『voice』



よ い て

そう何気なく唇をかたどった時、彼が返事をしてきたのは、私にとってはとても意外なことだった。
私は、それを声に出してはいなかったから。

彼にはこちらが音を発したかどうかも分かっていないんだろう。
促されるままに言葉の先を続けた所で、むこうの耳がそれを捕らえられるかどうかも定かではない。
それは宵風が一番よく分かっていることだろうに、再び「何」と私に向かって不機嫌そうに重ねた宵風の一言は、彼なりの社交辞令みたいなものなのだろうか。

聞いていようがいまいが話を続ける気だった私は、膝を抱えて床に座る宵風の正面に腰を降ろして、その余計な気遣いに応じるように、でも心の中ではそれを無視して宵風を見据えた。

彼は帽子を深く被った頭を更に俯けた。

「……良かったね、消えるのが五感で」

反応は――無い。
やっぱり届いていないのかもしれない。

でも、その方が気が楽だと思った。

「五感に、『感情』が入ってなくてよかったね」

それから、

「喋ることが感覚じゃなくて良かった」

禁術を多用して壊れる何かがあったとしても、辛いと思えること、それは立派な感情として身体に残り、そしてそれを伝える術が失われるわけじゃない。

彼がここに居ることを証明する証としては、それで充分だろう。

「寿……」

最近の彼にしてみればタイミングのいい反応。
言葉の内容を理解して言ったわけじゃないかもしれない。
もしかしたら本当に聞こえているのかもしれない。

――どちらにせよ。

「私はそれだけで満足だよ」

例え何も聞こえなくなっても。
何も見えなくなっても。
その口がある限り、消えてしまうその瞬間まで、言葉はあなたと共に存在し続ける。

泣き叫ぶことが出来る。

――私の名前を呼べるの。





fin.




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