FW・B


宵闇は尚深々と

2009/12/19 21:24


伊食満+仙蔵

 果実の匂いが何処からか漂ってくる。宵闇の力を借りる朧な月明かりは白濁とした光しか降らせない。庭の雨露に濡れた土くれたちこそ、この夜の支配者であるのだと私に主張してくる。
 湿気を含んだ板張りの廊下を歩く己の歩幅は大きく、目当ての部屋へはものの数分で辿り着いた。流石に足音を立てるような愚行はおかさないが、肩は上がる。ひい、ふう、み、深く息を吐いて。
「おい」
 登場は厳かに、である。


「今日は邪魔が入っちゃったね。ごめんね。留さん怒らないでね、怒ってないよね」
 ふぅふぅ、少しだけ荒い呼吸を繰り返す留三郎の頬は紅色に染まり、細いながらも男らしさを残す眉根に皺が寄っている。薄らと滲む汗を舐め取ってみれば、脊髄反射をする肩がいとおしい。
 そんな想い人に問いを投げ掛けてみても、彼からは不明瞭な音が漏れるだけだった。寝込けているのを考えてみれば当たり前なのだけれど、先程唐突なる乱入者に乱された僕の心の波紋は広がり続けた。
「留さん留さん、ねえ」
 ひんやりと黄昏に汚された頬を宵闇に浸かる髪を、反復する喉を撫でてみるが無意識と云うものは相変わらず寂しいもので、部屋に反響する彼の呼吸音は連続的であった。

(あ、手汚れたままだった)
 先程級友の口腔内を探った己の指は未だ湿っており、それを気にせず触り続けた留三郎の肌にも水分が移っていた。彼の意識があったのなら、汚い気持ち悪い細菌が…!等と発狂ものだろうなと、微笑ましく思った。
 念友の間柄となった今も、潔癖と呼ばれる彼の神経質さは進行して、最近では顔を近付けることもできていない。それなのに土塀を修理したり、下級生が鼻をかむことの手伝いはできるのだから、やはり心の問題なのだろうか。年々鋭さを増す瞳や、力強くなる体躯と比例して厳しくなる実習は、ゆるゆると彼を蝕んでいた。
「留さん、留さん」
 昨日までの夕ならば、幼児の様な彼をあやして癒して、時折蹂躙して。その様な日課は真新しくもない級友の乱入によって阻害されたのだった。慌て薬を与えた所為で、幾らか口端からこぼれてしまった。このように浅い眠りに手を出してしまえば、目醒めてしまうだろう。密やかなる日課が本人にばれてしまえば、全ておしまい。気味悪がられて、避けられてしまえば己は死んでしまうだろうな、と自嘲した。

(ああしかし、今日は本当に邪魔の多いこと)
 赤ん坊の様な留三郎の顔で和む暇はなく、少し浮ついた呼吸が障子を隔てた外から聞こえた。来訪者も僕に気配をさとられていることを前提にしているのか、彼は断りもなく勝手に障子を開けた。


「おい」
 絹糸は水気を吸って膨張していた。それと同じく、昂ぶる感情は彼の猫の細目も膨らみを持っている。先程訪れた級友、その同室のまた級友である仙蔵だった。
「あれ、なぁに仙蔵」
 寝間着を纏った彼は、突然の乱入を悪怯れる様子もなく、僕と留三郎を見つめて鼻を鳴らす。失礼な、僕がそう反抗してみれば、彼はくのいちから麗人と噂される白磁の肌に陰る皺を寄せて、それはそれはおぞましそうに障子に身を任せて口を開いた。

「この気狂いめ」
 吐き捨てる、その表現がぴったりなくらいに低い声での罵倒は眠っている留三郎には向かわず、彼の頭を膝に置く僕に対してのようであった。反論しようと口を開こうとしたが、少しの振動でもムズがる(実際に先程の障子の音で覚醒しかけた)留三郎が気になって、唸るような、否定とも肯定とも取れない音が漏れただけだった。
「反論はないのか」
 これまた馬鹿にしたような、ねめつける視線が僕らに向かう。不服ではあるが、これで声を荒げてしまえば事は台無しになってしまう。留三郎が起きてしまえば、やたら招かねざる客ばかりの今夜から先は、意味のない日々になってしまうのだ。

 しかしやはり釈然としないので目線で訴えれば、仙蔵は愉快そうに口を開けて呵々と笑った。
「自分の駄犬の世話も満足にできないくせに、人の飼い犬に手を出すから罰があたったのだ。様を見ろ」
 腕を組んで肩を揺らせて、そして飼い犬(同室の彼のことだろう)に手を出しただのと、そして留三郎を駄犬だと罵る彼に厭味は感じられず、これまた唸り声を搾り出すだけである。

「さて、本題だが」
 笑顔を貼りつけたまま右手を差し出した仙蔵は、ほれほれと揺らす。
「この手はなんだい」意図を悟れなかった僕は、彼の手の皺を指でなぞってみれば、阿呆と前頭を殴られた。握りこぶしは酷くはないか。
「潮江に嗅がせた薬を寄越せと言っているのだ。どうせ食満のために調合した碌でもないものだろう」
「ろくでもない…って、何に使うというんだい」
「ふん、貴様と同じ様に使ってやるさ」
 調教とかな、とさも面白そうに目を細めた彼が腹立たしく、懐に忍ばせていた薬包を投げ付けた。仙蔵に僕と留三郎の揶揄されたことは、酷く恥じ入る事柄である。
「それあげるから、早く帰って」
「言われなくとも」
 投げ付けたそれを拾い上げ己の懐に閉まった彼は、早々と僕らの部屋を後にした。室内に残されたのは、湿気た土と火薬の臭いだった。


「留さん」
 先ほどよりも深くゆったりとなった彼の胸の動きを掌で感じ、弛む口端から漏れる唾液を拭い、そして。先ほど級友に嘲られた「調教」という言葉をぐるぐると考えるには有効な時間であった。


(きみといっしょにいたいだけなのに、ぼくはなにをまちがえた)
 
 
 黄昏から夜半から、黒は深くなっていくばかりだ。



end




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