足元に落ちた自分の影が物寂しく見えて苦笑をするだなんて、生まれて初めての経験だった。
隠の世の動向に流されるままここまで来て、最後にはぐれ忍となった自分の選択を無様だなと思いながら、開放されたことにどこか安心をしているのかもしれない、不思議な感情。
草をかき分けて作られた停車場は申し訳程度の日よけがあるくらいで、ほとんど雨ざらしのようなものだ。
虫の声も聞こえず、寒さと相対して起こる静けさにただ耳鳴りがする。
首領を失くした風魔の里は、今は混乱のただ中だろう。
それに乗じて里へと戻ることもなく風魔を後にしたおれは、始発まではまだ当分の時間がある人影のない駅のホームでひたすらに時間を持て余す。
夜逃げは二度目、慣れたものだと笑いがこみ上げたのは、以前よりも減った荷物を見た瞬間だった。
戸隠を出たときにはトランク一つ分はあった荷が、今は小さなボストンバッグ一つで事足りている。
これだけは、と持ち出すようなものもない、おれにとって風魔の里で過ごした時間というのは、いったい何だったのだろう。
首領に振り回されながらも結局その意に従っていたおれにとって、風魔忍としての居場所はあの方が居なくなった瞬間、その亡骸と同じく塵のように風に吹かれてなくなった。
右に行くか左に行くかも決めてはいなかった。
風の吹くままに、と格好を付けてみても、鼻で笑うかのようにそよ風ひとつ通り過ぎない静寂に満ちた夜につられて、おれも嘲笑。
手に持った携帯電話の地図は世界のどこまでも案内をしてくれるようだけれど、もとから宛てない人間の手助けはしてくれないらしい。
フォグブルーの元同僚、風魔の忍、傘、萬天に住む彼ら、全てが消去されてしまったアドレス帳に残る電話番号は指を折るほどにも無く、両親が亡くなり、引き払われてしまったはずなのに未だ消せないでいる実家の番号と、
『……はい?』
いぶかるような声がした。
『もしもし?』
「……寿?」
『……候?』
「久しぶり」
『……』
十年ぶりに聞いた懐かしい声が途切れた。
戸惑っているのか、音沙汰のなかったおれからの突然の連絡に冷静に怒っているのかも知れない。
たった一言、名前を呟いただけで分かってくれる、それだけで嬉しさのこみ上げるおれを知りながら寿はきっと、おれを叱る次の言葉を探している。
沈黙が続く。
さして運命的な出会いをしたというわけでもない。
若い頃にありがちな、少しの興味とその場しのぎで少年と少女が身を寄せては離れる、とても幼くままごとのような恋だったと思う。
森羅万象がこの時代に姿を現した十年前の事件後、もともと里から離れた地で育ったおれを小太郎が風魔に呼び寄せた、それが彼女との別れのきっかけとなった。
きっと帰ってくるからなんて口では約束をしながら、終わるのだと、そう予感をしていたような無責任な別れ。
互いに理解してのことだ、そうは思っても、今になって考えることもある。
分かっていた、それでももしかするとおれは、遠くの地に残した彼女を、本当はずっと泣かせていたのだろうか、なんて。
「電話番号。変えてなかったんだね」
『そうみたい』
「今……さ、何してるの」
『寝るとこだった』
「そうじゃなくて」
『……知り合いの民宿でご飯作ったりとか。いろいろ』
「そっか」
沈黙を埋める言葉が見つからない。
言いたい事はある、彼女に電話をした理由なんて、本当はひとつしか無いのに。
おれは電話を切れずに手に握りしめる。
彼女もきっと聞きたいことがあって、受話器を握りしめている。
『あのね』
「うん?」
『帰ってくるの?』
「……」
『候?』
「あの、さ」
帰ろう、かな。
帰っても良い?
でも、おれが自分勝手に帰郷したところで、もし彼女が独り身でなかったら、おれはいったいどうすれば良いのだろう。
もし彼女に恋人がいたら。
旦那がいたら。
子供がいたら。
そして。
いなかったら、いないのがおれのせいだったら。
「寿、は」
『桟の裏』
「え?」
『合い鍵。窓の桟の裏』
「……変えてないんだ。不用心だよ」
『まさか。いろいろ移して、元の場所に戻ってきたとこ』
「そっか」
『寝てたら起こさないでね。寝起き、機嫌悪いから』
「うん、知ってる」
『お腹が減ったら』
「冷蔵庫に、お冷やご飯と卵」
『うん。じゃあね』
「うん」
『切るよ』
「うん」
こみ上げるものを隠すよう、背中を丸めて電話を切った。
顧みるほどにもなかったおれの幾年かの隙間はきっと、明日になれば駅前で買う馬鹿みたいな名前のついた土産物で埋まる。
何を話していいかもわからない、照れ隠しの話題作りに用意した手土産なんてきっと見向きもしないでおれのことを迎えてくれるであろう君に、おれはいったいどんな顔をして向き合えば良い。
下り列車、始発待ち