『Hard to say』





 夜が更けてからの本社はとても閑散としていて、ひっそりと夜逃げのように荷物をまとめに訪れたおれを静かに受け入れてくれた。
 不自然過ぎる程の静寂。
 そこにはわざとらしいくらいに誰も居なくて、おれは安心すると同時に不思議と社員の皆に感謝した。
 見送る価値もないと今頃この裏切り者を罵っている彼等の顔が頭に浮かぶように、会いにくいだろうと皆の方がおれに気を使ってくれた内心も想像出来る。
 後者の方が余程彼等らしくてしっくりくるが、いっそ恨んでくれた方が気が楽だと、自嘲気味な……いや、それよりもただやり切れない苦笑が込み上げた。
 殴り飛ばしにでも来てくれたのなら一番すっきりけりをつけられただろうに、おれにそれを願う資格はないし、こちらから出向く勇気があるなら初めから夜を狙ってここに来たりしない。
 未練など感じられる身分ではなくて、寂しいと思うよりももう騙さなくていいという安堵がつのり、赦してほしいと願うよりも自分に社長と同じように傷が残った事で、皆への償いにした。
 彼女が心を読むことに疲れてしまったのと反対に、おれは人を騙すことに疲れてしまった…。

 会社に置かれた私物など僅かなもので、わざわざ小さなものを選んで持参した段ボールでも中が余るくらいだったが、その分どんな些細なものにも短い期間なりの想いでが詰まっている。
 ファイルやメモ、写真、たかがペン一本でさえ、おれには重い。

「あ…」

 開けた引き出しの中に姿を見せた、おれ専用の小さな菓子箱を手に取った。
 仕事中、忍ばせていたお菓子を腹が減っては摘んでいたのが同僚にばれ、たかられたりして。
 持って帰るのかと一瞬躊躇ったが、忍が後を濁すほど不様なことはないと、しぶしぶ段ボールへと移した。

「楽しかったよね」

 最小限の明かりだけ燈したオフィスが突然明るくなり、視界が開ける。
 絶対来ると思ったからと笑いながら部屋に入って来た寿さんはスーツ姿のままで、少しシワのよった感じが退勤からずっとここに居た事を知らせる。
 寿さんは隣のデスクに座って、作業を進めるおれを見上げた。

「私、加藤さんがここに居て楽しかったならそれでいいや」

「僕は…」

 楽しくなかったはずなどない、そう口に出来たら、どんなに楽か。
 それでもおれには、口にすることが出来なくて。

「僕は」

 言葉を遮るようにのばされた彼女の手の中にあるものを受け取った。



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