小説 | ナノ

◇ ドルチェと微熱

※お付き合いしているブチャフーです。



「てめえら毎日毎日いい加減にしやがれ!」
 ブチャラティが事務所のドアを開けたら、びしょ濡れのフーゴとナランチャが説教されている所に出くわした。いつものことではあるが二人が派手な喧嘩をしていたので、アバッキオがバケツの水をぶっかけて沈静化を図ったのだという。
 どうも最初からそんな大げさな手段にでるつもりはなかったらしいが、いつもなら折れる所をフーゴが珍しく暴走を続け、ミスタは後ろで笑っているばかり。加えてピストルズは喧嘩を煽るような真似をするのでアバッキオの堪忍袋の緒は切れた。そして視界の端に鎮座していたバケツが目に留まったというわけだ。
 日常となっている喧嘩が常と違う展開を見せた理由はすぐに察しがついた。伊達に付き合いは長くないので、今日のフーゴの瞳に見覚えがあったのだ。潤んでいて微かに熱っぽい、つまるところは風邪の症状だ。 そういえば昨日は妙に口数が少なかった気がする。おそらくは具合が悪かったせいで喧嘩の終わりどころも見逃してしまったのだろう。
 全くこういう時ばかりポーカーフェイスというのも考えものだ、と思わず顔をしかめた。体調不良が顔色に出にくいことが拍車をかけているのがやっかいだ。とにかくずぶ濡れのまま説教を続けさせておく訳にはいかないので、アバッキオに声をかけた。
「その辺りにしておいてやれ。面倒をかけたな」
「いや、アンタが気にすることじゃあねえ」
 ひと通り注意は終えていたのだろう、あっさりとアバッキオは怒りを収めた。なかなか面倒見の良い男だから、怒りと言うよりは教育的指導だったのかもしれない。
 未だ傍観者だったミスタに床掃除の手伝いを頼んで、不平を背中で聞き流しながらフーゴとナランチャの前に立つ。ナランチャは叱られた子犬のような瞳で不安げにこちらを見上げていたが、一方フーゴは、こちらが察したことにもう気づいている様で、気まずげに視線を逸らした。珍しく子供っぽい仕草に苦笑が漏れる。だが更々逃がしてやる気など無いので、少し強い声音で名前を呼んだ。
「フーゴ、こちらを向け」
 びくりと肩を震わせておずおずと視線を合わせてくる。わずかだが熱を帯びた紫水晶を再確認した。額に張り付いていた濡れた前髪を払ってやったら、掠めた肌はやはり熱い。
「お前が先にシャワーだ。ナランチャは悪いがとりあえず着替えて来い。二人共あまりアバッキオを困らせてやるな」
「ごめん、ブチャラティ。おれ、カッとなっちゃって……」
「喧嘩は構わない。限度の話だ、ナランチャ。早く着替えないと風邪をひくぞ」
 すっかり萎縮してしまっているナランチャの頭を少し乱暴に撫でてやる。素直に反省が出来るところは美徳だと、そう思ってほほえんだのがナランチャを安心させたらしい。すぐ掃除するから!そう言い残して嵐のように走り去っていった。
「すみません、では先にシャワーを使わせてもらいます」
 フーゴはそう言ってそそくさと背を向けた。
「ちゃんと温まってこいよ」と何の気なしに声をかけたら、マンマかよ! とミスタからヤジがとび、また一本フォークが空を切って壁に突き刺さった。
 もしかしてアイツには投げナイフの才能が有るんじゃないだろうか。

***

「おいで、フーゴ」
「ブチャラティ、子供扱いしないで下さい!」
 バスルームから出てきたフーゴの顔を覗き込む。頬の赤みはシャワーを浴びたばかりだからというわけでも無さそうだ。右手で自分の前髪を、左手でフーゴの前髪をかき上げて額を合わせたら、じんわりとした熱さを感じた。どうみても先程より熱が上がっている。
 だいたい人前でこの確認方法をとっても無抵抗という時点で異常事態だ。もう少し元気があれば照れ隠しできゃんきゃんやかましいはずである。他のメンバーにうつっても面倒なのでとっとと家に帰すことにした。
 そうして書類に手を付けていたのだが、どうも落ち着かない。あの子はちゃんと家にたどり着けただろうか。いやいや、もう小さな子供ではないのはわかっているのだが。
 出会ったときから規格外の少年で、仕事上はそつがない頼りがいのある参謀であることは誰より身にしみてわかっている。しかしながらどうも生活面では時々抜けていて、未だ小さな弟に対するような、過保護に世話を焼いてやりたいという気持ちを捨て切れないのだ。
 そわそわしているのを見かねたのか、アバッキオがため息を付いて声をかけてきた。
「気になるなら行ってこいよ」
「いや、そういう訳じゃあないが……」
「さっきから全然進んでないぜ。今日の仕事は急ぎでもない軽いモンだしよ、俺が片づけておく。それにアンタも普段から働き過ぎなんだ。ちょっとくらい休憩したってバチは当たらねぇよ」
「そうか……ならばお言葉に甘えよう。お前に任せた。無理はするなよ」
「おう」
 持つべきものは優秀な部下だな。アバッキオに感謝をして、まだ日が高い路地を歩いていく。
 看病に必要そうなものを買うためにマーケットに立ち寄った。
買い込んだ荷物を片手に下げ、通りがかりにフーゴのご贔屓の喫茶店を覗いたら、ショーケースの中のあるドルチェが目に留まった。

「これは……!」

 ***

「邪魔するぞ」
 小声で声をかけて合鍵で部屋にあがりこんだ。荷物の諸々を冷蔵庫にしまって慎重に寝台に近づいたら、眠ってはいなかったのかフーゴが寝返りを打ってこちらを向いた。
 随分熱が上がってしまったようだ。もう触れずともそれとわかるほどに顔が赤く、潤んだ瞳が凶悪に庇護欲を掻き立てる。ベッドに腰掛けたら、緩慢にこちらを見やる瞳と視線がぶつかったのでそれとなく微笑み、ぬるくなった濡れタオルを額から回収した。
「調子はどうだ」
「……あまり、いいとは言いがたい、ですね」
喉にも影響が出ているのだろう、いかにも病人らしい、いつもよりも低い声が答えた。
「あの、看病してくれるのは本当に嬉しいんだけど」
「帰れと言うのは聞かないぞ」
 うつるから近づくなとでも言いたいことはよくわかっているし、そんな頼みを聞く気も毛頭ないので、苦しげに吐き出された言葉をあえて遮る。
「何か冷たいものを食べたくはないか?良い物を見つけたんでな、あの角の店で」
「いつものお店で……?」
「そうだ。甘いモノ、好きだろう?食欲がなくてもコレならいけるかと思ったんでな」
 手の甲でフーゴの頬を撫でる。冷たいのが心地よいのか、猫のように擦り寄ってくる仕草が愛おしい。
「いったい何を買ってきたんです?」

「……パンナコッタ」

「はい……?」
「パンナコッタだ」
 フーゴは一瞬きょとんとした幼い顔を晒し、ゆっくりと瞬きを繰り返した。一拍おいて、もはや染めようもなく熱で赤い顔を更に羞恥で覆い、ベッドに潜り込んでしまった。長い前髪が上掛けからはみ出しているのが子供のかくれんぼのようだ。
「どうした、食べたくはないか?なあ、パンナコッタ」
 何知らぬ風を装って繰り返すが、声に混じる笑いの気配が隠しきれない。フーゴから抗議の声が上がる。
「……いじがわるい……!」
「冷たい差し入れを買ってきただけなのに心外だな。まあ俺も食べたかったから買ってきたんだが。食えるか?」
「共食いとか、言わないで下さいね……?」
 顔を半分覗かせて発された言葉が思いのほか可愛らしかったので、笑いを噛み殺せずに再度睨まれる羽目になった。


***


 白くやわらかなパンナコッタに、鮮やかな苺のソースがかかっている。自分の物はオレンジのソースだ。冷蔵庫から取り出して、いつも通りに片付いたテーブルに並べれば、なめらかな白い食器がことり、と可愛らしい音を立てた。風邪引きの病人のためにホットレモネードも淹れてやる。
 そうこうしているうちに、先程まで向けられていた非難がましい視線は冷えた器の中身に奪われていた。ちらり、恥ずかしげにこちらを伺って、フーゴの瞳がきらめいた。
「今更変な遠慮をしてるんじゃない。食えばいいだろう?」
 そう告げてやれば、そっと祈りを捧げて小さなスプーンで口に運び始めた。
 そうしてエスプレッソを飲みながらフーゴを眺めた。甘いものを食べる、緩んだ幸せそうな顔はお気に入りだ。外では自重しているようだが家ではゆるゆるの笑顔である。かわいい。
 その一方で、食事にはどうしても育ちが仕種に現われるものだとしみじみと感じていた。
 食器を正しく扱い、大きな口は開けず、背筋をしゃんと伸ばして音も立てずに完食する。下町ではなかなかお目にかかれない折り目正しいマナーである。
 いつもはひたすらに優雅なそれが、今日は熱の為かいささか官能的だ。そもそも頬は紅潮し目は潤んでいて、薄く開いた赤いくちびるからは濡れた舌が見え隠れし、白くとろりとしたそれをすくった銀のスプーンが行き来する。こくり、飲み下して喉仏が上下する。その首筋にもじんわりと汗が滲んでいる。
 どうやら自分も熱に当てられてしまったようだ。目の前を往復するスプーンの二回分はあろうかという量を掬って口に運んだ。冷たい感触が心地よく、爽やかなオレンジの香りがふわりと広がる。
 しかし気を紛らわせようという目的は果たされず、飲みこんだ瞬間に、熱くなったフーゴの喉の内側にとろとろと流し込まれたミルク色の半液体のことを想像してしまい、食事以外の意味でも喉がごくり、と鳴った。
 落ち着こう、相手は病人だというのに。もう一口運んで気づく。俺は今パンナコッタを食べているんだったな……?
 そんなこちらのことを知ってか知らずか、じっと見つめてしまっているのを不審に思ったのだろう、フーゴが不思議そうに尋ねた。

「……食いたいんですか?」

 ええと。

 フーゴが指しているものはただひとつ、目の前に鎮座する白く冷たい上品な甘さのドルチェのことに決まっている。これは違うソースで食べたいのかというお誘いだ。そうわかってはいるのだが。
『パンナコッタ』が食べたいのかなんて言われて、それもこんなに煽情的な姿の恋人を前にして冷静でいられるだろうか。
 思わず固まったら、何かを確認するかのように目の前でパタパタと手を振られた。おまけに上目遣いで覗きこまれて、頭の隅で何かが切れる音がした。柄にもないとは思いながらも、たまらずその手をテーブル越しに捕まえる。間にはさまれた狭いテーブルが音を立てた。
 突然のことに戸惑うフーゴの、まさしく目の前のパンナコッタさながら白く滑らかなその手の甲にくちづけ、怯んでいるうちに立ち上がって距離を詰めた。背を屈めて、座っているフーゴの苺の如く赤い唇を掠め取った。

「……味見だけだ、許せ……」

 吐息混じりに耳元で囁いたら、フーゴが眉根を寄せて体を震わせた。
 もう一度唇と唇を合わせて、無防備な唇の隙間に舌を差し入れて熱い咥内に侵入した。一つ一つ丁寧に歯列をなぞり、体とは対照的に冷えた舌を捕まえる。上品な甘さが残っていて、やはりこの買い物は正解だったと頭の隅で考えながら、力が抜け始めた体を抱き上げて位置を入れかえ、フーゴの椅子に腰かけて、膝の上に向かい合うように座らせた。慌ててこちらの肩を押して抵抗しようとしたようだがもう遅い。そんな弱々しく手を添えられたって燃えるだけだ。
 部屋着の中に手を潜り込ませて、しっとりと汗ばんだ背中をそっと腰から背骨にそって撫で上げる。凹凸を一つ一つ確かめるように触れる度に、身をよじって吐き出す悩ましげな声全てを、耳にしてしまったら止まれなくなる確信があったので、そのまま唇の中に飲み込んだ。
 フーゴの息が苦しげなのは風邪のせいでもあるのだろう。ゆるゆると息継ぎを繰り返しながら攻め立てる。縋る場所が欲しかったのか、フーゴの腕が背中にまわされた。弱々しく背中の布地を引っ張られる感覚に背筋がぞくりと粟立った。
 たった一枚の壁の向こう側にあるはずの街の喧騒が遠い。混ざり合った二人分の荒い呼吸で満ちた部屋を、昼下がりの明るさが柔らかに照らしている。閉じられた瞳を縁取るフーゴの長い睫毛が、水分をまとってきらきらと光った。
 じっと見つめていたらフーゴがそっと目を開き、とろけきった瞳があらわになる。ゆっくりとした瞬きによって生理的な涙が一筋流れ落ちた。目尻が赤く染まっているのが自分のせいだけではないのが少し悔しい。
 そっと下唇をついばんでこのキスの終わりを告げ、こぼれ落ちた涙を指で拭い、はふはふと荒い呼吸が続いているフーゴの背中をゆっくりとさすってやる。今度はいやらしくない、落ち着かせるための手付きで。
「甘かった……」
「……パンナ、コッタは、はあ、あまいもの、でしょ……」
 ようやく息が整ってきたようだ。疲れたのだろう、くったりと寄りかかってくる。
 我ながら少し調子に乗りすぎた。未だ沸き上がる情動をねじふせて、色事めいた仕種にならないようにくしゃくしゃとフーゴの頭を撫で、髪をかき回す。
「すまない、やりすぎた」
「もう、どこが、味見だけなんです……それに、こういうドルチェは冷たい方が美味しいんですから。こんな熱いの、食べたって嫌でしょう?」
「俺は人肌くらいが一番好きだな」
 そう言って、そのままフーゴの両膝の下に腕を差し込んで抱き上げた。所謂横抱き、ロマンティックな言い方をするならお姫様抱っこだ。急に揺れた事に驚いたフーゴが慌ててぎゅっとしがみつく。いつもの香水ではない、石鹸の匂いが鼻先をくすぐった。
「っな、んの話をしてるんです!!」
「わかってるんだろ?」
「知りません!」
 つん、とそっぽを向く様子まで愛らしく見えるのは惚れた弱みかもしれない。首筋から嘘の匂いがしていたが、心に閉まっておくことにした。

***

 抱えた体をそっとベッドに下ろす。フーゴが部屋履きを脱いでいる間に、額を冷やすタオルを固く絞った。次に誰かが体調を崩した時の為に、氷枕を一つ買っておいたほうがいいかもしれない、と今考えても詮無い事を思う。
 視線を感じたので振り向けば、フーゴはベッドに腰掛けサイドテーブルにあった薬を飲み終えて所在なげにコップを手の中で遊ばせていた。ひょいと受け取って、言葉を促せば、じろりと見上げて、気まずげに口を開いた。
「あんた、ちゃんと風邪薬飲んで下さいね」
「健康だぞ?」
「うつったに決まってるでしょ、もう……! 風邪引いてる人間に、あんなキスするなんてどうかしてる……ちゃんと、暖かくして、水分もとって、ご飯しっかり食べて寝てくださいね。ぼくの面倒なんかそんな甲斐甲斐しくやいてくれなくたって、だいじょうぶですから……」
 呂律がだんだん怪しくなってきたので、有無を言わさずベッドに押し込んでやる。病気の時は寝るのが一番だろう。
「わかったから、ほら、もう寝ちまえって」
「しんぱいです……なんのためにそうたいしたのかわからないじゃないか……」
「ちゃんと薬も飲むし、丈夫さには自信がある。今はただ休むのがお前の仕事なんだから、そんなこと考えなくていいんだ」
 毛布を肩まで引き上げてやって、タオルを載せる前の額に今日何度目か分からない口付けを落とした。


「おやすみ、パンナコッタ。早く良くなれよ」






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