「もうちょっと左に立って?」
三脚は持ってないから、道を飾る石造りの花壇の上にカメラを載せた。
身体を横にかがめてカメラを覗く俺は、花びらや土が髪に付くことも気にしないまま、レンズ越しに見える四角い視界を、小石や枝で理想の位置に固定する。
宵風が寄っかかった背の低いブロック塀の奥には、坂道、階段、段々畑みたいに並んだ家、隆起の多いここの辺りならではの町並みが、足元から向こうの方に広がって見えてる。
とても綺麗な景色だけど、俺は気にしないで背景が空一面になってしまうほど目一杯にズームを上げて、宵風の顔を枠線の中に捉えた。
(縦なら俺もちゃんと入りそう)
フィルム式の旧型カメラは側面が広いから、縦にしても充分置けた。
液晶画面もついてなくて、シャッターをきったあと自動でフィルムがまかれる機能があるだけの、古めかしいって言うよりただ廃れてしまったデザインだけど。
でも「買ったときは最新式って呼ばれていたんだよ」っておばあちゃんが教えてくれたこの大きなカメラは、俺にとっては骨董品みたいな重量感があって、なんだか少し好きだった。
おばあちゃんは、旅行用に新しく買ったてのひらサイズのデジカメを俺に貸してくれるって言っていたけど、「古いのが良いんだ」って俺が頼んだら、変わった子だねなんて笑いながら、押し入れにしまってあった昔のやつを懐かしそうに撫でながら俺に渡してくれた。
レンズを通して焼き付けられた世界って、木や、花や、建物や、人や、そういう景色からお裾分けしてもらった光が一枚の紙に宿るって意味では、多分、現像された写真は本物って言っても良いんじゃないかって俺は思う。
だからおばあちゃんはデジカメを買ってもこの古いカメラを捨てられずにいたし、一番本物に近い状態で“今”を残しておける方法を考えていた俺は、初歩的で、原始的で、でも一番実物に近いものを閉じこめておける、写真って結論にたどりついたんだと思う。
だから、この方法なら宵風を留めて置けるんじゃないかなって思ったんだ。宵風が生きた証を。
いつ失うとも分からない彼だけど、行かないでって言うのは約束違いだし、俺もそれを望んでるわけじゃない。
救いたいと思うのは自惚れかも知れないけれど、彼の願いを叶えたいとは思うんだ。ただ。
命を懸けてでも宵風の存在を消したいと思うのと同じくらい、彼を忘れたくないと思ってる。
(たとえ世界が宵風を忘れても)
あたう限りの手を尽くして、俺は宵風を俺の中に留めておきたい。
知ったら宵風は、なんて言うかな。
レンズ越しに見た宵風の目は少し怯えたように揺らいでいて、俺はわがままに付き合ってくれたことへのありがとうを頭に浮かべながら、それを宵風に言うことが出来なかった。
写真、撮ろう? って少し不自然なくらいににこやかに告げたら、宵風は最初少し戸惑ったみたいだったけど、手を引いたら思ったよりもすんなり俺に付いて来てくれた。
俺からするお願いっていうのが、珍しかったのかも知れない。
思い返せば俺が宵風に言った頼みごとって、“俺が消す前に死なないで”のたった一つだったんじゃなかったかな。
「とるよ」
タイマーを設定したシャッターボタンを押して、俺は宵風のもとに走ってぴったり肩をひっつけた。
バランス悪く縦に置かれたカメラが、やっとのことで囲う、身長差。
いつだって俺は、ここから彼を見上げていた。
「みはる」
「なぁに」
「……残るのか」
森羅万象が発動されても、もしかして、この写真が。
残ったらいいなと俺は思った。
でも、きっと、俺たちには奇跡なんて起こらない。
「残らないよ。うん、残らない」
森羅万象は、計り知れない力を持ってはいても、絶対の存在じゃない。
でも、隙間はあっても慈悲深いとも思えない。
今ここでうつしとられた二人の光がたとえ本物でも、僕ら二人の願いが叶ったとき、写真に残るのは、きっと空の青だけ。
それでも俺は、無駄な努力と分かっていても、宵風と一緒にいられるこの間に何かをすることで、今、安心を得ていたいんだ。
宵風は、そう、と一言言っただけで、ならどうして、とは聞いて来なかった。
宵風はずっと、得体の知れない力なんかよりも俺自身のことを信じて来てくれた。
宵風を消すのは森羅万象なんかじゃない、それを発動する俺なんだって。
俺の言葉ならいつだって疑わない。
秘術なんて得体の知れないものじゃない、揺るぎない何かを俺自身の中に見出してくれていた。
だから俺も、裏切らない。
少し高い位置にある宵風の手をぎゅっと握ったら、点滅するオレンジ色のタイマーランプが時間を急かすように速まった。
宵風はきっと、人の体温から伝わる想いっていうのを受け取ることが苦手なんだろう。
英さんからもらったマフラーを渡そうとしたときはいらないって言われたけど、俺の手は振りほどいてしまえないみたいで、ただ苦しそうに目を滲ませている。
ちがう、泣いたら駄目だ。
顔全体に影を落としていたキャスケットを、背伸びをして引っぺがして、どんな顔をしていいか分からなくて困ったようにうつむき加減になった宵風に、そっと教えてあげた。
「こういう時は、笑うんだ」
「わらう?」
「そう、わらう。こんな感じ」
目を細め、ニカっと口の端を上げてはみたけれど、多分、ちゃんと笑えてはなかったと思う。
「わらう……」
けれど宵風は、一瞬ひそめた眉をむりやりゆるめて、俺と同じようにちょっと引きつった顔で、わずかだけど、綺麗に、あまりに綺麗に、俺に微笑みを返してくれた。
びっくりして、どうしようってくらい心臓がぎゅうってなって、俺は、手を繋いだまま、とっさに宵風の背中に隠れてしまった。
ごめん、ずるいよね。
笑えって言ったのは、俺だったのに。
(涙が、溢れる)
乾いたシャッター音が、二人を包む。
anachronism君が放つ漆黒という光