恋、未満(慶半)
高校3年生の春を、半兵衛は絶望的な気分で迎えた。
それは、前田慶次と3年連続で同じクラスになってしまったからである。
昇降口の掲示板に張り出されたクラスの割り当て表を見ながら、半兵衛は大きく深いため息を吐いた。
もとより2人の関係は、そこまで悪いものではなかった。
1年時、共通の友人である秀吉を介して、ただのクラスメイトよりは少しばかり仲の良い間柄になった。
慶次は基本的に誰とでも友達になれる性格の持ち主である。
半兵衛も愛想よく振る舞うが、心を開いて接している人間は少ないのが2人の大きな違いだった。
半兵衛の世界の中心は親友である秀吉だ。
彼に関すること以外にはあまり興味や関心がないのが、半兵衛を半兵衛たらしめる要因の一つと言えるだろう。
その結果、慶次がもっと仲良くなりたいがために一方的に半兵衛に付きまとい、半兵衛はそれを鬱陶しく思いながら適当に受け流すという関係に落ち着いた。
それを壊したのは、慶次の方だった。
2年生の冬、クリスマスが近づいてきた時期のこと。
日直である半兵衛は日誌を書くために、放課後の教室に残っていた。
慶次は当然のように半兵衛の前の席に座り、彼が日誌を書く様をにこにこしながら見守っていた。
他愛もない話をしていた。
毎日寒いね。
そうだね。
雪積もるかな。
どうだろうね。
ねぇ半兵衛、
何だい。
好きなんだ。
「………え?」
これでもか、というほど眉間に皺を寄せた半兵衛が顔を上げる。
いつもの冗談や悪ふざけだと思った。
だが、慶次の目は真っ直ぐに半兵衛を見つめていた。
その視線に嘘など一切感じられない。
半兵衛は、慶次の真剣な面持ちに息を呑んだ。
彼からの突然の告白を受けた後のことを、半兵衛はあまりよく覚えていない。
そして、未だに何も応えられずにいた。
要するに、現在の2人の関係は、かなり気まずいのだ。
腹を括るしかない。
半兵衛は己に言い聞かせる。
同じクラスになったとは言え、関わらなければ良いだけなのだ。
大丈夫、大丈夫。
必死に心を落ち着かせながら、すでにドアが開いていてる教室に入ると、飛び抜けて明るい声が半兵衛を迎えた。
「あっ! おはよう半兵衛!」
「おはよう、半兵衛」
「お…おはよう、秀吉、…慶次君」
あろうことか、慶次はすでに秀吉と組んでいた。
互いに秀吉に相談していたのだから、仲を戻そうと秀吉が慶次に協力するのも理解できる。
だが、この展開に居心地の悪さが拍車をかける。
微笑みをたたえた顔がひきつるのを、半兵衛は必死に堪えた。
関係を修復しようとしたのも、慶次からだった。
あれから2ヶ月ほど経ち、季節は梅雨に差し掛かろうとしている。
2人の関係は、告白云々の前にすっかり戻っていた。
相変わらず半兵衛に付きまとう慶次と、それを受け流す半兵衛。
お馴染みの光景に、秀吉は安堵の表情を浮かべずにはいられない。
だが、核心的な部分には触れられていない。
慶次は愛だ恋だと謳う男だったが、あの一件を彷彿とさせるため半兵衛の前では一切言わなくなった。
半兵衛もそのことに気づいていたが、だからと言って告白の返事を意識しないことは無いに等しかった。
心に微妙な距離感を保ったままではあったが、3人はそれなりに楽しい学生生活を送っていた。
ある雨の日のこと。
さっさと帰宅して勉強に励もうとした半兵衛は、昇降口で傘をうっかり教室に置いてきたことに気がついた。
取りに行くのは少々面倒だが、傘をささないで帰るには雨量が多い。
教室へ戻ろうと上履きに履き替えようとしたところに、慶次がひょっこり現れた。
「あ、半兵衛。今帰り?」
「やぁ、慶次君。それが、傘を教室に忘れてきてしまってね。取りに戻ろうとしたところなんだ」
「もしかしてさ、傘ってこれ?」
慶次は、両手に持っていた傘の片方を掲げて見せた。
それは確かに半兵衛の物だった。
「そう、それだよ。偶然にしては上出来だよ慶次君」
「なんでそんな上からなんだよ…まぁ良いや、はい」
「ありがとう」
傘を受け取るとき、一瞬だが互いの手が触れあった。
どちらも気にしない風を装うので気まずさはないが、何とも言えない気恥ずかしさが残った。
「久しぶりだな……2人だけって」
「………そうだね」
なぜこの男は余計なことを言うのだと、半兵衛は心の中で舌打ちをした。
間に秀吉が入ることが必然的になっていたので、2人きりになったのは数ヶ月ぶりだった。
これでは変に意識してしまうではないか、半兵衛は内心焦ったが表には出さぬよう涼しい顔をしていた。
「な、半兵衛。ちょっと付き合ってくんない?」
「………え、」
驚きのあまり口をぱくぱくと動かすしかない半兵衛を、慶次は可笑しそうに笑って言った。
「ゲーセン行こうよ!」
受験生2人は、雨のためかひとけのあまりないゲームセンターに来ていた。
半兵衛からすると、正しくは連れ込まれた、だが。
慶次は実に楽しそうに半兵衛をつれ回した。
プリクラを撮ろうと誘い、対戦ゲームをやろうと提案し、太鼓を叩いて遊ぼうと勧めたがどれも断られた。
早く帰りたい半兵衛は苛々してきていた。
そんな態度をあえて隠さず剥き出しにしていると、慶次は拗ねた子どものような顔をしたが、最後にクレーンゲームをやろうとはしゃいだ。
「どれ取ってほしい? 俺、けっこう得意なんだよ」
「……どれでも、何でも良いんじゃないかい」
「そう怒んなって〜。可愛いの取ってやるからさ」
まさかそれを僕に押し付けるのか、口に出すのも面倒だった半兵衛は目で抗議した。
だがすでにクレーンゲームに真剣になっている慶次には気付かれなかった。
得意と自負していた通り、慶次はぬいぐるみを難なく取ってみせた。
そして、満面の笑みでそれを半兵衛に渡す。
半兵衛もまた微笑んで受け取ると、慶次の顔面に投げつけた。
「いい加減にしてくれ。僕はもう帰る」
「あぁあっ、待てよ半兵衛! せっかく取ったのに!」
少し赤くなった顔で必死に訴える慶次に、半兵衛はため息を吐くしかなかった。
渋々ぬいぐるみを受けとる。
慶次の言う『可愛い』は、半兵衛には理解できなかった。
「俺だと思って貰ってよ!」
半兵衛は今度こそ全力で、ぬいぐるみを慶次の顔に叩きつけた。
そんな押し問答の末、結局ぬいぐるみの持ち主は半兵衛となった。
部屋の適当なところへぬいぐるみを置いてみる。
実に微妙な心持ちだった。
今日という日を少しだけ、楽しんでいた自分がいたのだ。
自覚して初めて気が付いた気持ちに、半兵衛は戸惑った。
恋とは呼べない、未熟な想いに。
2014.4.30
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