『純愛主義者の偏愛?』







「いったぁ。雪見、もうちょっと優しく…ね?」

 鳥肌の立つようなわざとらしい猫撫で声を睨み上げると、見下ろすその目と視線が絡む。
 俺より上に自分の目線のあるというこの普段にない状況に気分を良くしたらしい寿は、物珍しそうに俺の髪の毛を引っ張って遊ぶと、そのうち嬉しそうにクシャクシャと頭全体を撫で始めた。
 手元が塞がっていた俺は暫くの間は無視していたものの、一向に止める気配のない様子に苛立ちはつのるつのる。

「だァもういい加減にしやがれ!」

 手を払われ無防備に俺の怒声を受けた寿は、でも首をすくめただけで、腰を下ろした椅子から動くことはしなかった。
 ただ、驚いたと同時に引いた足の踵が消毒液を納めたビンを掠め、俺は倒れかかったそれを咄嗟に押さえた。
 それ以上は動くにも動けない…っつーところだ。
 椅子の前には俺がしゃがんで邪魔をしてるし、それ以前に足に怪我を負った状態で立とうとするほど彼女も馬鹿ではないらしい。
 いや…それでも立ちかねない程の馬鹿が大人しくなるくらい、傷が酷いんだという見方も無きにしもあらずか。
 肌にこびりついた血液はすでに黒ずみ硬くなってたが、ふとももから膝にかけて負った問題の傷の方は未だ赤く滲んでいて、痛々しい見た目に加え僅かな血臭を漂わせる。

「だってぇ」

 などとガキのように言い訳を始めそうな寿の言葉を止めるべく、俺は怪我の無いもう片方の足を思い切りつねってやった。

「痛い痛い痛い!何!?何の仕打ち!?」

「自覚がねェ奴にはこれくらいしてやらねーとっ!」

 言いながらもう少し力を込めてみる。

「わかったゴメン私が悪かったからもう勘弁勘弁っ!」

「足りねェ!」

 実際、状況は深刻だった。
 裏の世界での“深刻”は、つまりは里が劣位に立たされる事を意味するか、直接自分自身が危機に瀕する事を意味するか。
 こんな冗談みたいなやり取りが出来るのも、その後者の状態を回避した今だからこそ、だ。
 任務に一応の区切りを終え、事がややこしくなる前にさっさと撤収命令を下した俺の判断は的確で、案の定と言うか、道行く先に追いの手は姿を現した。
 まだ余裕のある俺たちは鼻歌混じりに相手を蹴散らし、宵風、寿と共に強行突破を成功させたところまではよかった。
 問題はその後で、なんと言うか……相手が意外にしぶとかった。
 ここまでを想定せず、戦闘はどちらかと言えば苦手な寿を含めた今回の班編成。
 他人を気にかけながらの撤収には、俺らには荷が重過ぎる相手の数と力と。
 足手まといは置いていくのが鉄則である筈なのに、こともあろうにその足手まといが寿と来れば、なにやら俺の中での事情も変わって来るらしい。
 遅れをとった寿を見、考える間もなく手を引いた。
 それが良かったのか悪かったのかは分からない。
 無意識だったから良く覚えていない。
 直後、声を上げる事なく苦痛に歪んだ寿の顔を目にした。


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