艦の照明が落ち、人の声もなく静まった頃。一角の部屋は机に付属する照明のみがつき、書類がばらまかれていた。
 静寂の中、ペンの走る音のみが繊細に聞こえる。
 すると、エア音とともに暗闇に一瞬光りがさしこむ。エア音はすぐにまた鳴り、また部屋は暗闇に閉ざされた。
「……クロノ君〜?」
「……ん?」
 後ろからの声に、ペンの音が止まる。しばしペンはそのままでいたが、握られていた手が開かれて、カタンと書類の上に倒れた。
 ぎぃ、という軋む音がして椅子が回転する。
 反転して振り返ると、そこには――いつもの、馴染んだ女性の姿。
「何してんの?」
 こちらが振り返ると、いつものように笑顔をたやしてくる。
 その声は暗闇の中に、柔らく響いた。



Hot Milk



「君こそ、何をしているんだ?こんな遅くに」
 ふぅ、とため息しながら、ちらりと見る机のはじ、小さい電子時計盤。それは規則正しく今を午前二時過ぎを知らせていた。
 机の椅子に座るのは執務官のクロノ・ハラオウン。入ってきたのは、クロノをずっと支えている執務官補佐のエイミィ・リミエッタ。
 今だに休憩していないクロノを気にして、エイミィは訪ねてきたみたいだった。
 エイミィの言語や行動は、はやく出て寝ろ、という意味を現していた。しかし、逆効果だったらしい。彼女は頬を膨らまして、こちらに近付いてくる。
「そんなこと言ってるクロノ君こそ、何やってるのさ。エイミィさん心配してんだぞ?」
「僕は仕事、だ」
「仕事仕事って……自分の体より仕事のほうが大事なの?クロノ君は」
 ため息。彼女はいかにもうんざりしたように眉を上げた。
「僕だって、好きでこんな時間までやっているんじゃない。終わらないんだよ」
 そのとき、漆黒の部屋が一瞬瞬きをしてから白に染まる。エイミィが部屋の明かりのスイッチを入れたのだ。
 エイミィは、そのクロノの言葉にスイッチに手をかけながら立ち止まった。
「てか仕事するなら部屋の明かりも付けなよぉ。目、悪くするよ」
「別に、大丈夫だとは思うんだけどな」
「よくないっていっつも言ってんじゃんっ!もう、それにっ」
「ああ、もうわかった、わかったから!……もう、時間も時間なんだから大声出さないでくれ……」
 むきになって声をあげるエイミィに、本人は頭を抱えて降参した。
 エイミィが、しょーがないなーと笑って口を閉ざすのを確認してクロノはすっと立ち上がる。向かうのは奥の棚。上のほうから自分用の白いカップと、客人用の淡い模様のついたカップを取り出した。
「あ、なんかもてなしてくれるの?」
「別にそういう訳じゃないよ。後少しで終わるから、コーヒーでも飲んでまとめて終わらせようと思ったんだ。僕だけ飲んだら君だって嫌だろう?」
 照れくさいのかなんなのか。やけに説明の長いクロノの説明に、いつの間にかクロノの隣に来ていたエイミィが意地の悪い笑みを浮かべる。
 じゃ、ありがたくいただこっかなーと勝手に椅子に座り手を軽く上げた。と、その瞬間、「あ、そうだ」といつもより幾分高い声が聞こえる。
「クロノ君。それ、貸して?」
「……それって……『これ』か?」
 クロノは少し眉を細めながら二つのカップを差し出す。それらを受けとると「ん。ありがとー」と言い残し、いつもの調子でさっさと奥の室に設置されている簡易キッチンに入っていく。
「せっかく私がいるんだから、エイミィさんがおすすめドリンクをご馳走するよー。だからクロノ君は残業終わらしちゃってくださいー」
 伸ばされた手は、その言葉達の並びに止められてしまった。


 壁もなく普通に入られてしまった奥の部屋からは小さな鼻歌。
「――全く。君には負けるよ」
 その吐きは小さすぎて彼女には届かなかった。



* * *




 ほっこりとした湯気と最後の一文字がうまった瞬間はほぼ同じだった。
「んー。おまちどうさま」
 そう言って現れたのは――白い液体。
 クロノはその柔らかい意外な香りに一瞬顔色を変える。期待していた香ばしい薫りとは、全く掛け離れていたから。
「……エイミィ?」
「ん?」
「……なんで、コーヒーじゃないんだ?」
「……なんで、他の人に渡すのがミルクじゃ駄目なのよ?」
 その、自分の話し方と同じイントネーションで言われ、クロノは頭を抱えた。
 僕は眠気覚ましにコーヒーが欲しかったのに。何を考えているんだ、彼女は。
 手渡されたあたたかい感覚に、軽いため息。
 一方エイミィは、すでに自分のカップに口をつけていた。
 今だにゆらゆらと揺れる白い水面を見つめているクロノに、今度はエイミィがため息をついて。
「ホラ、せっかく人が作ってあげたんだから。冷めないうちに、さっさと飲んだ飲んだ」
 そう急かされて、クロノは黙々と口をつけた。
 口の中に含むと広がる淡い柔和感。その穏やかさに一瞬酔いしれ――

「――ッぶふっ!?」
「えっ!? な、どうかしたのクロノ君!?」

 思いきり、むせた。そのクロノの反応に、エイミィはかなりびっくりしている。
 クロノはそのままかすれた咳込みを数回繰り返す。荒い息で呼吸を落ち着かせるときには、情けなくエイミィに背中を摩られていた。
 その背中の温もりに赤くなりながら、むせた原因にきつい目線を。
「――エイミィ」
 そのきつい目と声に、エイミィはびくりと震える。
「な、何かな。クロノ君?」
 やっとまともな声を出した本人は、自分がやったとは気付いていないようで。
 クロノは多少怯えるような目をじっと見つめて、口を開く。
「これ……砂糖入れただろ」

 その言葉にエイミィは一転、キョトンとしてしまった。
 じっとお互いの目線が絡まり数秒間。
 その静寂を破いたのは。
「…………ぷっ」
「なっ!なんで笑うっ、エイミィ!」
 そのまま、あははは、と笑いだすエイミィに、クロノは顔を真っ赤にして怒った。いつものような感じに。
「だっ、て。そんなホットミルクに砂糖入れたくらいでむせる?普通」
「んなっ、普通、入れないだろ砂糖なんて!しかも僕は甘いものが苦手なのに!」
 確かに母さんの甘党ジンクスでよく間違えられるけど、君は僕が無糖派だということをよく知っているだろう!?
 珍しくわぁわぁ反論するクロノに、エイミィはまた、いつものように悪気があるような無いような笑い方をして。
「ね、クロノ君」
「……なんだ」
「そのホットミルクにはね。……私の思いが、こもっているんだよ?」
「…………」
 しっとりした、話し方。それは、からかいのない、彼女の心の声。
 その声にクロノは気付くと、抵抗をやめる。
「ホットミルクってね、快眠作用があるんだよ。寝る前に飲むと、すっごく効果覿面で。あ、受験生とか、不眠症の人とかにも進められているの。ホットミルク」
「僕は受験生でもないし、不眠症じゃない」
「なんでそこにつっこむのかなぁ。クロノ君は」
 おかしいよね、大事な部分聞いてないよねー?
 と、今度はいつもの調子で笑うエイミィ。
 それぐらい、僕にだってわかってるさ。そのクロノの思いは、飲みこんでおいた。今、言うべきことは、はりあうことじゃないから。
「……ま、だから、ホットミルクのはそんなところ。あーゆーおっけー?」
 わざわざ変な言葉を使い、にこっと笑ってみせる。
 そこに感じた、いつものからかいとは違う――そう、何かを隠すような――に、クロノは再び口を開いた。
「じゃあ……砂糖は?」
 その言葉に、彼女ははにかんで。


「砂糖、っていうか、甘いものはね。――疲れをとってくれるんだよ」

 いつも夜までやっていて、大変だろうから。
 どうか今だけでも、貴方の疲れがとれますように。
 癒されますように。


「――じゃっ、残り頑張ってね!」
 そう明るく言って、彼女は後ろを向き、出ていく。
 まるで、赤く染まった頬を見られまい、と隠すように。……と、付け加えていいのだろうか。
 扉の向こうに去ってしまった、見慣れた背中に、クロノは苦笑した。


「――それじゃ、頑張るかな」

 そして、最後の一口を飲みほした。





〜あとがき〜
 ということで、サイト開設2周年企画、3つ目のリクエストは、我らが(笑)花音ちゃんでした!
「ただの花音だよ← もちろんクロノくn(ry 相手は誰でもおk、沙雪ちゃんにお任せ☆(( のっとシリアスでお願いしますbほのぼの好みなかのnさn(強制終了」
 「ん」がちゃんと書けてないさすが花音ちゃん!(笑)
 実は「提督書けー!」ってずっと言われてたんですけどね……ちゃんと書けてよかったです。
 クロエイorエイクロはそんなイチャイチャしてなくて、でもお互い肩を自然に寄せ合って……的なイメージ。それが、私のクロノさんとエイミィさん。
 (実は彼女も初)リクエストありがとうございました!





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