腕につけた時計の針が十二時を指した。
バーンは黒板に向かう生徒たちに昼だと告げると、皆一斉に教室から出て行った。これから食堂で昼飯である。バーンも伸びをしてから、教卓に立つ上白沢慧音に自分も昼食を取りに行くと話す。慧音も歴史の教材を片しながら、自分も行くとバーンの方へ歩み寄ってきた。

「今日のおかずは唐揚げらしいぞ。お前、好きだったろ」
「俺は食べられれば、何でも好き」

開け放たれた教室の扉から出て、慧音がちゃんと引き戸を閉めた。バーンは慧音の後ろに立って、彼女に従って歩く。すると、彼女は急に止まってバーンの名前を呼んだ。バーンは慧音の顔を窺ってから、促されるまま前方を見た。よたよたと歩いてくるのは青と、生徒の一人である。青い方は自分の番いでもあるガゼルであった。生徒は彼の手を取って誘導しながら、晴にいちゃん、とバーンを呼ぶ。

「風にいちゃん、遊びに来たよ」
「おお、ありがとなあ。で、どうしたよガゼル」

生徒の頭を撫でてやって、食堂に向かうのを送り出してからガゼルに向き直る。目をしきりに擦るガゼルは、泣いているようにも見えた。

「バーン……」
「だからどうしたって、……目ぇ赤!」
「かゆい」
「こら擦るな!」

ごしごしと目を擦り続けるガゼルの手を取って、瞳を見る。白い部分が兎の目のように真っ赤だ。こんなに真っ赤になるのは、泣いたからではない。わたわたとするバーンに、慧音は落ち着けと頭を叩いた。

「どうしよう慧音先生!」
「とりあえず落ち着けと言っているだろう。ガゼル、何かしたのか」

腰を屈め、ガゼルの目線に合わせた慧音は生徒にするような声音で問いかける。ガゼルは目をしぱしぱさせながら、魔理沙、と口を出した。

「魔理沙と手合わせをしてたら、使われた魔法の煙が目に」
「全く、今度は何を使ったんだか。目は見えるか?」
「何となく」
「んー、医者に行った方がいいな。バーン、午後からの補助はいいからガゼルを連れて竹林に行きなさい」
「竹林?」

慧音の言葉に疑問を抱く。彼の知る竹林というのは人間の里からちょっと行った所に広がる、「迷いの竹林」である。幻想郷には竹林は、「迷いの竹林」しかない為、竹林と言えば「迷いの竹林」というのが常識だ。竹林はその名の通り、何処までも続く竹薮に方向感覚が狂ってしまい下手をすれば一生出られないと言われるほど恐ろしい場所である。何故そんな場所にガゼルを連れて行かなくてはならないのか。

「バーン、竹林の中に医者が居るのは知っているな?」
「え、初耳だけど」

素直に答えれば、慧音は頭に手を当てて呆れた様子で溜め息を吐いた。

「竹林の中に診療所がある。治療費も安いし、良心的だ。そこまで辿り着くには結構大変なんだが、妹紅に案内をしてもらうといい」
「妹紅に?」
「竹林でふらふらしているだろう。会えるまでちゃんと真っ直ぐ歩けば平気だ。分かったなら、さっさと行った! 番いの一大事だ!」

慧音はバーンの背中を押して、寺子屋から外へ出した。きょとんとするバーンとガゼルに手を振って、慧音はすぐに食堂へ向かっていく。それを見て、バーンは少し慧音が羨ましかった。きゅう、と胃が鳴って温かくなって来る。



バーンは竹林に今まで近づいた事はない。だが、竹林から訪れる人間とは面識があった。慧音の友人で、藤原妹紅という少し変わった人間だ。彼女は時々ふらっと寺子屋にやってきては、子供たちと戯れて慧音と一緒に帰っていく。妹紅は頻繁に人里に下りてくるらしいし、慧音の家で寝泊りもするという。彼女は迷いの竹林で、案内をやっているとも言っていた。一体何の案内をしているというのは分からなかったが、そんな人間も居るのかと考えていた。
目が見え辛いガゼルと一緒に空を飛ぶという事はできなかったので、二人は手を繋ぎながら竹林への道を歩いた。ガゼルは見えないと何度も文句を言っては転びそうになって、竹が見えてきた時には少しほっとした。生い茂った竹がさわさわと風に靡いて、二人を誘う。まだ日の高い時間であるのだが、背の高い竹が空を覆い隠してしまい暗く鬱蒼としている。その中へ入り込むには少し勇気が必要になった。バーンはガゼルの手を強く握り自分を奮い立たせて、竹林の中へと足を踏み入れた。
静かで、魔法の森とは違う匂いがする。風が頬を撫でて、鼻腔に竹の匂いを運んできた。上品な香りだと思う。バーンは進んでも進んでも一寸も変わらぬ光景にやはり恐怖心を覚えた。妹紅に会えば良いと言われても、此処は「迷いの竹林」だ。彼女に会えるかどうかも分からない。
ガゼルがバーン、と呼んだ。振り返って、目をしぱしぱさせる彼の顔を覗き込むと手を小さく引かれた。

「怖いのか」
「……ばれた?」
「汗ばんでる」
「悪い」
「平気だ」

ガゼルは早くしろ、と急かした。彼なりに気を遣ってくれたというのが少し嬉しい。目を擦る音が聞こえて、心配にもなる。何故こんなに目を真っ赤にさせたのか。

「ガゼル、見えないのか」
「ぼやけてる」
「何で魔理沙と弾幕ごっこしたら、そうなるんだ。弾幕っていうのは、被弾したらそこで恨みっこなしで勝負は終わりだぞ」
「格闘も交えた弾幕ごっこ」
「……まあそういう遊び方もあるけど」

ガゼルがやったのは、体術・弾幕・魔法・特殊能力なんでもありの遊び方だ。「使われた魔法の煙」というのは、恐らく魔理沙が森に生える化け茸で作った爆弾の類である。それは魔法とは言えないかもしれないが、彼女が「魔法」と言うなら魔法だ。その魔法に使われた茸が有害だったのかもしれない。もしくはガゼルと相性が悪いだけなのか。
ずしん、と地面が揺れた。地震かと思ったが、それきり揺れる事はなかった。おかしいなと前方を見ると、よろよろと黒い影がこちらに近づいてきた。あれ、デジャヴ? と思っていると、影が差し込んだ陽に照らされる。白く長い髪に、白いシャツと赤いズボン。誰か分かった時には、あちらもバーンの存在に気がついた。手を振られてバーン、と呼ばれる。

「どうしたの、竹林に入ってくるなんて」
「そういう妹紅もどうしたんだ。服ぼろぼろじゃないか」
「ちょっと遊んでてね」

彼女の服は所々破れ、焦げ付いていたりもした。大方弾幕ごっこでもしたのだろうが、どれほどど派手な戦いをしたのかは想像できない。
妹紅は初めて見るバーンの番いに、首を傾げた。ガゼルは妹紅に頭を下げて、目を擦る。

「で、相方の目、赤いな」
「医者に連れて行ってほしいんだけど、良いかな?」
「永遠亭に行きたいのか。ついてきなよ」

はいはい、良ござんす。そんなノリだ。妹紅にしては日常的に聞いているお願いであろうから、簡単に頼まれてくれた。ああ、良い人だ。そう思う。
バーンはガゼルの手を引っ張り、妹紅の後ろについた。慧音にするのと全く同じだ。妹紅は時折、二人がちゃんとついてくるのを確認して迷いもなく竹林の中を歩き回った。「迷い」の竹林など、妹紅の前には意味がない。ただの竹林に成り下がっている。しかし、この竹林を把握するにはどれ程の時間をかけたのだろうか。バーンは少し気になる。

「おい、ちゃんと誘導してくれ。見えない……」
「悪い」

考え事をしたせいで、バーン自身がふらついていたらしい。ガゼルはそれを咎めて唇を尖らせた。

「深刻だな」
「さっきよりも見えなくなった」

妹紅の言葉に、ガゼルは頷いて再び目に手をやった。あまり擦らない方が良いのだろうが、指摘すれば余計気になって酷くさせる。あえてバーンは注意しない。昔それでバーンも傷を酷くさせた時があった。

「バーン、番いの事は紹介してくれないのか?」
「あ、えと……緊急事態だし」
「緊急事態が終わったらちゃんと紹介してくれよ。白くて、青いの。名前は?」
「ガゼルだ」
「私は藤原妹紅。妹紅でいいよ」

名前だけならいいだろう、とガゼルはバーンに言った。それは別に文句も何もないので、バーンは頷く。妹紅はガゼルと少し言葉を交わした。竹林に住んでいる事と、竹林の道案内をしている等々。ガゼルは見えない視界にもたつきながらも、バーンの後について妹紅の話に相槌を打ちながら自分も香霖堂に勤めている等話した。バーンが迷惑をかけている、と出た時には思わず頭を叩いてしまった。

「仲が良いね」
「長い付き合いだしな」
「半分は敵対視しながら過ごしていたがな」
「そうか、敵対視」

妹紅は笑いを零して、空を仰いだ。少し陽が落ちつつあるが、まだ二時位だろう。

「私にもね、好敵手が居るんだ。もうずっと敵対視してばかりだから、あんた達が少し羨ましいかな」
「そうか?」
「そうだよ」

妹紅は歩みを止めた。バーンは首を傾げて、彼女の脇に視線をやる。そこには竹林の奥深くにひっそりと身を隠すように建つ屋敷があった。

「ほらついた。じゃあ、私はこれで帰るよ」
「え」
「ここら辺うろうろしてると、そいつがうるさいからさ」
「そっか。ありがとう、妹紅」

礼を言うと、彼女は照れ臭そうに手を上げた。土を踏みしめながら、妹紅は今来た道を戻っていく。バーンはそれを見送ってから、ガゼルを屋敷の中へと入れた。



「あまり良くない成分が入ったけれど、薬で治るわね。ほら、目を開けて」

銀色の髪を結った女が、ガゼルの目に目薬をさした。雫が入った瞳を瞬かせながら、ガゼルはうーと呻く。目を擦ろうとするも医者――八意永琳は、その手を取って、駄目だと注意をする。

「しみる」
「最初だけよ」

バーンにガゼルの手を押さえてるよう彼女は言って、診察書に何かを書き記した。何を書いているかは分からないが、バーンはガゼルの手首を押さえて目を閉じているように告げると番いはその言葉通りにする。

「仲が良いわね」
「さっきもそう言われた」
「そう。さて、原因は魔理沙らしいけど……本当に魔理沙は困った子ね」

苦笑気味に永琳は言うと、バーンはあれ、と言葉を漏らす。竹林の外へあまり出ない、と彼女は言っていたが何故魔理沙の事を知っているのだろう。

「知ってるんだ」
「ええ、この前泥棒に入られたもの。今まで大切に守ってきたものを盗まれてしまったわ。でもおかげで毎日が楽しくなった」
「どういう理屈だ」
「色々あったのよ。目薬を処方するわね。かゆくなった時に使って。お代は……後で頂くわ」

永琳はにっこりとして、バーンのズボンを見た。あれ、とポケットを叩くとそこには何も入っていなかった。急いで出たせいで財布を忘れたようだ。ガゼルは溜め息を吐き、目を擦ろうとする。

「だから駄目だって」
「かゆい」
「かゆかったら目薬よ」

しかし目薬をさしたおかげで、目の赤みは引いてきた。医者というのは本当に凄い。
すると、また地面が揺れた。驚くバーンとは裏腹に、永琳は全く動じず診察書を書き進める。

「何、これ」
「いつもの事よ。家の姫様と、妹紅がやり合ってるの」
「はあ、なるほど」

妹紅の言っていた好敵手というのは、此処の住民だったのか。バーンは何となく納得した。何故納得したのかはよく分からないけれど。そして、その好敵手の顔が見てみたいと思った。

「止めておいた方がいいわよ」

バーンの心を読み取ったのか、永琳は呟いた。ぱっと彼女の顔を見ると薬の入った袋を差し出して、もう一度ひっそりと口を動かす。

「下手したら死ぬわ」

これは何だか尋常じゃない声音で、バーンの背筋に悪寒が走った。
あれ、おかしいな、今なんか感触があったような……。

「バーン、馬鹿みたいな顔してるぞ」
「お前か!」

自分の背中に辿ったのは、ガゼルの指であった。彼の頭を叩きつつ、目を盗み見れば本来の綺麗な青い色を取り戻していた。ほっとして、永琳に頭を下げると彼女はやはり綺麗に笑った。空に煌々と輝く満月のように。

「末永くお幸せに」




竹に御座すは月と紅








RiU様からのリクエストで「体調不良になったガゼルをバーンが永遠亭に+もこたん」でした。好き勝手書いたら、結構ボリュームがありました。の割には、話に実がないような…。もこたんの出番が本当にちょっとだけで申し訳ないです; バーンは既に妹紅とは面識があるのですが、蓬莱人とはまだ知らない感じです。竹林に立ち寄る事になるとは考えていなかったとも。永遠亭キャラにうどんげ+てゐも出したかったのですが、不完全燃焼…。捧げ物としては、とても酷いものですが宜しければRiU様、お受け取りくださいませ。フジヤマヴォルケイノでも構いません!

2010.03.05 初出



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