※俺×南沢。 31日目の話。 「全く君は……」 僕は頭を抑えながら、幸せな苦悩を抱いた。 目の前には、一糸纏わぬ南沢くん。その身体はてらてらと精液で汚れている。 そして僕も同じような姿だった。南沢くんと違って、シャツくらいは着ているけれど、下半身は丸出しである。 「こういう事をしたいが為に、俺を拉致ったんだろ? なら良いじゃん」 いや、拉致ったのはあいつで、買ったのが僕なのだけれど。 まあ南沢くんが拉致られたというのは、変えようのない事実だ。 僕は壁にかけられた時計を見やる。 もう昼過ぎだ。カーテンからも、昼にならないと差し込まない光が漏れている。 「さすがの僕も疲れたよ」 「年かな、おじさん?」 「酷いな。僕はまだ20代前半だよ」 「俺にとったら、おじさんだよ」 にやにやと笑う南沢くんの身体を、シーツの汚れがない部分で拭う。 乾いて拭い取れない所もあるな。ぱりぱりだ。 「風呂入らなきゃな。湯船は入る?」 「上せるような事する?」 「君、随分な色魔だね」 「誰のせいだよ」 僕だね。 (幸せすぎて)困ったように笑ってから、僕はシーツをかき集める。 下に落ちた服も拾っていると、後ろから「尻見えてる」と言われた。 咄嗟に服の裾を伸ばすと、やっぱり笑われる。 「何だかんだ、あんたも男受けしそうな顔してるよな」 「……やめてくれよ」 ほら、とぐちゃぐちゃになった南沢くんのシャツを渡す。 上に羽織るように言ってから、僕らは浴室に向かった。 「今日何処出掛けるんだ」 「ぶらぶらと行く当てもなく」 向かい側で南沢くんは、さっきカフェで買ったホットドックを頬張った。 僕のブランチは、エッグマフィンだ。熱いカフェオレを口に含み、パンと一緒に飲み込む。 南沢くんもコーヒーを飲み、ほっと溜め息を零す。 「コーヒー飲めるんだね」 「大人なのに、飲めないんだ?」 「生意気」 エッグマフィンの包み紙を丸め、紙袋に突っ込む。 腹八分目にはまだ少し足りない。 平日の公園は、親子連れと散歩する年配の人たちだけでまあまあ静かだ。 南沢くんも食べ終わったホットドックのカスを払い、包み紙を丸めた。 「この近くに美術館と水族館があるんだけど、どっちが良い?」 「美術館は今、何展やってんの」 「さあ」 離れたベンチに座ったお爺さんが鳩に餌を与えている。 餌に群がる灰色の鳩たちの中に、白いのが一匹。 「下調べしてくるのが、デートの常識じゃない?」 「ごめんね」 僕はすぐさま、ポケットから携帯を取り出す。 ネットを開き、近くの美術館を検索する。 今やってるのは、現代アートかな。そして、かちかちとボタンを下に押していくと、思わず声が出た。 「今日、閉館日だ」 「じゃあ水族館だな」 初デートが水族館だなんて、少しロマンチックじゃないか。 僕は紙袋をゴミ箱に捨て、ふと、さっきのお爺さんに目を向けてみた。 煤けた指輪が一瞬、きらりと煌めいた。 「真っ青だね」 水槽に囲まれた空間は、海の底かと思うくらい青い。 水を通して床に落とされる光は、ゆらゆらと歪みながら僕らを照らす。 「俺、何年ぶりかな。水族館来たの」 「僕も、中学生の時に行ったきりだ」 巨大な水槽の中を、沢山の魚が悠々と泳いでいく。 群れとなって頭上を通り過ぎていく魚は、紹介プレートによるとイワシらしかった。 イワシの後を、ゆっくりとジンベエザメが追っていく。 「僕、ジンベエザメ好きなんだ」 「鮫なのに、間抜けな顔してるよな」 「そこが可愛いんだよ」 大きな口を開けてプランクトンを吸い込む姿は、有名なゲームキャラに似ている。 ジンベエザメばかりを追う僕に呆れたのか、南沢くんは後方に設置されたソファに座った。 平日だから、公園と同じようにあまり人は居ない。 だから、僕は間抜け面をしながら、じっと水槽を眺める事ができた。 「南沢くんは、何が好き?」 ぼんやりとしていた彼は、突然の僕の問いに驚いたようだ。 首を傾げてから、恥ずかしそうに呟く。 「クラゲ」 「クラゲ?」 「あの、何も考えずにふわふわしてるのが、好き」 「意外だね」 その言葉を聞いた途端、ムスッとされてしまった。 南沢くんの隣に座り、ごめんと頭を撫でる。 ムスッとしたのは解かれたが、何だか微妙な面持ちをしている。 「……南沢くん?」 「何?」 「ん、いや」 髪を撫でつけ、そして頬をくすぐる。 手を払いのけられたけれど、本気で嫌がってはないらしい。 しつこく撫でると、諦めて好きなようにさせてくれた。 「クラゲ、見に行こうか」 「うん」 彼の手を引いて握れば、ぎゅっと握り返される。 年相応の顔を見せる彼に、僕は愛おしさが込み上げてきた。 日が落ちた道を、並んで歩いていく。 会社帰りのリーマンだったり、買い物帰りの主婦だったりが多くなってきたから、手を繋ぐ事は叶わなかった。 僕はその寂しさを、シャツの裾を握る事でやり過ごした。 南沢くんは、ただ真っ直ぐ前を見ながら、歩いている。 黒い影を見下ろしながら、僕は段々と胸が苦しくなってくる。 今日で彼ともお別れだ。きっと、お別れになってしまうだろう。 夕日の橙を受け、桑の実色が柔らかな光を放つ。 「ん?」 見つめていた頭が、歩みを止める。 先程前を向いていた彼の顔は、横を向いて小さな露天商を眺めていた。 「綺麗だね」 つい歩み寄って、出されているアクセサリーを手に取ってみる。 きらきらと光る青い石のピアスだ。水族館で見た、海底の色にそっくりだった。 「何か気に入ったのがあったのかい?」 南沢くんに問いかければ、曖昧な笑みを返された。 それはすぐに視線は外され、彼はじっとある物を見つめている。 光を受けて反射する、指輪だった。 繊細なラインで、小さな赤い石が埋め込まれている。 うっとりと、だが何処か切望と悲しみを感じさせる瞳で、南沢くんはそれを見つめていた。 どうしようか……。 1.「ねえ、南沢くん」 2.「それ、綺麗だね」 12/06/05 初出 ←back |