『ささやかな××』






「せーんせっ」

 裏庭のベンチに座り、ただ虚空を見つめていた俺の視界に入り込んできた寿は、俺の目にきちんと自分が映ったのを確認すると、わざとらしく気をつけの姿勢をとってニッコリと笑った。

「付き合って下さいっ」

 深く座っていたはずのベンチからずり落ちそうになるのを俺は必死に堪えた。

「悪いけど、今冗談に付き合ってる気分じゃ」

 ちょっと赤く染まった頬。
 表に出しきれていない表情の代わりに、早鐘のように鳴り響く心臓の音をその内に隠している気がして、決して彼女が冗談で言っているのではないと知った。
 となると、急に俺の方がしどろもどろ。

「いや、教師と生徒だし」

「知ってる」

「……俺、一応一緒に住んでる人も居るし」

「知ってる」

「……お前のこと嫌いではないけど」

「知ってる」

 瞬きもしない寿の視線に息が詰まりそうだった。

「………そういう好きではないし」

「……知ってる」

「あーもう知ってるなら何で泣くかなっ」

 途中から溢れ出した涙を拭うこともしないで寿は俺の前に立ったままでいた。

「そういう好きじゃなくていいから…」

 鳴咽が混じるとても小さな声だったけれど、俺にはちゃんと聞こえていた。

「だから、六条とか、相澤と同じくらいは好きでいて…?」

……そりゃ

「好きだよ?」

愚問だ。

「好きだよ」

「……知ってる」

 言えば言うほどに流れる彼女の涙、対処の仕方など俺に分かるはずもない。

「だから知ってるんだったらどうして泣くかなっ」

「キスしてくれたら泣き止むかもよ」

 困り果てた俺に提供してくれた彼女の答えは、そんな際どい選択肢。

「……絶対だな」

 木葉隠れで身を隠して。
 落としたキスは、舌を絡めるサービス付き。

「……癖になりそ」

「お前なぁ」

「嘘だよ」

 寿は名残惜しそうにゆっくりと目を閉じて、最後の雫を払って笑った。

「じゃあね」

「ああ、また明日な」

 下校時間を告げるチャイムの音。
 そんなものがやけに胸に響いて聞こえてしまう俺の方が、晴々した顔で去って行った彼女よりもずっと感傷的になっていたのかもしれない。

「宿題忘れんなよ」

 ささやかなキスも、彼女が納得したのならそれでいい。
 唇に残る感覚を指でなぞりながら、そんな風に思った。





fin.




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