■5
数日後
授業終了のチャイムが学校中に響き渡る。休み時間となり、廊下には多くの生徒たちが行き交っていた。
「新一君!」
他の生徒と擦れ違いながら、新一は歩みを進めていく。その時、背後から声を掛けられれば、小さく溜め息を吐きつつ振り返った。
「……何だよ、園子」
「何よその顔、失礼じゃない? せっかく傘を返しに来てあげたってのに!」
その言葉に視線を下へと向ければ、そこには見覚えのある折り畳みの黒い傘があった。
数日前のあの日俺が園子に貸した……、いや実際のところは、園子が俺から奪っていった俺の傘が。
「あの日は助かったわ! ありがとう、新一君!」
「……ああ、そりゃ良かったな」
傘を受け取りつつ、苦々しくそう吐き捨てれば、不愉快そうに反論の言葉を投げ掛けられてしまう。
「ちょっと! 何よその態度は! 名前と一緒に帰れるチャンスを作ってあげたってのに!」
そう……、あの雨の日、俺は本当は傘を持って来ていた。しかし園子が傘を忘れたと言い、上手くいけば名前と相合い傘をするチャンスよと適当な事を言い、俺が首を縦に振る前に俺から奪って行ったのだ。
「何よもう……。結局は一緒に帰れたんでしょ? 私に感謝しなさいよね!」
確かに感謝はしているが、コイツのこの恩着せがましい態度は如何なものかと考えてしまう。
「それで? 進展はあったのかしら?」
誰にも言わないから、と言葉ではそう付け加えるが、その表情からは秘密にしようと言う考えは全くと言って良いほど感じられない。
全く……、とんでもない奴に捕まってしまったものだ。閉口しつつこの場をどう切り抜けようかと考えを巡らせていれば、今度は別の声が俺の名を呼んだ。
「新一!」
「名前?」
手を振ってこちらに向かってくる彼女に、俺も手を振り返そうかと考えた。しかし自分の手に傘がある事を思い出せば、慌てて傘を背後に隠した。
傘を見られたからと言って、数日前の事の真相がバレるとは限らないのにも関わらず、見られてはいけないと直感的に感じたためであった。
「二人とも、こんなところで何を話してるの?」
どうやら傘の存在には気づかれなかったようであり、何も知らないと言った表情でそう問い掛けてきた。
「べ、別に? 大した事じゃねーよ」
「…………ふーん?」
あまり納得がいかないようだったが、これ以上話す事が出来なかった。その時、助け舟を出すかのように園子があっと、小さく声を漏らした。
「雨、また降ってきたわね……」
園子の視線を辿ると、そこには窓が。そして窓には今まさに降り始めたばかりであろうか、数滴の雨粒が打ちつけられていた。
「本当だ……。園子、今日は大丈夫? 傘持ってきた?」
「え? あ、ああ〜、うん! 今日は大丈夫よ!」
園子は名前にそう返しつつ、視線だけは俺に向けてきた。その瞬間、俺は即座に察知した。
コイツ、また俺にたかる気だな、と。
「あ……、そう言えば新一君、さっき傘忘れたとか言わないっけ?」
そして更に追い打ちをかけてきた。
「そうなの? 新一」
園子の嘘には全く気づいていない名前は、心配そうな表情で俺を見つめてきた。
「そうそう、だから名前! 今日はアンタ、新一君と一緒に帰ってあげなさいよ! 新一君が風邪引いたら可哀相でしょ?」
「ええっ!?」
園子に肩を叩かれ、名前はみるみる内に顔を赤く染め上げていく。
「そ、そりゃあ……、風邪を引くのは可哀相だとは思うけど……」
顔を俯かせ小声でボソボソとそう呟いたかと思えば、次の瞬間名前の口からとんでもない発言が飛び出した。
「……今度は、痴漢しないって言うなら……」
……だから、誰が痴漢なんだよ。誰が。
そう反論しようとして口を開きかけた時、強い視線を感じた。園子の視線だ。そして一度視線を園子の方へと向ければ、彼女は目だけでこう問い掛けてきた。
“痴漢って何?”
園子の尋問は、ある意味最も厄介だと知っている。だからこそ知られたくなかったって言うのに。
憂鬱さが増していく中で、俺は名前の方へと視線を戻す。そうすれば、不安と緊張を帯びた瞳が俺を見上げていた。
この瞳、そして目の前にあるこの誘惑には、決して敵わないと分かっている。
「……ああ、じゃあ頼む」
名前の顔から不安な様子が消え去り、代わりに安堵と嬉しさを垣間見れば、もう何も言えなかった。
そしてこの日を境に、俺は朝から雨の場合を除き、学校に傘を持って行く事は二度としなくなった。
2012.05.28
bkm