「まあ外来人にしてはよくやった方ね。お疲れ様」 石段の上に突っ伏した彼らを見下ろしながら、紫は労いの言葉をかけた。 最初のスペルカード宣言がされた瞬間被弾していた。完敗。力の差は遥かにあったものの、敗北に関して特別執着がある彼らにとってその事実はとても苦しいものだった。 「さて、体も動かした事だし、本題に入りましょう」 その言葉に二人はぱっと顔を起こした。そうであった。今日こんな所に来たのはそれが目的だった。 「場所を移しましょうか」 紫の指が宙を泳ぐ。白魚のように細く白い指(実際彼女はしろ手袋をつけていた)を追い、空間に線が入っていく。真ん中辺りが広がり、大きな楕円ができる。その穴の先に、大きい日本家屋が見える。さあ、彼女は二人を促しながら先に穴の中へ入っていった。ぼろぼろになった体をなんとか動かし、怪しい穴を跨いだ向こうに行くと、今まで居た場所とは違う空気の匂いがする。前方の門には紫ともう一人の女がこちらを待っていた。近づいていくと、知らない女の方が家の中へ入れと示す。彼女の背からふわふわした狐色の尻尾が何本か見える。紫が妖怪なのであれば、彼女も妖怪だ。女が先頭に立ち、二人を客間まで案内すると温かい料理を持ってきた。二人とも叩き起こされてすぐに外出する事になったので何も食べていないのだ。生唾を飲んでいると、客間に紫が入ってきて食べなさい、と告げた。律儀に手を合わせ、いただきますを言うと二人は同時に箸を持ち料理に手を伸ばした。 「さすが成長期ね」 「客が来るから料理を作れと言われたはいいですが、何故こんなに遅くなったのですか」 向かい側でもの凄い勢いで食事を腹に収めている子供を眺めながら、紫は足を伸ばしてくつろぎ始めた。 「少し遊んでいたのよ」 「少しですかこれ」 二人の体や服の損傷状態を見て、狐は顔を引くつかせた。 「紫様、あまり人をからかわない方がいいですよ。失礼ながらも貴方の悪い癖です。貴方たちもこの人の遊びとやらに本気で付き合う事はなかったのに」 「藍てばひどいのね」 紫は唇を尖らせ、ぶーぶー言い始める。藍はみっともない、と言い放った。 「いーのよう。興味があったのだから。『動じない青の番い』と『静まらない赤の番い』」 妙な単語にガゼルはバーンから奪い取った魚を口に入れながら上目で紫を見た。 「何それ」 「貴方たちの通称。二つ名って言えば分かるかしら。『紅蓮の炎』と『凍てつく闇』と同じ要領ね。黒鞠事件以降、一気に広まったのよ」 「番いって……」 「番い。二つのものが組み合わさって一組みになること。また、そのもの。対。動物の雄と雌の一組み。また、夫婦」 藍が淡々と説明をすれば、二人は顔を見合わせ、そして頬を染めた。何故そんな言葉が広まっているのか。ガゼルは羞恥に耐え切れず、卓袱台へ手をかけ始めた。慌ててバーンが彼の腰に抱きついて止める。 「大丈夫よ。マイノリティなんて気にしないで。ここは常識など通用しない幻想郷だもの。外じゃ世間体を気にしなくてはいけなかったでしょうけど、そんなの関係なしにいちゃつけるわよ」 「ふざけるな!」 肩を怒らす彼を宥めてやるが、ガゼルは明らかに紫の言動に機嫌を損ねた。完全に嫌われたであろう困った主人に藍は頭を抱えた。 「やっぱり貴方は現代社会向きね、余裕も面白みもない」 「悪かったな」 「悪くはないわよ、悪くは。あ、でもやっぱり悪かったわ」 「何なんだ」 「だって貴方のような人間が増えたせいで幻想郷を隔離しなくてはいけなかったんだもの」 霊夢から説明は受けたかしら? 紫の問いにバーンは頷く。 「人間の勢力が増して、妖怪が衰退していくのを防ぐ為に外と幻想郷を隔てたって」 「そう。幻想郷には二つの結界が張られている。今貴方が言ったのは500年程前に張った『幻と実体の境界』の事よ。もう一つは博麗の巫女が管理する博麗大結界。これは幻想郷と外の世界との行き来を完全に遮断するものね」 博麗大結界は、紅白巫女の住む神社の鳥居の外に張られているという。一度、バーンとガゼルも外の世界へ帰してもらう為にその鳥居の下を通った(それは不思議な事に失敗に終わったが)。正規の手順で博麗大結界を抜ける他に、外と行き来する事は絶対にできないが、それを無視して外の世界から迷い込む人間も居るらしい。二人もその一例である。 「その結界のおかげで幻想郷は成り立っているものよ。自分でも良い仕事をしたと思っているわ」 紫は藍が運んできた茶を取って、啜った。二人も茶を渡されて、ガゼルだけが口をつけた。バーンは猫舌であるから、熱い内は飲めないのである。 「今の口ぶりだと、その結界に貴方も関係しているのか」 「ええ。『妖怪拡張計画』を立案して、『幻と実体の境界』を張ったのは私。この境界の効果はね、外の世界で忘却されつつあるものを幻想郷に取り込む事ができるの」 例えば、と紫は手元に穴を作り、そこから灰色の箱を取り出した。それは一昔前に流行った携帯ゲーム機であった。そのゲーム機でバーンとガゼルも幼い時に遊んだのだが、今となってはどこにしまったのか検討もつかない。 「外の世界で忘れ去られてしまったもの、人々が幻想としたものは全てここに流されてくるの。そのせいか、外と比べるとここはあまりにも科学的に発達していないのよ。テレビとかパソコンとか。それを見よう見真似で作ろうとする妖怪も居るけど」 「あまり、どころの話じゃないけどな」 「でも素敵でしょう。空を飛ぶ事ができる、魔法を使う者が居る、妖怪なんて外には存在しない。空想のようなものばかりだけど、これが幻想郷での現実で常識よ」 紫は心底楽しそうに語った。 確かに二人もここでの生活は満更ではないと感じていた。 「ちなみに貴方たちも外から流されてきた存在でもあるのよ」 さらりと簡単にとんでもない事を彼女は言った。聞き流しそうになった二人は、一呼吸置き目を見開いた。茶菓子を出す藍さえも驚く始末だ。 「ですが紫様、外の物を管理している時に気付かなかったのですか?」 「まあ流れてきたっていうのは語弊かもね。つまり、えーとそうねえ、私はこの番いが外でどんな事をしてきたのか調べた。外の貴方たちの感情も覗き見てきた。でね、貴方たちが忘れ去られたりした事実は一切ないのよ。むしろ逆。貴方たちは外の世界で生きる貴方たちが捨てきれない過去であるのよ」 そこで紫は一度言葉を切って、飲み干した湯呑みの中に茶を注ぎ足した。理解が出来ていない二人に彼女は目を細める。 「ある期間にあった記憶がある。それは貴方たちが忘れがたいかけがえのない記憶よ。何だっけ……『じぇねしす計画』が行われていた時の記憶。この時の事は絶対忘れたくないと考えているけど、脳に残される記憶なんて次々に整理されては削除されていき、ちょっとした損傷で失われてしまうわね。とても簡単に忘れてしまう。その記憶を唯一残す方法――思い出を生かす事。つまり、貴方たちは人間ではなくて記憶の塊。オリジナルのバックアップの為にあるみたいなものね」 「コピーって事?」 「コピーというよりは、そうね……オリジナルと何ら変わりない単体のデータ。だからオリジナルと同じ身体能力を持っている。言うなら生霊とか、もう一人の自分とか考えていいかもしれない」 余計に分かりにくくなった事柄にバーンは頭を抱えた。彼ほど理解ができないほどじゃないガゼルは出された饅頭を食べ始める。 「結局はコピーなわけだろう? こちら側でわたしたちが生き続ける限り、外に居るオリジナルの中でジェネシス計画時の記憶は失われない」 リンクしているのだ。 そうガゼルはしめる。紫もそれに頷き、饅頭を手に取った。 「という事で外の世界に帰れる事はない。貴方は生霊で記憶なんだから。帰ろうとしてもオリジナルはそれを望んでいない。オリジナルの思いも強いからね。ここで勝手に死ぬ事もないでしょう。オリジナルの死後もその思いが変わらなければ永久に死ぬ事も叶わないかもね」 紫の口へ饅頭が消えた。もぐもぐと咀嚼する彼女の口は微笑みを称えていた。 二人は少し黙りこんだ。希望が潰えた。いや、希望など幻想郷で目覚めた時からもはや無かったのだ。口に入れられた饅頭の甘さは感じられず、胃の中へ飲み込まれていく。 4.乖離「された」動と静。 いうなればipodを同期させる時に必要なデータというように。外のバンガゼと幻想郷のバンガゼは同期されているって事さ! 自分でもとても超次元だと思います。 あともう一つで終わりですので、お付き合いください…。東方分からない人でも読めるといいなあと思いつつ次だ次。 2010.01.30 初出 ←back |