気付けばガゼルは居なくなっていた。 気付けば、というのは少しおかしいか。俺、寝てたんだ。 それでもあれ、おかしい。 ガゼルが消えてる。 ここ、あいつの部屋なのに。 窓から差す朝日はまだまどろむ目には眩しすぎる。 ぐちゃぐちゃなままのシーツに顔を埋めると、まだ乾き切らない重く青臭いがした。 昨夜の事は夢じゃない。 分かっている、夢ではなかった。 食い続けられていた場所はまだあの感じが抜けきらない。 そろそろ起きないと。 近くに時計はなくて、今何時か分からないから余計に起きなきゃいけないと思う。 でもまだ眠い。誰かのおかげで。 昨日のあいつは確かに色々とレアであった。 やっぱりあいつガゼルじゃなかったんじゃ……考えられる。 あんな可愛くふにゃふにゃしているのがガゼルなわけない。 はあ……もう疲れた。一日が始まったばかりだけど。 そんで眠い。 「バーン」 「寝させてくれよ」 「馬鹿バーン、起きた時精液臭くなっていてもいいのか」 「そりゃ困る」 がば、と身体を起こす。 今日も一応練習があるんだ。臭いがなかなか取れなくなったら困る。 「悪い、起きる」 「シャワーを浴びてこい。ひどい格好だ」 「おう」 ガゼルは俺をベッドから追い出し、しっとり湿ったままのシーツをベッドから剥ぎ取った。 独特の青臭さが一瞬部屋に立ち込めて、消える。 酷い有様なシーツは、丸めて部屋に据え置いてある洗濯機にぶちこまれた。 ガゼルの様子は昨日までとは大違いだ。 どうしようと困惑しきって、泣きながら俺の手を握っていた奴のこのえらい違いはなんだ。 洗剤を無造作に入れて、スイッチを押す姿を黙って見ていると、ついと俺の方に振り返る。 「入らないのか」 「いや入るけど、その……昨日は悪かった」 「私が言い出した事なんだ。謝るな馬鹿、気持ち悪い」 「きもちわるいはないだろ」 「入るなら入れ。あまり居座られても困る」 むかっ。 顔を洗濯機に戻して、背中を向けたままのガゼルに殴りかかりたくなった。 けど、昨日の奴の顔を思い出した。 今殴ったら、泣いてしまうかもしれない。 また泣いたら困るな。 俺は何も言わずに風呂場に滑り込んだ。 そして俺もおかしいのだ。 俺は、ガゼルの、わがままに、付き合っただけなんだ。 それだけ。 可愛いとか思っているなんてありえない。 設定温度を高くしたシャワーを浴びながら、ぼーっとすると昨日のガゼルの顔とか声とか身体の感触とか思い出してる。 馬鹿、そんな事したらダメだって。 朝だから、まあ生理現象でそうなっているわけで。 それに昨日の記憶という事もあり、俺はピンチだったりする。 すっかりと元気になってしまったそこを無視するわけにもいかない。 どうしようか。 あー、ここで出したらあいつ怒るよな。 排水溝に流れて証拠隠滅も完璧なわけだけど、何だか悪い気がして。 (そうだ、頭を冷やして精神統一ってーのをすればいいんだ!) シャワーの設定温度を元に戻す。 42度と38度の差は結構あって、温まった身体に温い湯はいい感じに身体を冷やしてくれる。 よし、まずは頭の中を空っぽにする。 落ち着いて素数を数えるんだ。 素数は1と自分の数でしか割り切れない孤独な数字。俺に勇気を与えてくれる……って誰かが言っていた気がする。 「遅かったな」 シーツはもう洗濯し終わったらしい。乾燥機が音を立てて回っている。 しかし、俺どれだけ入ってたんだ。 「わるい」 「済んだなら早く帰れ」 「なんだよ」 またむかっとくる。 やっぱり昨日のガゼルはガゼルじゃない。 今ここに居るガゼルが、正真正銘のガゼルだ。 この嫌な感じ。本物である。 「まだとか一緒にとか言ってたくせに」 小さくごちると、部屋の温度が下がった気がした。 「ノーザンインパクト喰らいたいか?」 少しむかついたらしい、ガゼルは立ち上がって必殺技の構えをした。 まあまあと手を身体の前で振りながら制止させてやる。 聞きたい事がある、と気になっていた事を聞いた。 俺と大体同じくらいの高さのガゼルに近づいて、鼻の先目掛け指を突き立てる。 きょとんと不思議そうにする奴を可愛いとか思っていないともさ。 「お前、俺の事が好きなの?」 苦い顔をしてガゼルは目を逸らした。 小さく笑ったと思ったら、指を掴まれ思いっきり捻り潰された。 痛さに叫んだけれど、握る力はぎりぎりと強くなっていく。 なんか軋んだ音が聞こえてくるんだけど、気のせいか? 「離せって! 離せよ!」 「……馬鹿バーン」 「馬鹿って言う前に手ぇ離せ!」 力がやっと緩んで瞬時に指を脱出させる。 うわ、少し腫れてやがる。 「馬鹿はお前だ。指へし折ろうとしやがって」 指をぷらぷらさせて悪態付くと、唇を噛んで何も言おうとしないガゼル。 強がっている子供みたいな表情だ。 それでも俺は構わず話しかける。 「で、どうなんだよ」 「……そんな事聞いてどうするんだ」 「純粋な疑問だ。昨日ずっとこうしたかった、とか言ってたから」 「わたしは……」 「ん?」 ガゼルは俯いて、髪を弄るという悪い癖を始めた。 ふわふわと猫のような髪を指で梳いているのに、逆にぼさぼさになっていく。 注意するのに止める気配を見せないから、もう好き勝手させておいている。 しばらくして髪を弄るのを止めて、目を合わせてきた。 「わたしは」 少し躊躇いながら、目が潤んで、目元もうっすら赤くなって、それを不覚にも俺は可愛いと思いながら――好きだと言われた。 物質と反物質の宇宙2 実は続いていた物質と反物質。 この続きも書いていたのだけれども、これは泥沼になる!という事でデータも消してしまい、一応これで完結。 やましいバンガゼの結ばれ方。やましいものはこれを基本とするかもしれない。 考えてみるととてもガゼルがビッチです。すみません。 落ち着いて素数を数えておきます。 タイトル「東方緋想天」より 2010.01.01 初出 ←back |