僕と彼女の始まりは、それはそれはささやかで、でも決して忘れることのない、僕にとっては焼き付けるような一瞬だった。

彼女は別に僕のことが好きなわけではなかったし、僕にしたって想い焦がれる程に彼女を気に留めていたわけではない。

恋じゃない。

まして愛なんかあるわけも無かったけれど――人に取られたくないと思うのは、それはそれで立派な感情だ。



『現品限り』



「彼氏いない歴十四年…?」

「そ」

柔らかにノートを抱えて彼女が内気に笑う。
一連の話はともかく、委員会の仕事をそつなくこなし、下級生に指示を出す姿勢は穏やかで物腰柔らか、威張る様子はまるでなくて、話し掛ければはにかむような典型的な優等生の姿を見せ付けるその人に、何かのついでに

「もてそうだね」

と付け加えるみたいに口にしたのがこの話題のきっかけだ。

「そ…っか、付き合ってる人居ないんだ」

「意外?」

「意外」


言下断言をすると、##name_2##さんはノートに何か書き落としていた手を躊躇いなく止めて、化粧をしていないわりに鮮やかなピンク色をした唇で笑みをかたどったまま、

「どうして?」

と僕に問うた。

赤みがかった陽の光がカーテンを越して放課後の教室に入り込み、僕と彼女の影を伸ばす。

整備委員と日直。
作業をするには暗いけれど、蛍光灯を点けるには明るくて、カーテンを空けたら眩し過ぎる教室。
結局我慢をしながら、自分の手の影が落ちて見にくいノートに目を凝らす横顔、僕はそれに背を向け、雑巾を片手に綺麗になっているかもわからない黒板と向き合う。

「ね、どうして?」

「ええ…と、何となく」

「理由無いのに意外なんだ」

中身の無い言葉なんて、彼女の前では無いも同然のようだ。
それが天性であるのか、唯単に几帳面に育っただけなのかは僕の知るところではないけれど、一言一句を違わず捉らえる彼女の鋭さは、僕にとっては他に見ない希な才だ。

上辺だけの言葉を掬い取られた気になって頬が熱くなりかけたのを、黒板を睨むことで隠したけれど、思えば直感だって立派な理由。
何も後ろめたいことなど無いわけで。

なのに僕は無罪が嘘を上塗りするような言葉を後に続けてしまったこと、自分のことながらに驚きを覚えた。

「…人気あると思ったんだ。みんな言ってるよ。その…気になるって」

その場の取り繕いだ。
でも、嘘じゃない。
もしかしたら深層心理を言い訳でごまかしただけかもしれない。
周囲の言葉なんかじゃない、それは、僕本人の――。

振り向くと吸い込まれるように黒く大きい瞳が僕を見ていた。
染まった頬の色が夕日のせいであるのかそうでないのかは、僕には区別つかなかった。

「よくわからない」

「え…?」

「そんなこと言われたことないから、よくわからないの」

「そ…っか」

それでも実際彼女を気にかけて居る男子は多くて……ただ、本人が気付かないのも無理はないと思った。

彼女のその清楚さは男子の想いを『思い切って声をかける』よりも『目の保養』に留まらせている節があったから。
だから今まで事が表面化してきたことは一度もなかったし、事実何事も起きていないのだろう。
彼女が経験ナシと口にするのは、きっと真実。

「自分から声かけたりとかは?」

――あるわけない。
そもそもそういうような人だったら、恋人が居なかったわけがないのに。

「自分から言うように見える?」

はにかむ##name_2##さんは、言葉通りの奥手。

彼女は他人の一字一句を違わないどころか、自分でも嘘を吐けない体質のよう。


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