いつか、あんなふうになれたらいいな、と思った。
 それはいつだったか。でも、随分昔だと思う。
 それは私はまだ小さくて、隣には兄の姿があった頃。
 そのときにはもう親の影はなくて、二人で揺れる箱の中にいた。
 いつもいろんなことをしゃべりあっていたから、せっかくの電車でのお出かけなのに兄とはあまりしゃべっていなかった気がする。
 背筋を伸ばして前を見つめている兄の隣で小さな私は、揺れに抵抗もせずに身を全て任せていた。
 それまでの記憶があいまいだから、何も考えずに座っていたんだと今は思う。
 そうして、自分達の降りる駅に着くのを待っていたときだった。
 何か感じて、何気なくふと顔を上げた瞬間、ある光景が私の目に飛び込んできたのだ。

 それは、一組の夫婦の姿。

 夫婦といっても、あまりに普通の男性と女性の夫婦だった。二人は私の向かいの席に隣同士に座り、微笑んでいた。
 笑っている女性の肩を笑顔で男性は片手で後ろから抱いて、その手にまた女性は微笑んだ。
 微笑んで、笑って、笑顔になって。
 それを、共有する。
 それは、どんなに小さい頃の――その光景を無くしたばかりの私の胸をどんなに焦がしたか。
 あんな光景が欲しい。
 あんなふうな笑顔が欲しい。
 あんなふうに……。
 そんな気持ちが渦巻いたとき、空気音が鳴った。そして、とんとんと肩を叩かれ、はっとした。
 どうした、気持ち悪いか?と心配した声でたずねてくる兄に私は首を振って立ち上がり、その後立ち上がって外に出る兄の手を握って、なんでもないように笑って。
 でも、消そうとしたその光景は全く消えなかった。
 網膜に焼きついてしまったそれは、泣きたくなるほど手に入れたかったものだったから。
 兄とは得られないものだって知っていたから、兄に頼んでも得られないものだって知っていたから、兄には甘えられなかった。きっと気にしてしまうから、口にすることもせずに、心の中にしまい込もうとした。
 でも……だからこそ、余計にほしかった。
 あんな優しい温もりを、いつか、自分も欲しい。
 無くしてしまったそれを、自分で、手に入れたい。
 いつしかその気持ちが、私の心の奥で芽生えていた。


「ティアナ?」
「え?」
 ぱち、と目を動かした。
 声に目線を向けると、そこには不安そうな緑色の瞳。
 そして今、自分の状態が一瞬にして思いだせた。
 今、ここは家に帰るために乗った電車の中。今日はある仕事があって外に来ていて、帰り途中、彼と合流した。ちょうど彼の仕事場も路線近くだったし、連絡をとって、今夜は私の家に、と共にこの電車にのった。
 そして、私は今。
 そのとき、彼はこちらをずっと見つめて口を開いた。
「どうした、気持ち悪いか?」
「え?」
 きょとん、としてしまった。そして。
「……ぷっ…」
「…んあ?」
 つい、声が漏れてしまった。
 そのまま抑えこもうとするが、なぜか止まらない。
「な、何急に笑ってんだよ?」
「い、いや…だっ、て」
 止まらずに込み上げてくる笑み。
 だって。

 あのときの――兄さんと同じ問い掛けだったから。

 喋り方も、不安げな目線も。
「……ティアナ?」
 それを認識した途端、続く笑いはなぜか苦しくなってきた。そして。
「……っ……」
 それが“痛み”だと気付いた。
 私は体を折り、それに耐える。
「大丈夫か、おい」
 彼は瞬時に察してくれて、背中をそっと撫でてくれた。
 吐き気はないけれど、視界が少し掠れる。
 でも、それは彼の手から伝わる温もりでだんだんと癒えていった。
「ティアナ、」
「……大丈夫、です…」
 痛みに耐えようとして下を向いていたから、彼の顔を見ようと上げる。その顔はひどく心配そうだったが、私が大丈夫と微笑むと、その表情が緩んだ。
「……で」
「はい?」
「何がおかしかった?」
「……え?」
 彼の言葉に私の顔が自然と固まっていた。
 ……彼に話しても、いいのかな。
 脳裏でその言葉が一瞬浮かんだが、私は躊躇もせずに声に出していた。

「さっきの気遣い方が、兄さんに似ていたんです」

 私の言葉に、彼の目が一瞬、大きく開かれた。
 そして、ふっと目を閉じると「……そうか」と言った。
 私は、ゆっくりと、話しはじめた。
「子供のころ、こうやって兄さんと電車に乗ったのを思いだして。そのとき、強い願いを持ったときに、兄さんもそう言って」
「いや、おまえはまだまだ子供だろ」
「え、もう大人ですよ」
「いいや、俺にとっちゃまだまだ子供だ」
「もう……。ひどいですよ、ヴァイスさん」
 傷ついたように、でも微笑んでしまい、ため息みたいに言葉が漏れて、つい笑顔が零れる。
 ああ、なんか落ち着く。
 彼が私の気持ちを沈めないように言葉を挟んでくれ、それに私が返事をする。
 なんだか、これだけでいい気がしてきた。笑ってる彼を見て思う。
 どうせ、どうでもいい話だ。このまま、話を変えてしまおう。
「あ、そういえば、ヴァイスさん――」
「――子供の頃にさ」
「え?」
「欲しかったものって、今も欲しいよなぁ」
 遮る言葉の意味が理解出来なくて首を捻る。
「……どういうことです?」
「そういうこと」
 肩を少しおどけるように動かすと、彼は口を開く。

「叶えてやるよ。……そのときの夢」

 まっすぐこちらを見つめて、ストレートな言葉に目を見開く。……すぐに、視線を反らされてしまったが。
「あ……まぁ、もちろん、俺が叶えてやれる範囲の話だがな」
 ぽそぽそと一人言で範囲外の可能性を心配する彼。
 思わず、笑みを浮かべてしまう。
「……いいんですか?そんな自信で。子供の夢って無限大で、いくつもあるんですよ」
「……意地悪いなぁおまえ」
「意地悪くて結構」
 子供扱いした罰です。
 そう告げて笑ってみせる。……でも、本当はそんな幼稚な願いではない。
 まるで、子供が思わないような、そんな願い。

「――ただ、寄り添って、笑っていたいです」

 それだけで、いいんです。
「……欲のねぇ子供だな。心配して損したわ」
「え、何ですその言い方。ねがいごと増やしますよ?」
「……いや、やめとけ」
 斜め後ろをずっと見ながら、おどけを否定までした彼に、なんでですか、と告げようとして。
「――ひぁっ?」

 ――そっと、背中から肩を抱きしめられた。

 首の後ろを遠るあたたかさにびっくりしてると。
「たった一つの、ずっと持ってたねがいごとなら、一生俺が叶えてやるよ」
 やっと自分と視線をあわせた彼は顔が真っ赤で。……それでも、笑っていた。
「……――はい」
 笑顔で頷くと、彼は「おぅ」と小さく返事をし、回す腕に力をこめてくれた。
 うれしくなって私は、らしくもなく、彼の強くてあたたかい肩に頭をもたれた。



たったひとつのねがいごと



 ふと、正面のガラスを見た。
 ――望んでいた姿がそこにあった。
 あの、昔見た、一組の夫婦のように寄り添った――私の小さな頃からのねがいごと。
 そこにうつった自分に、また笑った。


 この幸せを、一生守り続けよう。お互いに。





〜あとがき〜
 掘り出し物です(笑)随分過去のものでした。途中放棄で、電車ネタ。オチを忘れた大失態(爆)
 でもこれがどんないきさつで書こうと思ったは覚えてます。――実はこれ、リアルであったんです。電車に乗ってたら、一組の夫婦が幸せに寄り添ってて。ああ、素敵だなって。
 子供の頃のティアさんは、普通の幸せというのが最高の憧れだった、みたいなイメージが勝手にあります。
 ……しかし、やっぱりスランプ。キャラクターが迷子だしボキャブラリーもなぁ……。
 スランプ脱却頑張ります(←)。





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