「雪が降っているな」 しゅんしゅんとストーブの上のやかんが鳴く部屋の中、一人ごちた。 結露する窓の外のちらつく大きな花弁のような白い結晶を眺める。 暖房をしっかり入れて、冬の間は手放せない愛用のオレンジ色の毛布をまとってゆっくりとした時間を過ごす。 あとはやかんのお湯が沸くのを待って、お茶を淹れる。 なんて至福の一時。しかもつい最近もらった煎餅もある。 完璧! 鼻歌さえしてしまう。 と、やかんの口から湯気が立ち上り始めたのに気付いた。 あとは急須にお湯を注ぐだけ。 熱くなったやかんの取っ手を手に持ったその時だった。 「バーン!」 「え、なんでお前くるの」 勢いよく扉が開けられたと思ったら、俺の名前かそれとも扉を開けた際の効果音か分からない声が部屋の中に響いた。勿論前者である事は分かってる。 次に俺にとって殺人的な真冬の冷風が襲い掛かる。 その風を二の腕にもろに受けながら、ガゼルは高らかに勝負だ! と叫んだ。 「いやいや待て待て。俺寒いから外出たくない」 「ならこれで問題ないな」 ぱちん、と腕を組んだガゼルの指が鳴ると同時に一瞬にして家の中の温度が下がる。 俺が声をあげる前に、ストーブの火は消え失せるし、やかんはさっきまでの熱さはどうしたのか滅茶苦茶に冷たいし、その中のお湯は氷となってしまっていた。 瞬間冷凍。 俺の楽園は一気に攻め落とされてしまった。 呆然とする俺にガゼルが満足げに笑う。 「今のこの部屋はマイナス10度といった所だ。少し涼しいくらいだが、君にとっては外に出ざるをえないな」 「何してくれんだよガゼル!」 「家にこもっていないで運動をすべきだよバーン。最初は外に出ていたじゃないか」 「俺は冬眠しないと生きていけないんだよ」 「人間は冬眠できないぞ。冬眠したらそのまま凍死する動物も居る事を先に言っておく」 ガゼルはどうだ、と言わんばかりに手を空にかざした。 この手は一体どういう意味があるのか分からないが、なぜか皆こうする。俺もそう。 じゃあ、と俺はガゼルの真似をして手を上げた。 「今の季節何だと思ってる?」 「冬だろう」 「じゃあ今何月?」 壁にかかるカレンダーを示してやれば、ガゼルは不思議そうに首を傾げて予想通りの答えを出した。 「5月だが」 「おかしいだろう! どう考えても!」 答えはあっているんだけども! そう俺が諭しても相手はそうか? と疑問げに言葉を投げかける始末。 びゅうびゅう部屋に入ってきた大粒の雪は床に薄く降り積もって、足を冷やしていく。 いくら炎を操れるといっても、俺は基本寒がりなんだ。 寒い季節は、暖かい家の中で冬ごもりするのが、俺のライフスタイル。 それを奪おうというのかこの野郎。 「とりあえず体を動かせば温かくなるはずだ。バーン、早く」 「早くじゃないってのもう」 毛布以外の防寒具は凍りついてしまってめげそうである。元々セーターは着といて良かった。 冷凍庫と化した家から出ると、それよりは幾分か暖かい外の気温。 でも寒いのは変わらない。ガゼルの寒そうな事この上ない二の腕と脇を見ると尚更。 体を丸めてその場に蹲ると、ガゼルが呆れた顔で俺の体を爪先でつついた。 「どうした紅蓮の炎」 「寒いもんは寒い」 「無駄に体温は高いくせに」 「うるさい。その体温に溶かされるのが好きなくせに」 おっと失言。そう思っても今更遅い。ガゼルは脛を思いっきり蹴りつけた。 痛さと寒さに悶絶していると、靴の中に溶けた雪が染みていく。 あーあ、もう最悪。 「なんでこんな時期に来るかねえ」 小さく呟くと、ガゼルは腕を組んでそっぽを向いた。 「……すまなかったな」 「あん?」 「すまなかったと言っているんだ。その、ここは冬が長いし、結晶の大きさも例年の4倍と聞いたし。つい嬉しくて」 頬が羞恥でか、はたまた寒さでか赤くなっていた。 こいつがはしゃいでいるのは最初から分かっていたけど―― 「嬉しくてあれかよ」 ガゼルお手製冷凍庫、元俺の家を指してやると、罰が悪そうに奴は顔をむくれさせて髪を弄りだす。 まったく治らないこの癖はガゼルのアイデンティティかもしれない。寒い中むき出す二の腕も、変わらない。 なんだ俺たちは何も変わらないんだ。 変化をしていないという事実が俺にとっては嬉しかった。 「とにかく勝負だ!」 機嫌が直ったガゼルが改めて、勝負を求める。 まあさっきのとこれは話が別だ。 「この雪じゃ、サッカーもできねえぞ」 試合するには20人足りませんよー、と言ってやればガゼルは首を振った。 「あれをやってみよう」 ガゼルは器用に空へ舞い上がると、手から綺麗な形状の氷柱を作り上げた。 うまい具合に形成された氷柱を操り、その切っ先に俺に向ける。 「ほんとにやるのか?」 「ああ。特訓してきたんだ」 「お前が特訓ね」 だからあんなに自信ありげだったのか。 俺は爪先で地面を蹴り、高く飛び上がった。 飛び跳ねるのは得意だが、まだ空中に浮かんで体勢を保つのは苦手だ。 ガゼルみたいに弾を作る原理というのもよく分からない。 得意げな顔をして氷柱を何重にも自分を中心にして作り出すガゼルの顔は何とも生き生きしている。 準備はいいか、と聞くガゼルに首を横に振りたくなったがそうはできない。 いつ、どこで、どんな状況下であってでも俺はガゼルの唯一対等なライバルでなくてはならないからだ。 雪原と化した大地に吹き飛ばされた俺はもう動く事ができなかった。 舞い降りてきたガゼルは俺の横に膝をついて様子をうかがってくる。 動けなくなった俺の服へ水分がどんどん侵食していく。もう靴どころの話じゃない。 「お前は弱者をいじめて楽しいか、鬼」 「別にいじめてるわけではない。それにバーンが弱いなど」 「そうだな」 俺が弱いわけないじゃん。これは公平な戦いではなかったからな、仕方ないよな。 負け惜しみを言ってみるが、ガゼルは雪の上へ腰を下ろして俺の目を見るだけだった。 「その、わたしはお前と一緒に居たかっただけで」 「は?」 何を言っているのか、ガゼルもあまりの寒さに体が冷えたんじゃなかろうか。 混乱する俺にガゼルは自分の言葉に赤くなった。 釣られて俺も赤くなる。熱くなった頬が凍える空気に心地良い。 しばらく見つめ合っていると、他の所に熱がいくようで段々ガゼルとの顔の距離が縮まっていく。 覆い被さってきたガゼルの瞳は熱に溶けた雪のように儚げだった。 「おあついですわねお二人さん」 第三者の声が聞こえた途端にガゼルはぱっと顔を離した。 俺も驚いて声のした方を向けば、そこには顔見知りのメイドが立っていた。 「別におあつくない!」 「むしろ寒いくらいだ」 「あらそうですか」 ガゼルが噛み付いて俺が正直な感想を述べれば、メイドは面白くなさそうに言葉を返した。 いつからそこに居たと聞けば、ガゼルが覆い被さった1秒後だと言われた。 よく分からないが、俺たちを観察して楽しんでいたという事は理解できる。 「で、なんでメイドがここに居るんだ」 この人里から外れた所に用も何もないだろう、とガゼルが冷たく言い放つ。 メイドは何でかしらね、と肩を竦めた。 「冬が長いのがいけないのよ」 「なあここの冬はいつまで続くんだ」 俺が質問すると、メイドは首のマフラーを巻き直しながら答えた。 「ここの季節は外と何ら変わりありません。春夏秋冬、正常な四季を繰り返しますが、この異常気象は困りものだわ」 頬に手を当て、困ったというジェスチャーを取る。 「わたしはそれでも構わない」 「お嬢様が困るの」 メイドは間髪入れずに言った。 このお使いも結局はお嬢様の為なのだわ、と彼女は白い息を吐いた。 「で、どこに行くんだ」 「ちょっとね。行く当てもなくぶらり旅よ」 「ふうん」 自分でも間抜けな声が出たと思う。 メイドはで、と俺を見下ろした。 「いつまでも寝転がってちゃ、風邪引くわよ」 「ガゼルのせいなんだよ」 「そうなの、じゃあ貴方は尻に敷かれる夫役ってわけね」 かあ、と頬の熱の引きかけたガゼルがまた赤くなり、俺を殴った。 何故俺を殴る。 「仲良き事は美しきかな。またね、熱々カップルさん」 「違う!」 メイドはふわりと宙に浮かんで、俺たちに手を振った。 スローペースで離れていく紺色のスカートをガゼルは鋭い目付きで見送る。 嫌われたかな、あのメイドさん。苦笑をすれば、ガゼルがびくりと肩を震わせた。 またメイドがこちらへ戻ってきたのだ。 「何だよ」 怯えた様子でガゼルが、メイドを弱々しく睨んだ。 「熱々カップルさんに良い事を教えようかと思って。冬は今日でおしまいよ」 「へ?」 その言葉にガゼルは目を丸くした。愕然して、白くなっていくガゼルに気付いているがメイドはそれに追い討ちをかける。 「良かったわね。春が来るのよ、恋の季節だわ。精々立てなくならない様に気をつけない」 「なあ、あんた、何しに行くんだよ」 何って、 「春をお迎えに行くのよ」 なけなしの春どころの話じゃない 春がこない異変にガゼルさんは喜んでいるようだ! 最初は東方パロのつもりが幻想入りシリーズになった事は自分でも驚愕。 もう咲夜さんを絡ませた時点であやややなので、隔離しました。 時系列は月夜に二人で〜より2、3ヶ月前? 次は幻想入り理由を書くつもりです、はい。 2010.01.11 初出 ←back |