序章


「お待ちしておりました、知奈様」

 一礼するスーツ姿の男を一瞥して、私は車から降りて中に向かった。一礼した男が私の荷物に手をかけようとするが、私は軽く目を合わせて制す。誰かに優しくしてもらって素直にありがたく思える心境ではなかった。

 広間に通される。アラベスク柄の真紅のカーペット、頭上にはシャンデリア。壁には灰緑色の壺。一見すると東京の高級ホテルのようであるが、ここは紛れもない家。主に呼ばれて私達は集まった。

 先客が私を見て近づいてきた。金髪のロングのまつ毛が長い女の子。化粧もネイルもばっちりだけれど、顔立ちは幼い。

「ちーすっ。おねーさん。いくつ?」

「24よ」

 感情を動かすのが億劫で質問にだけ答える。

「ふーん、うちおねーさんと入れかわりたいなー」


 愛想がよく余裕だと思っていたがそうでもなかったらしい。あたふたしていた三つ編みの少女が遠くから近づいてくる。

「初めまして。えっと、私ふゆかっていいますっ! 漢字は冬の香って書きます。よろしくお願いしますっ!」

「いーんだよ自己紹介なんか。他人になるか自分になるかなんだから」

「この人は恵理子っていいますっ! 口はよくないけれどよいひとですっ!」

「勝手に紹介してんじゃなねぇ! ほぼうちらも初対面じゃねぇーか!」


 恵理子は冬香にくってかかる。こうして見ると、ギャル(恵理子)が地味女(冬香)をいじめているように見える。

 私は後ろの青年をちらっと見る。眼鏡をかけて髪はぼさぼさ。スーツをダラっと着ている。猫背と俯き気味なところも合わせ、正装で来たのか普段着なのか分からないが、ここに来るような人種なら仕方がない。企業の名札らしきものには,井津島大悟と書いてあった。


「皆様、お待たせしました。これより確認をさせていただきます」

 黒い高級スーツを着こなした男が一礼した。

「ちょっと待てよ! まだもう1人来てねぇ」

「それは失礼しました」

 ガラガラという音を伴って、車椅子に乗った1人の青年が現れた。

「彼、川瀬浩樹さんで最後です」

 精悍な顔立ちで体つきは引き締まっているが、表情は暗い。5人目がやってきた。


「ここに集まっているのは、規約に同意して頂いた方々。人生に、あるいは自分に絶望している皆様です。政府は若者の自殺を減らすために、このプロジェクトを研究してきました。その名も、『異人転生』」

「あいさつなげーな」

「申し遅れました。私のことは『マスター代理』とお呼びください」

 恵理子の一言でも表情も口調も変わらない。私もこの混沌とした状況に苛立っているから止めはしなかった。


「先に異人転生の条件を申し上げます。
1、自分以外の誰かと体が入れ替わる。
2、体は入れ替わり、その能力・記憶を受け継ぐが、感情・思考は本人のままです。
つまり、自分が本当は誰なのかという意識はあるまま体だけ入れ替わることになります。入れ替わった際には、身体の記憶を使ってお過ごしください。
3、戻りたくなった場合。
最後に1つ、ないとは思いますが、ご案内だけ。
入れ替わったもの同士が同意した場合のみ成立します。また、入れ替わっていた時の記憶はもったまま元の体に戻れます。
ああ、それからどちらにしろ1ヶ月後アンケートに答えてもらいますのでまたこちらに集まってもらいます。
さて、以上のことに同意していただけましたら、こちらにお越しください」


 マスター代理が進行方向に手を開くと、扉が開いた。その先には卵形の白いカプセルが見える。私達はもう迷うことも無く、または迷う気力もないまま、部屋の中へ歩き出した。