部屋の隅にうずくまって目を閉じると、そのまま自分がどこに居るのかも分からなくなるような静かな苦痛の時間が訪れる。

 目を閉じて足場のない穴の底へ沈んでゆくことも怖いのだけれど、開けて見る世界とどちらが自分にとって暗闇かと考えれば、どっちもどっちだなと思えて僕はそのまま静寂に身を潜めた。

 すかすかの僕の身体でも、床に触れている部分は重たく重力を感じて、このまま世の中の一部に熔けて影も形もなくなってしまえばいいと思うのに、少なくとも波打たないここには心すら沈んで行くことは叶わない。

 黒く揺れ動く海のみなもを想像して、ひたひたと手で触れることの出来る境界線に身体を押し込んで、その冷たさに、まるで海原っていう大きな棺に足を入れたみたいだと錯覚した。

 浮遊しながら少しずつ落ちて行く自分を思い、孤独に浸されて騒ぎ出す全身の血流を抑えるよう身体を抱きしめて、真空で訪れる何もない場所への憧れに、身震い一つ。

 それでも熱くなる目頭は重く、いくら涙を海水に熔かしても身体が軽くはならいのはなぜだろう。

 息苦しく空気をついばむ僕は周囲を囲む深海魚に似てとても不細工で、少し口を開くと微かに香る。
 海の味。

 人はどうして涙を流すの、と聞いたとき、子供が嬉しいこと、悲しいことを親に伝えたがるように、人間は想いを海に返したがるんだ、と言った彼女の言葉になぜかとても納得したのを覚えている。

 空気を肺にためると身体が浮上し始めて、少しずつ太陽の光が滲ん青色が見えて来る。

 ああ、人の生きる世界だ。
 そう思って手を伸ばしても、世界を隔てる波より上には上がらなくて、それは僕が阻まれているのかもしれないけれど、本当は僕自身が上りたくないと思っているのかもしれない。

 指先で水面の裏側に触れただけで、僕は虚しく手を戻す。

 どちらが自分の生まれた世界か分からなくなり、戸惑うまま海の底へ帰ろうとした僕の腕を、無理矢理掴み上げる手の平があった。

 目を開けば蛍光灯の光、滲む水底を見るように目を凝らす、塩水でぼやけた視界に、深海のように混じり気のない深い瞳。

「おはよう、宵風」

「おはよう、寿」

 君が笑う。



fin.