相思花


 それが“両思い”という意味で付けられた名でない事実を知ったとき、私は苦い笑いを漏らすことしか出来なかった。
 地獄花、幽霊花、天上花、死人花……彼岸花の異名は千あると言われるほどに存在しているが、これほどまでに自分に対する皮肉だと思った名も他にない。
 相思花。
 葉は花を見ず、花は葉を見ず。
 夏に茂る彼岸花の葉が、花が咲き辺り一面を赤色に燃やす初秋の頃にはたと姿を消してしまう不思議から生まれた言葉だ。
 いつしか花弁が黒ずみしおれ、地下で新たな根をわけてそれが育まれる頃に、やがてまた新しい葉が姿を現し始める。
 双方互いが互いを追い求めるも、決して掴むことの出来ない後ろ姿を見続けるしかない、同道巡りを続ける彼岸花のこの特徴をよく簡潔に謳った名、ということだった。
 とても思い当たる節があった。
 まるで自分と彼女のようではないか。
 直感的に思ったのは、この彼岸花と彼岸花が思わせる紅蓮の炎が、私と妹――雷鳴とを強く結びつけ、記憶を呼び起こす鍵のようなものだったからだろう。
 彼岸花が彼女に思い出させる記憶があるように、それに並行して私の内には彼岸花に隠した真実が存在する。
 ただ、それは花弁の表裏を同時に見るように隔たりがあり、同じものを見ているようで決して同じにはなり得ないのだった。
 同道巡りを決定づけているこの譲れない想いが互いの胸にある限り、螺旋を廻るように交差した私たちの関係は一生涯続いて行く。
 彼女は私を斬りたいと強く願い、私は彼女に斬られてはならないと思い、そしてただ気づいて欲しいと切望する。
 それは全く“相思”から連想される“相愛”には繋げようにも繋がらない状態だが、例えそれが憎しみであろうが煩わしさであろうが、誤解であろうが期待であろうが、方向性として相する者を思うことに変わりは無いのだった。
 逃げもせず、隠れているわけでもないのに互いの感情すれ違い、対峙しなければならない現実を否定しようとすればするほどに、互いの望みは相入れないのだと突き付けられる羽目になる。
 雷鳴は私を憎み、私は雷鳴に悲しみを見出ださずにはいられない。
 それでも、私たちは彼岸花と同様、相思であるに違いはなかった。

 雷鳴、そして私。
 命懸けで終焉を求め、復讐による死別か、またはそれに酷似した返り討ちという名の告別か、たった二つの選択肢は今は唐突に訪れた三つ目の道によって別の結末を辿ったが、それでも葉が花を焦がれる状態は続いているように思った。
 私は変わらず灰狼衆に身を置き、彼女は少なくともその反対側にいる。
 状況はさして変わらない。
 いつまで続く。
 恐らくは、いつまでも。
 ひいては、そこに森羅万象が存在し続ける限り。
 彼女はまるでそのことを気にしていないようだった。



 墓参りのように実家の跡を訪れるとき、私たちはしばしば出くわすようになった。
 それを心の隅の辺りで期待してしまう私たちのこの行き来が、どれだけ不毛で、身を置いているそれぞれの環境に対しどれだけ不誠実であるか、彼女は考えるにも至らないし、どう思うのかを聞いても特に答えは出ないらしい。
 相変わらずだと嘆息を漏らすと同時に、私はそれを羨ましく、そして嫉ましく思った。
 行きたい場所へ行き、会いたい者と会い、話したいことを話す、そのことの何が悪いと眉をひそめて強く語る雷鳴の前では、私のように後ろめたさを感じながらも敵対する者とこうして関わりを持つ人間こそが、まさに不誠実の極みなのだと思えてならない。
 自嘲するように一人笑むと、同様に雷鳴も唇を歪めた。
 それを見て私はつい顔をしかめる。
 雷鳴の口から強い苦笑が漏れるときは大概、認識のずれた彼女の観念を押し付けてくるか、無意識の正論を私に投げかけてくるかのどちらかだ。
 どちらにせよたじろいでしまわないように私は足を踏ん張り、彼女を諫める言葉を探すか、又は自分を正当化する言葉を探す。
 彼女は時にそれに反発し、時にそれを理解しようと努めるが、結局どちらも叶わないままに陽が沈む、決まり切ったやり取りだった。

「死人花の花言葉は、『悲しき想い出』」

 その日、雷鳴は彼岸花に定められた成されぬ相思の結末を見定めたような言葉を云った。
 雷鳴は自らが立てた清水の墓標に掛かった木の葉を拾い、私は触れることが出来ずに少し離れた位置からそれをただ見つめている。
 彼女が作業をする奥の方には、私が突き立てた白我聞がそのままの姿で屋敷の跡を弔っていた。
 足下には枯れた彼岸花が広がる。
 腐敗が始まり土になりかけた花弁は、黒ずんだ中にもまだ赤を交えるものもあり、人から溢れて時間を経た血を私に思わせ、少し吐きそうになった。
 私たちは今、ただ同じ光景をこの景色の中に見ているのだろう。
 『悲しき想い出』
 忘れてはならない記憶。
 痛ましい過去。
 お前はわざわざえぐるのだね。

「容赦のない妹だ」

 私は心の臓を抑えつつ、相思花の名を知ったときと同じ苦笑を顔に耐えながら目を逸らした。
 そうだ、私と雷鳴が共有出来るのは『悲しき想い出』ただ一つ。
 それを掘り起こすくらいならば、私は誤解という螺旋を廻って居た方が楽かも知れないとすら思っていた。
 彼女は今、容易くそれを私の前に付き出した。
 私が何の処理も出来ていないうちに、雷鳴は言葉を続ける。

「彼岸花の花言葉は、他にもある。『情熱』『独立』」

 相手の気持ちを慮るべきだ、そう告げた私の言葉はまるで考慮にない彼女の態度だったが、少なからず彼女なりの歩み寄りを図っている意図は汲むことが出来た。
 彼女は私の好きなもの知り、そこから私を理解しようとしている。
 情熱、独立、それはまるで私のことだと云わんばかりにこちらに向けて呼びかけ、名を呼ぶことで私の内を引き出すようにして、雷鳴は私が彼岸花を抱える理由を探ろうとしている。
 雷鳴はいくつも並んだ墓石を背景に、私は枯れた彼岸花の遺体を足下に、二人対峙している。

「『諦め』、だよ」

 私は死人花の四つ目の花言葉を口にした。
 彼女の歩み寄りを拒もうとしたのではない。
 己を貫くため、犠牲という名の諦めがそこにあったことは紛れもない事実だということを伝えずにはいられなかった。
 あの日咲き誇っていた彼岸花が今、乾いた血の色をし土と同化し始めているそのことが、過去の事実を証明しているように思えた。
 彼女は私を無視して先を続ける。
 実際は私の言葉の内容を理解しているのか、それとも全く耳に届いてすらいないのか、想像したが結局は及ばなかった。

「彼岸花の名前の由来が決して不吉なものなどではない、死者を天国へ送り出すための天上花から来ているんだと、そう教えてくれたのは兄さんだった」
「そんなに私を肯定したいのかい」
「……分からない」

 意志を携えた母親似の切れ長の瞳、その目が初めて私の為に伏せられた瞬間だった。
 射抜くように責めるでもない、嘲笑うように舐めるでもない、ただ私と真実を共有しようとし、ただ上手く行かない憤りがその瞼の奥に想像出来る。
 ああ、その目を五年前に見ることが出来ていたら……。
 目を逸らすことを留め、今目の前に佇む妹に向けて微かに一歩だけを踏み出す。
 目を伏せたままの雷鳴は動くこともしなかった。

「兄さんはいつも泣きそうな顔で花を抱く。大切そうに包むのに、まるでくだらないもののように薙ぎ払ったりもする」
「そう……かも知れないね」

 そう、事実私はそうやって今までを生きてきたのだ。
 大切なものを守りたいが故に自分の道を貫くも、自分の道を貫くために大切なものをも切り捨ててしまえる覚悟。
 とても矛盾した時間を生きてきた。
 自分でも戸惑うほどの残酷さを、自分でない者に理解が出来ないのも当たり前だ。
 矛盾の答えはまだ私自身見つけて居ない。

「私には、雷光があの花に見ているものと同じものは見えないけれど」

 雷光の所為だ、彼岸花が雷光の好きな花だから。
 私が兄さんと同じものを見ようとするのを、いつだって兄さん自身が邪魔をするから。
 雷鳴は至極忌々しげに云ったが、私にはまるで愛の囁きを耳にしているようにしか聞こえなかった。
 彼女は相思花を目にするたび、私を想わずにはいられないのだと言う。

「それでも、知りたい、とは思うんだ。兄さんがこの花に、何を思うのか。何を思って、あんなに優しく抱きしめるのか」

「……葉は花を見ず、花は葉を見ない。すれ違いや、追い求めたものがこの手をすり抜けて行くような虚しさは、いつしか悲しいだけの想い出となり、求め合う情熱は次第に諦めと変わる」

 足掻き、そして私は自らを追い込むように、又は迫られるように独り立ちをした。
 それが、私が相思花に見る私の歩みだ。
 でもね、そう、もう教えてしまっても良いのかも知れないね。
 お前がその目で初めて私を見ようとしたその感謝の意を込め、この不毛な同道巡を少し終焉に近づけよう。
 私がお前の為に添えた悲願の花の伝言、最後に用意された彼岸花の真実を君に教えよう。
 私が紅蓮の焔に見る幻影、『悲しき想い出』、『情熱』、『独立』、『諦め』に続く、叶わぬ相思の行く末、最後の花言葉。
 強い想いに導かれ、訪れるべくその瞬間をただひたすらに願った、最後の、切なる祈りのような。
 それは。

「お前と私の、『再会』だったのだよ」










fin.