


 もしかして、恵理子ちゃんって……。


 散歩をして、家に帰る。家には恵理子ちゃんのお父さんがいたけれど、何も言わずに新聞を読んでいるだけだった。私のお父さんとはずいぶん違う。恵理子ちゃんはお父さんと2人家族だ。

 お母さんは恵理子ちゃんが小さい時に亡くなっている。仏壇の写真を見ると、恵理子ちゃんとそっくりな顔だ。お線香をあげると、私は手を合わせる。


 私は中身は他人ですが、これからよろしくお願いします。お父さんを助けて精一杯がんばります。



 学校に行く準備をした。恵理子ちゃんの方が年下だから、勉強は心配しなくていい。それよりも、今日のみんなの態度を考えると学校に行くのが憂鬱になってきた。

 スマートフォンを開くと、何件か連絡が来ていたけれども、それも返すのが億劫だった。通知を見ただけで通り過ぎる。

 恵理子ちゃんの彼氏からもLINEで連絡が来ていた。彼氏からだけ開くと、内容があまりにも下品だったので閉じた。

『いつ会える? いつになったらヤれるの?』

 トーク画面をさかのぼると、それしか連絡がきていない。恵理子ちゃんから返信はしていなかった。私も返信する気になれなかった。


 次の日。いつもと同じ時間に起きた。恵理子ちゃんの記憶を探って、いつも通り私にしてはかなりおしゃれをする。髪を巻いてヘアスプレーでかためて、まつげとカラーコンタクトをつけて、メイクする。

 恵理子ちゃんの記憶で信じられないような過去がいくつも浮かんできて、私は学校に行くのが怖くなったけれど、何かあったら帰ってきたらいいと思って玄関を開けた。今から思えば、簡単に帰って来られるなんて思った自分が恨めしい。



 昨日会っていい関係ではなさそうだった人達とは会わないように気をつけながら、下駄箱を見る。ごみがたくさん詰まっていた。上ばきはなかった。私は持ってきた上ばきを履いて、靴は空いている靴箱に入れた。昇降口の箒とちりとりを持って、掃除をした。

 教室に入った。自分の席を見て、落書きを消した。悪口があった。鉛筆とか水性のものではないようで、バッグから落書きを消すスプレーを出して消した。


 授業中は大人しくしていた。これから起こることを記憶で確認して備える。授業の内容なんて頭に入ってこなかった。休憩の度に何かがなくなり、探しても見つからなかった。時には何かに降ってきたり、ぶつかったりすることも少なくなかった。顔を見ようとしても、誰だか分からなかった。どこからか笑い声や誰かの悪口が聞こえた。

 ただ、これまで起こったことが記憶と同じだとすると、これから起こることもきっと同じだろう。そう思って悪寒がはしった。1日くらいなら耐えられるだろうと思っていたが、それは実は自分は恵理子ちゃんじゃないと言い聞かせているからかもしれない。


 恵理子ちゃんはいじめられている。主に昨日私が何も調べず話しかけてしまった『ゆうちん』という女子がいるグループから。友達も彼氏もアプリの中には一応いるが、助けてくれるわけでもない。クラスメイトを巻き込みたくなくて、恵理子ちゃんはいじめられていることを黙っている。それをよしとして一緒にいじめてくるのがクラスの中にも男女問わず何人かいるらしい。

 しかしいじめられる原因は、恵理子ちゃんにも分かっていない。探ってみたが、何かした記憶はない。何かされた記憶がたくさん出てきて、私は教科書を読んでみたけれど、何も頭に入ってこなかった。


 昼休みは、逃げるように女子トイレの個室で食べた。しかも1年生の。ここが1番安全であるらしい。昼休みが終わるギリギリまで隠れるように座っていた。確かに安全だったが、出ていくなり、昨日会った『ゆうちん』につかまった。文字通り、服をつかまれた。


「おい、昨日はよくも渋谷なんかにきやがったな」


 答える前にお腹に鈍い衝撃がきて、私はお腹を押さえる。


「何で? 行ったらいけないの?」


 私は一応聞いてみた。さらにお腹を押さえる手に衝撃がはしった。続いて背中にも。相手は、1人ではないらしい。


「あたりめぇだろ! あそこはお前みたいなださい名前のヤツが行っていい場所じゃねぇんだよ!」

「今時『子』なんてつけやがって。何時代だよ!」


 後ろの違う女子の声が聞こえた。さっき食べたものを吐きそうになった。相手にも悪いのでそんなことはしたくなくて、私は恵理子ちゃんの記憶を探る。謝って、ただ返事をしていればすぐ終わる。


「ごめんなさい。もうしません」


 そこでちょうどチャイムが鳴った。


「放課後、いつもの場所に来い!」



 さらに恐ろしい言葉を吐き捨てて、お昼休みは終わった。



 午後の授業なんてあったのだろうか。いつの間にか、空はオレンジ色になっていた。私の頭の中は、放課後どうしようかということでいっぱいだった。いつもの恵理子ちゃんなら、大人しくいつもの場所という体育館裏に行ってまた暴行されるわけだが、私はそうはならない。

 いじめられる原因は分かったことだし、恵理子ちゃんは避けていたけれど、職員室で先生に相談してみることにした。担任の先生は、さっき古典を教えていた男の先生だった。


「先生、相談があります」


 私が入ってきたのを見て、他の先生はなるべく目を合わせないようにしていた。校則違反していないところがない格好なのだから当然だろう。


「何だ、矢代」


 担任の先生も例外ではないようで、パソコンとばかり目を合わせている。


「私、いじめられているんです」


 そこで少し私の方に目を向けた。だが私と目を合わせる前に、パソコンの方を向いてしまった。


「そんな格好だからいじめられるんじゃないか? 相手に聞いてみたのか?」

「私の名前がださいからということなので、格好は関係ないと思うんですけれど」

「そうか」


 まだ疑ってかかっている担任の先生に私はこう言ってみた。


「私、これから体育館裏でいじめられるんです。嘘だと思うなら見に来て下さい」


 そこまで言うと、ようやく先生は私の顔を見た。その後またパソコンを見た。もっと言った方がいいだろうか。


「先生、ここまで言っているんだから一緒に行った方がいいんじゃないの?」


「後で行きますよ」


 向かい側の女の先生が言うと、担任の先生は渋々頷いた。


 私は、とりあえず証拠を見せるしかなくなったので、体育館裏に行った。女子が6人くらい待っていた。どの子も校則違反だらけの格好をしている。



「おせぇよ。待たせていいとおもってんのか?」

「ごめんなさい」

「昨日のこと、まだ許したわけじゃねぇんだからな」

「はい」


 なぜこの人たちに許してもらわないといけないのかよく分からなかったけれど、頷く。頷いたのに、後ろから衝撃がくる。


「てめぇふざけんじゃねぇよ! 罰金で10万円払え」


「どうしたんですか?」


 彼女が何かする前に、担任の先生の声がした。振り向くとその後ろには、さっき心配してくれていた女の先生もいた。


「あーー、これ遊びなんですよ。気にしないでください」


 さっきまでの言葉遣いはどこやら愛想笑いすら浮かべて、ゆうちんが言った。後から見え透いた同意の声が続く。


「そうか。矢代はいじめられていると思っているからほどほどにしてやってくれ」


 担任の先生を見ると、担任の先生は誰とも目を合わせようとしていなかった。そのまま立ち去ろうとさえするので、私は呆然としそうになった。他の女子は全員私をすごい目つきで見ている。そちらは見なくても気配が告げていた。


「遊びなら、もう暗くなるから明日にしましょう」


 女の先生はそう言って、私の手を引いてその場から連れ出してくれた。誰の言うことを信じたかは分からないが、私は何も考えることもできず歩き出した。


「何かあったら相談してね」


 担任の先生はさっさと職員室に戻ってしまったが、女の先生は昇降口まで見送ってくれた。靴はなくなると思って違うところに入れといたから残っていた。



 帰りながらも、まだあの女子達がどこからともなく現れるような気がして怖かった。まだ背中は痛かったし、お腹も痛くなってきた。


 今日で随分いろいろなことが分かった。恵理子ちゃんが学校でどんな扱いをされているのか。誰が信用できるのか。どうして絶望してしまったのか。

 お腹は痛いが、それ以上に腹が立ってきた。なぜ、行っては行けない場所があるのだろう。なぜ、名前でいじめられなければならないのだろう。


 恵理子ちゃんのお父さんは夜遅くまでお仕事なので、恵理子ちゃんは家に帰ると夕飯の支度と、掃除してお風呂に入る。本当にいい子だ。制服もきれいにした。


 お父さんが帰ってくると、夕飯を一緒に食べた。お父さんは珍しそうな顔をしていたけれどすぐ嬉しそうな顔をした。私は『自分』としてはいつものことなので、これからも続けようと思った。


「ねぇ、お父さん。私の名前って何で『恵理子』っていうの?」

「どうしてそんなこと聞くんだ? 今日は珍しいことばかりするな」


 お父さんはそう言いながらも、箸を止めて、話してくれた。



「お母さんは理子というんだが、病気でね。お前が小さい頃亡くなってしまってたんだ。お前が生まれる前から病気で苦しんでいて、辛い思いをしていたんだ。だから、自分より健康で長生きできるように、自分より恵まれるように『理子』の前に『恵』をつけたんだよ」


 私は何も言えなかった。視界がぼやけて何かがぼろぼろおちてきた。


「ごめん後で食べる」



 私は慌てて自分の部屋に駆け込む。自分が何で泣いているのか分からなかった。悲しいのだろうか。何で悲しいのだろうか。私は恵理子ちゃんではないというのに。


 どのくらい泣いたのだろう。まぶたが熱くなって何も出なくなった。部屋の電気をつけて、スマートフォンを開くと、メッセージが何件か来ていたが無視してインターネットを開く。名前の『子』の意味を調べてみた。


 すると、私も知らなかったことが出てきて、出ないはずの涙を出してまた泣きそうになった。そこにはこう書いてあった。


 『子』の字は、一という『始め』と、了という『終り』の二つの字で出来ている。つまり、生まれた時が死ぬ時までを表している。


 「幸子」なら、一生、幸せな子でありますように。「優子」なら、一生、優しい子でありますように。「愛子」なら、一生、みんなから愛されますように。という願いが込められている。


 つまり、「恵理子」だったなら……。



 私はいてもたってもいられなくなって、恵理子ちゃんに手紙を書いた。こんな大切な名前をもらっている人の体に他人がいていいはずがない。それを知らないで自分を諦めて違う人でいるなんて間違っている。何も知らずにいじめているなんて、知らなかったじゃ許さない。


 昨日あったこと、今日あったこと、担任の先生に話したこと、女の先生が助けてくれたこと、名前の由来、調べたこと。そして、明日から私がやること、いじめの証拠集め。ノートやボイスレコーダーやビデオカメラを買って、明日から大活躍してもらおう。それが正しい証拠にならないとしても、何かを動かすことはできるはずだ。



 手紙を書き終わってから、私は自分の名前に思いを馳せた。『冬香』ってどんな意味でつけてくれたんだろう。どんな願いが込められているのだろう。急に家族が恋しくなった。落ち着いたら会いに行こうと思っていたけれど、すぐに電車に乗りたくなった。

 きっと、私も大切に思われている。私も、大切にしたい人がいる。だけれど、それはこの家にいる誰かであってはならない。


 夢のことを思い出してみた。ここにはコピックどころか色鉛筆もありそうにない。メッセージは無視して、絵を描けるアプリをインストールした。明日タッチペンも買ってこよう。

 東京にいても、不思議なことに同じ絵しか描きたくならなかった。故郷の絵だ。山に囲まれた田畑。その中に家族を描きたくなってまた泣きそうになった。


 あと1ヶ月。あの女の先生と協力して、そこからできれば味方を増やして、迎え撃つ準備をしよう。あとは、恵理子ちゃんがあの手紙を見て決めればいい。それが、たった1ヶ月でも大切なお子さんの体を借りてしまったことへの償いだと思った。


 もう1件連絡しなければいけないことを思い出して、私は電話をかける。マスター代理の声が聞こえるまで待っていた。



後書き

読んでいただきありがとうございました!

この話は、15周年記念企画を書くにあたって、実は一番始めに思いついたものでした。というのも、「子」が名前で使われる意味を当時初めて知ったから。


なのに、ここまでかかってしまったのは、本当に重かったし、私のトラウマにも触れることになり書きにくかったからというのがあります。

でも、どうしても書きたかった。
それは今までその意味を理解していなかった自分に向けてでもありますし、これまでの自分の経験を形にするためでもあったからかもしれません。

さらに大人しい子を意識して、解決策などを考えてみたのですが、やはり許せないという思いが強くて、強硬手段になってますね......。


しかしながら、本当は2日目の証拠集めのところも書く予定だったのですが、そこまで書いても重く暗くなるかなと。字数もなかなかでしたし。

その前でけっこう字数と時間を使ってしまったので、そこまで描きたくないというか描く必要のないところはいいかなと思って1日目で終わりにします。


Fの章のプロットはできているのですが、ようやく描き始められます!
さらに驚くことは、昨日ようやくHの章のプロットがおりてきました(笑)

こんな重くてなかなか進まない創作開始15周年記念企画ですが、書きたいことを書けるように長い目で私も見ていきたいと思います*


2020.03.30
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