戸を閉めたまま、初めから行くあてなどない私が動けるはずもなかった。
私はただ、あの場所に居たく無かっただけだ。
同時に、誰かが呼び止めてくれることを期待し、そしてそうならないことも知っていた。
「雷光」
「寿……」
唐突に私の思考に割り込んだ、聞き慣れたその声に一度逃げかけた足をぐっと堪え、代わりに目を伏せる。
泣きたいくらいだと思うのに、不思議と笑いが込み上げた。
……お前にだけは、会いたくなかったのに。
「お前は不思議な子だね」
私が誰にも見られたくないような顔をしているとき、決まって姿を現すなんて――。
機嫌の悪い時、今みたいに、情けなくてどうしようもない時、自分を抑えられそうにない時。
必ず私に会いに来る寿は――
「わざわざ私の八つ当たりを受けにきてるようにしか思えないのだよ」
寿の腕を掴んで、店の裏手へと無理矢理連れ込む。
「何かあったの?らい――」
腹の辺りを撫でるだけで、言葉を途切らせ漏れてくる吐息。
私はそれをすかさず飲み込んだ。
「……お前は、知らなくていいんだよ」
悲しそうに寿は私を見つめ、そして……きっと私も、鏡のように同じ顔をしている。
何かから逃れるように寿を求めるのに、楽になったことなど一度もない。
衝動のように触れたくなるのに、触れれば胸が痛んで堪らない―――。
それでも私は、こうする以外に気持ちの鎮め方を知らない。
彼女の抵抗などささやかなものだと分かっているのに、私はそれが決まり事であるかのように寿の両手を絡め取った。
「雷光、なんで、苦し…そ…」
私が?
苦しそう?
違う、理不尽に私の言いなりになる寿の方が、余程――。
「……ごめん」
今はこうすることしか出来ない。
謝ることしか出来ない。
だってお前が笑うには、私が笑うしかないのだろう――?
なら、今は黙って私の苛立ちを受け止めて。
声を漏らす寿の唇を塞ぎながら、私を追って外に出た俄雨の声を遠くに聞いた。
fin.