月が綺麗ですね


子供は嫌いだ。
奴らはいつも五月蠅くて、理不尽で、自分勝手で。
中にはそこがいいのだ、なんていう奴もいるが、俺はお断りだ。あんな奴らとまともに向かい合おうとするだけで気が滅入ってしまう。

しかし、世の中どんな事でも例外というモノはつきもので……
その例に漏れることなく、俺にも例外というものが存在した――。

「先生、なぜここではこのような表現を使ったのでしょう」
「…ん?」

俺にとって唯一の例外、日野から突如発せられた疑問に、ぼんやりとしていた意識が引き戻される。
俺が話を聞いてなかったのがわかったのか、苦笑を漏らす日野は、とても高校生とは思えない大人びた雰囲気を纏っていた。しょうがないな、とでもいうように緩められた目元に、まるで自身の方が年下であるかのような錯覚に陥る。
それに何とも言えないむずがゆさを覚え、俺はさり気なく目線を落とし口を開いた。

「で、なんだ?」
「ここです。どうして日本ではこういうぼかした表現を多用するのかと思いまして」
「ああ…なるほどな」

ペンでトントンと教科書を叩きながら目を伏せる日野をそっと観察してみる。長めの睫毛がしっとりと陰を作り出している様はなんだか幻想的で、洗練された一つの芸術作品のようだ。

「月が綺麗ですね……」
「はい?」

つい口をついて出た言葉に、日野が怪訝そうな目を向けてくる。

「夏目漱石が教師だった頃に言ったとされる言葉だよ」

頭の上にハテナを浮かべる日野のことは無視して、俺は尚も言葉を続けた。

「夏目漱石が英語の教鞭を執っていた頃、あるフレーズを『月が綺麗ですね』と訳したんだそうだ。知ってるか?」
「いいえ」
「なら例えば、ある日闇夜にぽっかりと浮かんだ月を見たとする。その月は、少し霞がかっていて青白い幻想的な雰囲気を放っている。そんな月を、お前はどんな人間と見たいと思う?」
「そう、ですね……、」

そういう情景を必死に思い浮かべているのか、日野はうんうんと唸っている。そうやって一つのことに対して真摯に向き合おうとする姿勢は称賛に値すると思うし、気長に待つか、と俺は少し冷えてしまったコーヒーに手をかけた。


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